護衛にもなりそうだと高い評価を受けたユーマッシュ様も、私が本を読んでいた時には登場してこなかった人物だ。
もしかしたら、旅人の1人くらいに数えられていたのかもしれないけれど、あんなに屈強で独特な雰囲気を持つ人物では、いなかった。
そもそも、女の子向けのキラキラした、かわいい、ハッピーエンドな物語に、あんな筋肉質のゴリラみたいな人が、登場するわけがなかった。
だから騎士団長のルイでさえ、些細な脇役、名前すら与えられていない存在だったのに。
物語がどんどん変わっていく。
私がいること自体、大きく変化しているのだけれど、兄が騎士団にいたというストーリーもなかった。
どうして、こんなにまで変化してしまっているのか。
こんなに変化してしまって、大丈夫なのか。
不安は尽きない。
食事の席で、私はいつものようにアリシアの面倒を見ていた。
いつものように隣に座り、話しかけ、マナーを正し、微笑む。
兄は優雅に紅茶を飲んで、食事を丁寧に食べる。
その横に、ルイがいた。
ルイは、さっきから穴が開きそうなほど、私を見てくる。
ずっと、見てくる。
とにかく見てくるから、ついに言葉が出た。
「ルイ、どうかしましたか?」
「いや」
「その、さっきからずっと……こちらばかりを見ておられるようなので」
自覚があるのか、ないのか不明だが、とにかくルイはずっとこちらばかりを見ていた。
何かあるのかと尋ねれば、ないと言うし。
「だから、さっきからルイは嫉妬しているんだよ」
「お兄様……って、騎士団長でもあるルイがそんなこと思うはずがないじゃないですか」
この結婚だって、もとは家が傾いたことが一番の原因。
私たちは10も年が離れていて、恋愛もしていない。
貴族の中では当たり前、と思っている。
でも、ルイは朝からずっと兄にもユーマッシュ様にもからかわれてばかりだ。
「え~、どう見ても、嫉妬してるだろ?12歳のアリシアに!」
「アリシアのことを気に入っていただけるのなら、姉としてとても嬉しいことですが」
「あ~も~、ルイもさぁ、なんでこんな芋みたいなセシリアが好きなの?」
芋ってなんだ、芋って。
血はつながっていないけれど、妹に対して、芋とか酷いだろう。
私が芋なら、アンタはコンニャクか?とでも言いたくなる。
ちなみに、この世界にコンニャクはない。
(コンニャク芋がないから……)
「たまには2人で庭でも歩いてきたら?」
兄の提案に猛反対したのは妹だった。
アリシアは、椅子から立ち上がってまで、反抗する。
「お姉様は、私と刺繍をするんです!その後は一緒にティータイムを取って、本を読んで、お話をして!一日中お忙しいんです!」
「アリシアもさぁ、そろそろセシリアから卒業しなよ。姉離れってところ?」
「嫌です!私はお姉様とずっと一緒にいるんです!グラース様には申し訳ありませんが、お引き取りくださいませ!」
普段は穏やかなアリシアだけれど、兄がちょっかいをかけるので興奮気味だった。
ルイだけが冷静に声を出す。
「今日は」
今日の部分が強かった。
本日だけを主張したいのだろう。
「今日は、サリーを騎士団に引き渡す用件があるから、セシリアのことはウォーレンス家の人間に任せる」
「サリーを引き渡すだけじゃないか。暇だろ?」
だから。
なんで兄はいつもルイをからかうのだろうか。
そうすることが面白いのか、そうすることしか、できないのか。
「暇なわけがあるか!だが、明日の早朝にはグラースの家に帰るぞ!」
「どうぞ、お帰りくださいませ!」
アリシアの強気な発言に、ルイは妹をギロリと睨んだ。
あの赤い瞳に睨まれると、誰でも息が苦しくなる。
「セシリアも一緒だ。それだけ元気な様子ならば、もう姉の手はいらんだろう」
「なッ……!」
「いつまでも姉に甘えるな」
ルイはそう言って席を立ち、出て行ってしまう。
大きなため息をついて、兄が少しだけ笑った。
「自分だって、弟のことを甘やかしまくっていたのにね」
「お兄様……」
「僕は騎士団に会いたくないから、お出かけするよ~。じゃあね」
まるでルイの後を追うかのように、兄は食堂を出て行った。
あの兄でも、過去に関係があった騎士団の人たちには会いたくないのだろう。
きっと、恋にうつつをぬかし、騎士団の誇りも能力も放り出した男、と思われるのが嫌なのかな。
いや、その通りなんだけど。
アリシアは、立ったまま拳を握って、悔しそうに唇を噛んでいた。
この子が、不快をこんなに表すのは初めてだ。
今まで、幼子のように振る舞うことばかりだったのに。
「アリシア、ルイはああ言っているけれど、気にしないでね」
「でも、お姉様はグラース様に従うんでしょう?」
「そうね……ルイの意見は一理あるわ。あなたが元気なら、私は向こうに帰るべき。それが結婚というものよ」
「お姉様……!」
私は妹を抱きしめた。
結婚してしまえば、女は向こうの家に従うもの。
主人に逆らってはいけない。
今のところ、たくさん逆らってしまっているけれど……。
「そうだわ、サリーの顔を最後に見ておきましょう。これから……会える保証はないから」
「……お姉様がいなくなる少し前から、サリーはおかしかったんです」
急に語り出した妹を見て、私はえ?と思った。
そんなこと、今まで一度も聞いたことがなかったからだ。
「誰かに会っているのは、私も知っていました。相手がどんな人なのかは、分かりませんでしたけれど……。お父様が、サリーの実家は病人ばかりだ、とも言っていて」
「そうなの?」
「詳しくは分かりません……お父様が、メイドをたくさん辞めさせてしまったから、疲れているのかな、とも思って」
それはあるかもしれない。
でも、サリーの家がどうなっているのかなんて、知らなかった。
考えたこともなかった。
この世界は、もう本の中の物語ではないのだ。
みんな生きていて、私も生きている。
別の物語へと、進んでいる。
文章からは見えることのなかった、小さな存在にも、人生があって、生活があって、家族がいる。
ただのメイドではなく、サリーという女の子にも、ちゃんと人生があるのだ。
私はそれをちゃんと理解できていなかった。
妹の物語だと思っていたから。
ここに、イレギュラーな「私」が転生しているだけ、追加されているだけだと思っていた。
でも実際は違う。
「お姉様、行きましょう」
「あ、そうね……ごめんなさい。考え込んでしまっていたわ」
「私、お姉様のそんなところが大好きです。優しくて、誰かの為に一生懸命になるお姿をずっと見てきましたもの」
「そ、そうかしら……自分では、アリシアの面倒しか見ていなかったつもりだけど」
「ふふ、お姉様は、すごく優しくて、素敵な方です!」
妹と一緒に、私はサリーのところに行く。
廊下を歩き、ちょうどルイがサリーを部屋から出しているところだった。
サリーは一晩で憔悴しきっていて、いつもの明るい彼女ではなかった。
「サリー……」
私の声が聞こえたのか、サリーはこちらを見た。
その目に、みるみる涙がたまっていく。
「セシリア様……!お許しください、どうか、許して……!」
「サリー、どうして……」
「母が!母が病気だったんです!町の医者が診ても、駄目で、薬が欲しくて……!旦那様のお仕事で、薬が手に入るって言われて!」
「どうして、そんなことを信じてしまったの?本当に手に入るか、分からないことじゃない!」
だって、とサリーは泣きながら言った。
そこにはかつての彼女なんて、いなかった。
まるで老婆のような、欲望にまみれた、恐怖の存在しかいない。
「だって、他国の薬師が、魔術師が作った薬なら、それなら……!」
「そんな大そうなものが、お父様の手に渡るわけがないじゃない!うちはそんなに大きなことをしているわけじゃないのよ!」
「でも、でも、あの人が、教えてくれたんです……!町に来ていた、素敵な、あの人が!」
私は、サリーの言う人物とユーマッシュ様が重なった。
あの男前なら、女を落とすのは簡単だろう。
他国からも来ている。
サリーを誘惑して、彼女をこんなふうにしたんじゃないか、と私は思うのだった。