「あー疲れた、疲れたぁ。そうだ、美味しいクッキーがあるんだよね。ルイも食べるだろ?」
「カリブス、そういう状況ではないだろう?」
「あ、そうだね。どうする、この子。最近変な男がうちに近づいているって思ってたんだよねぇ」
「気づいていたなら、なぜ早く対処しなかったんだ」
兄とルイがそんな話をしながら、私はサリーに近寄ろうとした。
しかしルイに止められる。
「セシリア、近づくな。魔術か薬か、分からん」
「く、薬!?魔術!?」
「目的は分からないが、何かしらの干渉はされているだろうな。椅子に縛って、明日騎士団が引き受けよう」
ルイはサリーをロープで縛り、個室へ連れて行った。
何とことだ。
うちのメイドの中から犯罪者が出てしまった。
しかも、アリシアと一緒に王宮へ行くはずだった子が!
何が起きているというの?
こんなに世界が変わってしまって、本当にこの世界は大丈夫なの!?
「セシリア、疲れたから、クッキーとお茶にしようよ。美味しいのがあっただろ?」
「お兄様!こんな時に何を言っているんですか!」
「何って、もう何もすることは、もうないだろ?サリーは捕まって、明日騎士団に引き渡される。僕は疲れているから、お茶を飲む。ね?」
何が、ね?だ!
この人、本当におかしい!
さっきの動きだって、いつもの兄からは考えられない!
私は兄に詰め寄った。
「お兄様!さっきのは何だったんですか!?」
「何が?」
「何がって、いつの間に護身術でも習って……」
「何の話かなぁ。僕はよく分からないや。それよりも早くクッキーとお茶にしよう。そうだ、アリシアも呼んでくるか!」
兄は、まるで子どものような顔をして歩いていく。
私はそれでも引き留めようとしたけれど、サリーを部屋に入れて戻ってきたルイに止められた。
「カリブスに、紅茶を淹れてやってくれ」
「ルイ……」
「まあ、アイツの腕が鈍っていなかったことを俺も見ることができてよかった。あれくらいで疲れているとは思えないがな」
「ど、ど、どういうことですか?兄は、兄はあんな人じゃ……」
ルイは、お茶の準備ができたら説明してくれる、と言った。
説明があるということは、それなりのことがそこにあるのだろう。
しかし、兄は私たち家族に何も教えてくれていなかった。
もしかしたら、お父様だけは知っている?
いいえ、それだったら自分の事業を継がせようとか、傾かせてしまうまで任せたりしないだろう。
私は温かいお茶を準備して、テーブルに置く。
お兄様は、まだアリシアのところだろうか。
「………俺の弟と同級でな、アイツは」
「え、そうだったんですか?」
「ああ。初めて会った時は、まだ学園の頃……卒業間近の頃だったか。俺は騎士団で父の補佐をしていて、弟が学園を卒業したらそのまま騎士団に入団すると言っていた」
「そういう方は、多いと聞いています。学園の卒業と同時に入団される、と」
「そうだな。まあそれでも騎士団の入団試験に合格できる者は少ない。父は忖度をするような人ではなかったからな。俺の時も、弟の時も一切忖度しなかった」
騎士団への入団は、才能だけではないと聞いている。
実力も、人間性も必要だと。
特に、騎士団長は人間性を重視するとも噂で聞いた。
でも、それと兄がどう関係しているというのか。
分からない。
「弟が試験を受ける時、1人の男を連れてきた。それがお前の兄、カリブス・ウォーレンス。貿易商の息子だ」
「………は?」
「聞こえなかったのか?俺の弟が、騎士団の試験にお前の兄も連れてきたんだ」
「一発不合格ですか?もしくは試験すら、受けさせてもらえなかったとか?」
「シシィ、お前の兄に対する評価は、本当に最低なんだな。まあ確かに、今のアイツを見ればそうか」
ルイは紅茶を飲みながらゆっくりと話す。
それは、とても遠い昔を見ているような、懐かしさにあふれていた。
優しい、といえば、そうかもしれない。
「カリブス・ウォーレンス。貿易商の息子というから、俺も大した期待はしていなかったさ。でも、弟が必死になって連れてきた男だったから、入団試験を受けさせたんだ」
「はぁ……そ、そんなこと、だ、誰も、知りませんでした……。でも、試験は不合格だったのでしょう?あんな兄ですもの、騎士団だなんて」
有り得ない。
あの兄が。
あの、あの、兄が。
騎士団の入団試験を受けていたなんて。
「主席合格だ」
「はあぁぁぁ!!??」
「大声を出すな、お前の声は耳に障る」
「だって!だって!!あのお兄様が!馬鹿で!仕事ができなくて!モテなくて!」
「……もう、言うな。あの頃のカリブスは優秀でな。剣の腕ではすぐに、騎士団トップクラスになった。俺も何度か背中を任せたぞ」
飲んだ紅茶が逆流しそうだった。
嘘よ、お兄様がそんな。
騎士団だったなんて。
「で、でも!それならなんで、今!あんななんですか!!」
「シシィ、お前、兄に対して態度がひどいな」
「だって!私の知っているお兄様は、いつもあんなですよ!」
「あんなカリブスにも理由があるのさ」
「り、ゆう……」
子どもの頃から、私は兄がどんな人なのか、家の中にいる姿しか知らなかった。
あの人は、私にもアリシアにも興味がなくて、いつも家にいなかったから。
見える姿は、金色の髪を風になびかせて、ヘラヘラしている姿だけ。
父は兄に事業を任せて失敗した、と言うし。
私も兄のヘラヘラした態度に困っていた。
貴族の令嬢たちからも馬鹿にされ、嫁の1人も連れてこれない。
そんな人。
そんな人が、騎士団だった?
「遠征に行った先に、先住民がいてな。友好的だったんだが、他国の内戦に巻き込まれてしまったんだ」
「騎士団はそんなところにも、行っていたんですか?」
「多くはないがな。カリブスは、そこの先住民の娘と恋に落ちて」
「い、い、いやあああ!!!」
「叫ぶな!俺もまさかそんなことになるとは、思ってもみなかったんだ。騎士団五指の指に入るほどの剣士だぞ?それが先住民の娘に惚れ込んだ」
「なんで、なんで、そんな物語みたいなラブストーリーをお兄様が!?」
そんなラブストーリーって、美味しすぎない!?
私の大好きなストーリー展開ではない!?
身分差の恋!?
それがこんな身近に!?
「お前、時々おかしくなるな」
「へ!?あ、き、気にしないでください……そ、そ、それだけ驚いているんです」
「そうか?まあ、カリブスはその娘と結婚するつもりで、連れて行こうとしていたんだがな」
「だがな?」
それって、まさかの急展開!?
2人の間に何があったの!?
惹かれ合う2人の間に、何が起きたというの!?
私はとにかくお兄様と先住民の娘の恋の行く末が気になって、気になって、仕方がない!
「娘の父親から、結婚を反対され、ついに連れてくることはできなかった。アイツはそれ以来、あんな風になってしまったんだ」
「いやあああ!!!2人の間に大きな障害!!真実の愛!!」
「カリブスは家業を継ぐからと言って、急に騎士団を抜け、それ以来、腑抜けているぞ」
「これは、お兄様の恋を成就させなくては!!!」
「目的が変わっているぞ、セシリア!」
「はッ!?つ、つい……」
つい、転生前の性格が出てしまった!
でも、お兄様のこんな話を聞いて、興奮しないわけがない!
普段のあの馬鹿な姿は、仮の姿!
本当は騎士団で優秀な騎士、失恋が人生を狂わせた!!
なんてラブストーリーなの!?
「俺としては、騎士団に戻ってもらいたいのだが、アイツの意志で戻らないようだ。どう考えても、家業を継ぐ才能など、ないはずなのにな」
「それは同感です!兄に商才はございません!」
「お前からも言ってくれないか、騎士団に戻れ、と」
「言ってもいいんですか?多分、はぐらかされてしまうのではないかと……」
それもそうだな、とルイは困ったような顔をしていた。
兄は、自分が騎士団であった期間は短いから、知らぬ者には教えないでほしい、と言って騎士団を去ったらしい。
それ以来家業を手伝っているけれど、彼には剣を振るう方がよかったのかもしれない。
兄の恋バナを聞いて、私はちょっと兄への見方が変わっていた。