朝からうるさい殿方の相手をして、すっかり疲れてしまった。
使い慣れたエプロンを手に取りながら、私は厨房のメイドたちに声をかける。
みんな、若いメイドばかりで、朝食の準備と朝の支度を両立するのが、大変そうだった。
可哀想に。
慣れたメイド長がいてくれたなら、話は違う。
お父様にお願いして、戻してもらうことはできないのだろうか。
兄がいるから、もう屋敷の警備は簡単でもいいかもしれない。
その分をメイドに回してもらって、少しでも負担を減らせないか。
少しでもあの兄にも働いてもらわなくちゃ。
それで費用も節約できるなら、一石二鳥じゃない?
朝食の準備をしながら、私はそんなことを考えたけれど、それは根本的な解決になっていないことにも気づいた。
この家は、経済的に傾いているのだ。
剣を振るうしか能のない兄が、お金を触ってしまったことが大いに関係ある。
どうして、剣を捨てて、お金を管理しようなんて思ったのだろうか。
兄のことだから、失恋のショックで実家に帰ってきた、というところなのだろうけど、ルイも騎士団に戻っていいと言っている。
それなら、席が空いているうちに、戻ってみてはどうなのかな。
もちろん、それは兄の人生がかかっているから、私が勝手にしていいことではない。
でも、家に!
お金がないのよ!
「セシリア様、こちらはもう私たちで準備いたしますので」
「あ、ごめんなさい。そうね、お願いしようかしら。アリシアを起こしてくるわ」
「はい、お願いいたします」
イライラしたまま、厨房にはいられない。
料理も満足に作れなくなってしまう。
それなら、と思って私は妹の元へと足を運んだ。
エプロンに油が飛び跳ねていて、それを見たメイドが気を利かせてくれたのだろう。
私は、自覚が足りない。
色々なところに。
だからいつも、ルイに怒られて、喧嘩する。
ルイは、人のことをよく見ているな、と思った。
私のこともそうだけれど、兄のことも。
人のことが好きだとは聞いたことがないけれど、やっぱり騎士団長としての能力が高いってことよね。
人の上に立つ人。
私はその人の妻になる。
妹の部屋に行く前に、私は自分の部屋に一度戻った。
貴族の令嬢は、みんなお化粧や着飾ることに、一生懸命だ。
きれいにしていれば、いい家に嫁ぐことができるかもしれないから。
この世界の女の子の生き方は、多くが決まっている。
特に、貴族の令嬢という括りにいる子たちはそうなのだ。
美しくあれ。
優雅であれ。
そうすることで、未来の栄光を掴める可能性が高くなる。
高いヒールの靴を選んで、流行のドレスを仕立てる。
色が綺麗だと評判のルージュを引いて、微笑む。
時に可愛らしい犬を飼い、時に可愛らしいバッグを握る。
そうやって、女の子だって戦場で生きているようなもの。
部屋に戻ったのは、鏡が見たかったから。
私は自分の部屋で、自分の顔を見た。
異世界の赤毛のアン。
家族でただ1人、赤毛に緑の瞳。
天然パーマの入った巻き毛は、雨が降ると最悪だ。
見た目だけは変えられないから、できるだけおかしくはないように努めた。
家の為、家族の為、妹の未来の為に。
1本だけ、お母様からいただいた口紅があったはず。
お母様の肌の色には似合わなかったから、ともらったもの。
確か、小物入れに入れっぱなしにして、持っていたはず。
荷物の中からそれを見つけて、私は口紅とにらめっこだ。
これが自分に似合うか分からない。
どんな化粧が似合うのかなんて、鏡を見ても答えが出ない。
自分は、答えを出してくれないから。
そこにいるのは、日本にいたかつての私と同じ。
答えを持たず、ただひたすら、なすがまま生きていただけ。
どこに行っても変わらないのは、当たり前だろう。
だって、中身が変わってないんだもの。
その口紅を塗ろうとした時、その手を止められた。
驚いて見れば、そこにいたのはアリシアだった。
「アリシア……」
「お姉様ったら」
微笑む彼女は12歳とは思えないくらい、愛らしくて、可愛らしくて、私の憧れだ。
金色の髪。
私も欲しかった。
青い瞳。
私も欲しかった。
でも、転生しても手に入らなかったもの。
「お姉様はこちらが似合います。見ててください」
「え?」
「ほら!」
妹は、気づかぬうちに大人の女性への階段を上っていた。
私の肌色や血色に似合う口紅やチークを、上手に選んでくれたのだ。
「使い方はお姉様から教えていただきました。でも、お姉様を一番よく知っているのは、妹の私ですよ」
「アリシア……」
「色合いを考えると、やっぱりこちらです!お姉様の髪の色と、瞳の色によく映える!」
妹にお化粧をしてもらうなんて、夢みたいだった。
本を開いた時、彼女はいつもキラキラ輝く存在で、私はその輝きを見ているだけでよかった。
いつでも本を開けば、そこには夢と希望が詰まった、彼女のストーリーがあったから、それで十分だった。
でも今は、そこに、私もいる。
私も存在しているのだ。
「すごい、いつの間にレディになったの?」
「うふふ、いつかお姉様を驚かせようと思ったんです」
「もう、心配ないわね、私がいなくても」
学園に行って、王子と出会っても大丈夫。
この子は、強く、しなやかに成長した。
でも、私がそう言うとアリシアは表情を険しくさせる。
「そんなことありません!私にはお姉様が必要なんです!」
「私はもうお嫁に行くのよ、アリシア」
「それは分かっています。でも、お姉様にはいて欲しいんです。ずっと……」
「甘えん坊ね」
「はい!アリシアはお姉様だけに、甘えん坊なんです!」
抱き着いて来る妹を抱きしめて、私は笑った。
この子が魔女に覚醒する日、私はどんな顔をするのだろうか。
でも、可能なら。
この子が魔女にならなくて済む方法を、見つけたい。
2人で手をつないで、食堂へ向かう。
食堂にはすでに、ルイと兄がいた。
「お2人だけですか?」
私が問いかけると、ルイは嫌そうな顔をする。
あのユーマッシュという男性が嫌いなのだろう。
分からなくもない。
確かに、あのユーマッシュという人は、慣れ慣れしくて、礼儀を知らない人だったから。
「アイツは用事があると言っていた」
「そうですか。つまりそれは、またこの屋敷に来る、と?」
「そうなるだろうな」
あの人が来ると、また一悶着ありそうだ。
でも兄はいつものように余裕のある顔で笑い、私の方を見てくる。
「いいじゃないかぁ、にぎやかで。セシリア、そのルージュはどうしたの?いつもと違うよねぇ」
「アリシアに塗ってもらいました」
「へぇ、妹に塗ってもらうなんて、とんだお姉ちゃんだねぇ」
もしも、この人が私の兄でなかったなら。
もちろん血はつながっていないのだけれど。
兄でなかったなら、ビンタくらい食らわせていたと思う。
「お前の肌色に合って……いいんじゃ、ないか?」
ムカムカしていた私に、そう言ってくれたのはルイだった。
ルイは恥ずかしそうに顔を逸らしていたけれど、真っ赤になっていたし、言葉は乱雑だけれど、しっかり褒めてくれていた。
「ありがとうございます……」
「お前は、健康的な色合いが……似合う」
彼は、本当に戦場で生きてきたのだろう。
こんな時、貴族の男性はどこまで続くのだろうか、と地平線を想像してしまうくらい、長く長く、お世辞を言うものだ。
でも、彼は言わない。
そういうことを、言わず、いつも本音と自然体だった。
「ねぇ、兄と妹の間で、夫婦の時間作らないでくれる?」
いつも雰囲気をぶち壊すのは兄だ。
この人には、雰囲気とか、空気とか、そういうものが分からない。
形のないものが特に分からないのだろう。
「うるさいぞ、カリブス!」
「僕はうるさくないけどね。とりあえず、ユーマは僕の客人として屋敷に招いたよ」
「お前がどうしても、と言うからな……」
「いいじゃないか、偶然の出会いって僕は好きなんだよね。とりあえず、しばらくの間だからいいじゃないか。護衛にもなりそうだしねぇ」
確かに、あの筋肉はなんでもできそう。
でも、あんな殿方を妹に見せても大丈夫だろうか。
私は、そっちの方が心配だった。