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第34話

朝からうるさい殿方の相手をして、すっかり疲れてしまった。

使い慣れたエプロンを手に取りながら、私は厨房のメイドたちに声をかける。

みんな、若いメイドばかりで、朝食の準備と朝の支度を両立するのが、大変そうだった。

可哀想に。

慣れたメイド長がいてくれたなら、話は違う。

お父様にお願いして、戻してもらうことはできないのだろうか。


兄がいるから、もう屋敷の警備は簡単でもいいかもしれない。

その分をメイドに回してもらって、少しでも負担を減らせないか。

少しでもあの兄にも働いてもらわなくちゃ。

それで費用も節約できるなら、一石二鳥じゃない?


朝食の準備をしながら、私はそんなことを考えたけれど、それは根本的な解決になっていないことにも気づいた。

この家は、経済的に傾いているのだ。

剣を振るうしか能のない兄が、お金を触ってしまったことが大いに関係ある。

どうして、剣を捨てて、お金を管理しようなんて思ったのだろうか。


兄のことだから、失恋のショックで実家に帰ってきた、というところなのだろうけど、ルイも騎士団に戻っていいと言っている。

それなら、席が空いているうちに、戻ってみてはどうなのかな。

もちろん、それは兄の人生がかかっているから、私が勝手にしていいことではない。

でも、家に!

お金がないのよ!


「セシリア様、こちらはもう私たちで準備いたしますので」

「あ、ごめんなさい。そうね、お願いしようかしら。アリシアを起こしてくるわ」

「はい、お願いいたします」


イライラしたまま、厨房にはいられない。

料理も満足に作れなくなってしまう。


それなら、と思って私は妹の元へと足を運んだ。

エプロンに油が飛び跳ねていて、それを見たメイドが気を利かせてくれたのだろう。

私は、自覚が足りない。

色々なところに。

だからいつも、ルイに怒られて、喧嘩する。


ルイは、人のことをよく見ているな、と思った。

私のこともそうだけれど、兄のことも。

人のことが好きだとは聞いたことがないけれど、やっぱり騎士団長としての能力が高いってことよね。

人の上に立つ人。

私はその人の妻になる。

妹の部屋に行く前に、私は自分の部屋に一度戻った。


貴族の令嬢は、みんなお化粧や着飾ることに、一生懸命だ。

きれいにしていれば、いい家に嫁ぐことができるかもしれないから。

この世界の女の子の生き方は、多くが決まっている。

特に、貴族の令嬢という括りにいる子たちはそうなのだ。

美しくあれ。

優雅であれ。

そうすることで、未来の栄光を掴める可能性が高くなる。


高いヒールの靴を選んで、流行のドレスを仕立てる。

色が綺麗だと評判のルージュを引いて、微笑む。

時に可愛らしい犬を飼い、時に可愛らしいバッグを握る。

そうやって、女の子だって戦場で生きているようなもの。


部屋に戻ったのは、鏡が見たかったから。

私は自分の部屋で、自分の顔を見た。

異世界の赤毛のアン。

家族でただ1人、赤毛に緑の瞳。

天然パーマの入った巻き毛は、雨が降ると最悪だ。

見た目だけは変えられないから、できるだけおかしくはないように努めた。

家の為、家族の為、妹の未来の為に。


1本だけ、お母様からいただいた口紅があったはず。

お母様の肌の色には似合わなかったから、ともらったもの。

確か、小物入れに入れっぱなしにして、持っていたはず。


荷物の中からそれを見つけて、私は口紅とにらめっこだ。

これが自分に似合うか分からない。

どんな化粧が似合うのかなんて、鏡を見ても答えが出ない。

自分は、答えを出してくれないから。

そこにいるのは、日本にいたかつての私と同じ。

答えを持たず、ただひたすら、なすがまま生きていただけ。


どこに行っても変わらないのは、当たり前だろう。

だって、中身が変わってないんだもの。

その口紅を塗ろうとした時、その手を止められた。

驚いて見れば、そこにいたのはアリシアだった。


「アリシア……」

「お姉様ったら」


微笑む彼女は12歳とは思えないくらい、愛らしくて、可愛らしくて、私の憧れだ。

金色の髪。

私も欲しかった。

青い瞳。

私も欲しかった。

でも、転生しても手に入らなかったもの。


「お姉様はこちらが似合います。見ててください」

「え?」

「ほら!」


妹は、気づかぬうちに大人の女性への階段を上っていた。

私の肌色や血色に似合う口紅やチークを、上手に選んでくれたのだ。


「使い方はお姉様から教えていただきました。でも、お姉様を一番よく知っているのは、妹の私ですよ」

「アリシア……」

「色合いを考えると、やっぱりこちらです!お姉様の髪の色と、瞳の色によく映える!」


妹にお化粧をしてもらうなんて、夢みたいだった。

本を開いた時、彼女はいつもキラキラ輝く存在で、私はその輝きを見ているだけでよかった。

いつでも本を開けば、そこには夢と希望が詰まった、彼女のストーリーがあったから、それで十分だった。

でも今は、そこに、私もいる。

私も存在しているのだ。


「すごい、いつの間にレディになったの?」

「うふふ、いつかお姉様を驚かせようと思ったんです」

「もう、心配ないわね、私がいなくても」


学園に行って、王子と出会っても大丈夫。

この子は、強く、しなやかに成長した。

でも、私がそう言うとアリシアは表情を険しくさせる。


「そんなことありません!私にはお姉様が必要なんです!」

「私はもうお嫁に行くのよ、アリシア」

「それは分かっています。でも、お姉様にはいて欲しいんです。ずっと……」

「甘えん坊ね」

「はい!アリシアはお姉様だけに、甘えん坊なんです!」


抱き着いて来る妹を抱きしめて、私は笑った。

この子が魔女に覚醒する日、私はどんな顔をするのだろうか。

でも、可能なら。


この子が魔女にならなくて済む方法を、見つけたい。


2人で手をつないで、食堂へ向かう。

食堂にはすでに、ルイと兄がいた。


「お2人だけですか?」


私が問いかけると、ルイは嫌そうな顔をする。

あのユーマッシュという男性が嫌いなのだろう。

分からなくもない。

確かに、あのユーマッシュという人は、慣れ慣れしくて、礼儀を知らない人だったから。


「アイツは用事があると言っていた」

「そうですか。つまりそれは、またこの屋敷に来る、と?」

「そうなるだろうな」


あの人が来ると、また一悶着ありそうだ。

でも兄はいつものように余裕のある顔で笑い、私の方を見てくる。


「いいじゃないかぁ、にぎやかで。セシリア、そのルージュはどうしたの?いつもと違うよねぇ」

「アリシアに塗ってもらいました」

「へぇ、妹に塗ってもらうなんて、とんだお姉ちゃんだねぇ」


もしも、この人が私の兄でなかったなら。

もちろん血はつながっていないのだけれど。

兄でなかったなら、ビンタくらい食らわせていたと思う。


「お前の肌色に合って……いいんじゃ、ないか?」


ムカムカしていた私に、そう言ってくれたのはルイだった。

ルイは恥ずかしそうに顔を逸らしていたけれど、真っ赤になっていたし、言葉は乱雑だけれど、しっかり褒めてくれていた。


「ありがとうございます……」

「お前は、健康的な色合いが……似合う」


彼は、本当に戦場で生きてきたのだろう。

こんな時、貴族の男性はどこまで続くのだろうか、と地平線を想像してしまうくらい、長く長く、お世辞を言うものだ。

でも、彼は言わない。

そういうことを、言わず、いつも本音と自然体だった。


「ねぇ、兄と妹の間で、夫婦の時間作らないでくれる?」


いつも雰囲気をぶち壊すのは兄だ。

この人には、雰囲気とか、空気とか、そういうものが分からない。

形のないものが特に分からないのだろう。


「うるさいぞ、カリブス!」

「僕はうるさくないけどね。とりあえず、ユーマは僕の客人として屋敷に招いたよ」

「お前がどうしても、と言うからな……」

「いいじゃないか、偶然の出会いって僕は好きなんだよね。とりあえず、しばらくの間だからいいじゃないか。護衛にもなりそうだしねぇ」


確かに、あの筋肉はなんでもできそう。

でも、あんな殿方を妹に見せても大丈夫だろうか。


私は、そっちの方が心配だった。


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