「誰だ、貴様」
ルイフィリアは、その男をどこかで見たことがあるような気がした。
しかし、はっきりとは思い出せない。
一度しっかりと顔を見たことがあるならば、忘れることはないはずだ、とルイフィリアは思う。
それでこそ騎士団長、団長として人の上に立つならば、それくらいできるのが当たり前だと思っている。
だが、自分の記憶の中に、目の前の男ははっきりと存在しない。
道端ですれ違っただけか、遠征先で顔を見ただけか。
それくらいのことであれば、思い出せなくても仕方がないな、と彼は自分に言い聞かせた。
「名乗るような名前はないさ。俺は依頼を受けて、その商品を買い付けに来た。証明書もある。しかし、そいつに横取りされそうになってね」
「買い付け?父上はまだ戻っていないよ」
「そのうち戻るだろ。その時に持ってきた荷物の中に、俺が依頼を受けたものが入っているという話なんだ」
「ふーん。珍しいね。あまり父に、直接買いに来る人間はいないんだけど」
そう言うカリブスは、男の姿を見ていた。
倒れている男とは、格が違う。
自分たちと同じか、それ以上とも思ってしまうくらいの強さを感じる。
「希少なものなんだ。国王からの命令で来ている」
「国王から!?それならば、俺の耳にも入るはずだ!だが聞いていないぞ!」
「アンタんとこの王様じゃねぇよ。俺は他国の国王から命令されてるんだ」
男はそう言って、フードを取る。
紫の髪、黒い瞳。
異国の人間だとすぐにわかる容姿であった。
突飛な髪色の存在は、他国ではよく見るが、この国ではあまりいないのだ。
「他国の王となれば、話は違うか」
「まあ、正確に言うとうちの花屋に頼まれてね」
「花屋……?ああ、魔術師のことか」
「ちぃと違うが、まあ、そんなところだ」
カリブスは、ルイフィリアと目の前の男が話しているのを聞いていた。
他国には、国を支える魔術師が多くいるという。
この国では騎士団の方が地位は高いが、国によって大きく変わる。
魔術師が地位が高い国も珍しくはない。
「君さ、名前は?」
「ユーマッシュ。それだけで十分だろ」
「へぇ、いい名前しているねぇ」
目を輝かせてカリブスは言ったが、ルイフィリアは苦い顔をしている。
どう考えても、ルイフィリア、カリブス、ユーマッシュが並べば、おかしな名前じゃないか。
カリブスの美的センスは昔から疑わしかったので、ルイフィリアは当てにしていない。
「いい名前かねぇ。顔も知らねぇ親父が付けていったとかなんとかでね。まあいいわ、取り合えず、その男はどうする?」
3人の視線が、地面に倒れる男に集中した。
男は逃げ出す気満々だったのだが、この男たちに囲まれては逃げられない、と思う。
夜は更けて行った。
◇◇◇
セシリアは、アリシアの部屋で一緒に眠った。
この家はどうなってしまったと、言うのか。
こんな家になってしまっているなんて、思わなかった。
そして兄の、本当の兄の姿。
まさか、兄が騎士団だったなんて。
兄はいつものらりくらりとしていた。
だから、学園を卒業してしばらく家に戻らなくても、あまり気にはならなかったのだ。
正直な話、どこかで遊び歩いているんだろう、と誰もが思っていた。
しかし、実際は違ったのだ。
騎士団の中で五指の指に入るほど、と言えば、それはかなりの強さ、かなりの剣技を持っていることになる。
今でもルイが戻って欲しいと思うのだから、兄はそれだけ実力があって、それだけ信頼されていた証拠じゃないかな。
そんな人だとは思ってもみなかった。
同時に、恋もしていたなんて。
しかも、身分差の恋。
女の子はこんな話が大好きに決まっている。
お兄様の好きになった女性は、今、どうしているのだろうか。
もう一度出会うことは叶わないのだろうか。
「はぁ……」
「お姉様、眠れませんか?」
「ごめんね、アリシア。眠れなかった?」
「いいえ、私は大丈夫です。でも、お姉様の方が」
私は薄く笑って、アリシアを見た。
青い瞳は少し眠そうになっていて、下ろした髪はきれいな金色。
この金色の髪が、私は大好きだ。
生まれた時から、いいえ、この子が生まれる前から、本で読んでいた時から大好きだった。
アリシア。
世界は変わってしまっているかもしれないけれど、あなたはどうかこのままでいて欲しい。
そんなことを考えて、妹を抱きしめる。
いい夢を見たい。
痛くなくて、辛くなくて、花があふれていて、甘い香りがして。
そんな、夢を見たい。
私は気づけば夢の中に落ちていたのだと、思う。
朝になり、妹が私の腕の中で眠っているのを見た。
よしよし、と頭を撫でると私の腕の中でモゾモゾ動く。
その姿がとても可愛らしかった。
朝食の準備をしなければ、と思ってベッドから出る。
今日は、サリーが騎士団に引き渡されるから、忙しい日になるかもしれない。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
あんなにいい子だったのに。
赤毛にブラシを入れて、着替えを済ませる。
アリシアはもう少し寝せておこう。
階段を降りて、厨房へ向かう。
忙しそうな声がしていたので、サリーの抜けた穴を誰かが補っているのだろう。
私でよければ、力になりたかった。
「えっと、今日の朝食の人数は……」
兄とルイの分も含めて、と考えた時に後ろから声をかけられた。
知らない男の声。
「オネーサン!俺にも朝飯作ってくれる?」
「だ、だ、誰!?」
そこには髪を紫に染めた、若い男性が立っていた。
シャツの上からでも分かるくらいの筋肉!
す、すごい。
こんな殿方、見たことがない。
つまりは、貴族ではない可能性が高い。
顔は兄やルイとは、違う系統の男前だ。
日本で言うところの、体育会系とか、スポーツマンというか、そういう雰囲気だった。
「俺?俺はぁ」
「ユーマッシュ!!貴様、勝手に屋敷の中を歩き回るな!!」
ユーマッシュ?
聞いたことのない名前が、ルイの声で飛んでくる。
男性は声のした方を見ると、ニヤニヤしていた。
何なんだ、この人は。
「へぇ、やっぱり自分の婚約者に男が寄ってくるのは、面白くないわけなぁ」
「なんでお前は下品なんだ!」
「俺、貴族じゃねーし?ただの旅人だし?」
だし?と言いながら、彼はチラリと私を見てきた。
旅人、この筋肉質な体。
あ、と私は言葉をもらす。
思い出した。
「あなた、あの時の!」
「そ、オネーサン思い出してくれたぁ?」
アリシアとサリーと3人で出かけた時、ぶつかった人だ。
顔までは覚えていなかったけど、雰囲気を思い出す。
まさか、こんなに男らしくて、格好いい人だったなんて。
その時、私と彼のやり取りを見ていたルイが、みるみる青ざめて、そこから一気に真っ赤になった。
「お前は!!俺の妻という自覚があるのか!!」
「お~こわ!騎士団長が怒ってるぜぇ~こわ~!!」
「うるさいぞ、ユーマッシュ!!」
子どものように振舞う男性---ユーマッシュは、怒られているというのに、どこか嬉しそうだった。
ニヤニヤしたり、ニコニコしたり、まるで子どもだ。
それを怒っているルイとは、まるで兄弟のようである。
「あの、でも、どうして……ここに?」
「ん、俺さぁ、お使い頼まれ……」
「お使い!?」
まさに子どもじゃないか!?
彼の言葉を遮ってしまうくらいに、私は驚いた。
こんな筋肉ムキムキの成人男性に、お使いなんて頼める?
ルイは怒って筋肉質な肩を、バシリと叩いた。
「他国のことをベラベラ話すな!」
「あ、そーだったわぁ」
「まったく。セシリア、お前はまた別で説教だぞ!」
とばっちりだ。
どう考えたって、私はとばっちりにすぎない。
「ど、どうして、私も怒られなきゃいけないの!」
「他所の男に優しくするな!」
「優しく……?」
どこが?と言いたくなるのを止めた。
それを言ったら、彼がどれくらい怒ってしまうか、私には想像できたからだ。
そうしているうちに、またユーマッシュがニヤニヤ笑って、言う。
「嫉妬してるだけって言えば?」
「カリブス!!この家にある剣という剣を全部持ってこい!!」
「あ、それはちょっと待って~、俺、腕相撲の方が得意だからぁ」
「カリブス!!まだ寝てるのか!!」
ルイは兄を名前を叫びながら、去っていく。
その後ろをついていくユーマッシュは、まさに子どものようだった。
ニヤニヤ笑って、ルイに見えないように私に手を振る。
でもバレバレで、いい大人なのに、ルイから拳骨を食らっていた。
家の中が騒がしくなる。
ど、どうしよう。
お父様が帰ってくるまでに、みんな出て行ってくれるだろうか?