「セシリアの安っぽい焼き菓子でいいなら、これから先もたくさん食べられるだろぅ?」
兄が私たちの間に入り込んで、そんなことを言い出した。
ちょ、この人、なんなの?
そう思ったのは、私だけじゃなかった。
ギロリ、と見たこともないような、恐ろしい目でルイが兄を睨んだのだ。
「ちょっと、こっちに来い」
「ん~?」
「いいから、来い!貴様には、兄たる姿を教え込んでやる!!」
ルイは兄のネクタイを引っ張り、引きずって行ってしまう。
兄はそれでもよく分かっていないのか、ヘラヘラしていた。
「ルイ!」
「セシリア!お前は黙っていろ!お前の兄は、馬鹿の度合いが過ぎる!」
一応止めたのだけれど、彼は兄を引っ張って行った。
どうなってしまうのか、私には分からない。
アリシアも驚いた目で見てはいたが、何も言えないようだった。
あんなに恐いルイを見るのは、初めてかも。
戦場とはまた違う意味で、恐いんじゃないだろうか。
「お姉様、あの、グラース様は……」
「えっと、そうねぇ?」
「お兄様も、どちらへ……」
「えっと、殿方同士で話したいことがあるみたいよ?」
「はあ……」
「私たちは、お茶にしましょうね。その後は、そうね、刺繍でもしましょうか。新しい刺繍糸も買ったから」
私は、アリシアと一緒にお茶を飲む。
買って来たクランベリーパイを食べてみたけれど、確かに私が作ったものとは味が違う。
美味しいけど、ルイは私の方が好みだったのかな。
それは、それで、嬉しいというか。
アリシアがお茶を飲み終えてから、場所を移して、部屋で刺繍を始めた。
新しい糸をアリシアと一緒に見て、微笑む。
とても微笑ましい時間。
温かくて、幸せで。
「ここには赤い糸を入れて……」
「お姉様は、グラース様がお好きですか?」
「え?どうしたの、急に?」
丁寧に針を刺しながら、妹は急にそんなことを聞いてきた。
熱心に刺繍だけをしている、と思っていたから、少し驚く。
「……正直、まだよく分からないの」
「そうですか……」
「ただ、グラース家での生活は、想像していたものとは違ったわ。なんていうのかしら、今までとは違うというか」
「やっぱり、こちらに戻ってくださることは……ないんでしょうか?」
「アリシア……」
妹は、針を一刺し、一刺ししながら、両目にいっぱい涙をためていた。
寂しかったのだろう、と思う。
私の顔を見ようとしないのは、我慢しているから。
この子は、我慢する時はそういうところがあるのだ。
わがままを言う時は、まだいい時。
「お姉様がいないなんて……いない、なんて」
「アリシア、今は辛いかもしれないけれど、いつかあなたもお嫁に行くのよ。私が先に生まれたから、先にお嫁に行くだけ」
「でも!でも、お姉様、グラース様はお姉様より10もお年が上なんですよ?そんな殿方のところに行かなくても!」
そう。
私とルイは、年の差婚なのだ。
でもこの世界では、よくある話。
むしろ18まで嫁に行かなかった私も不思議な存在で、28まで嫁を迎えなかったルイも不思議な存在なのだ。
「年の差は、正直、あまり気にしていないのよ」
「気にしていないって、10もですよ!?」
「アリシア、そんなに言わなくても……」
「信じられない、私のお姉様が、そんな男のところに行くなんて……!」
アリシアは、急に本音を叫んだ。
年の差婚を気にしていたのだろうか、と疑問が湧いたけれど、今までそんなことを言うような子じゃなかった。
「私のお姉様です!幸せになっていただかないと、困ります!」
「な、なにを困るっていうの、アリシア?私よりも、お兄様の方が早く結婚した方がいいわ」
「お兄様なんてどうでもいいんです!大事なのはお姉様です!!」
刺繍の布をテーブルに叩きつけるようにして置き、アリシアは私に向かって必死になっていた。
でも、確かに私がまともな結婚をしなければ、この子だって王子と結婚する時に恥ずかしい思いをしてしまうわよね。
少しそのことを気にしたけれど、ルイなら大丈夫だと思う。
年は離れているけれど、ルイは立派な騎士団長だ。
地位も名誉もある人だから、多少年齢が離れていても、おかしくはないはず。
「あのね、アリシア。ルイは年こそ離れているけれど、立派な騎士団長だし、グラース家は立派だし、大丈夫よ。心配ないわ」
「そんなことを言っているんじゃありません~~!!」
「国王からの信頼もあるし、ルイは立派な殿方よ。だから、そんなに心配しなくても、あなたがお嫁に行く時に恥ずかしいことなんてないわ」
「私のことではなく!お姉様のことです!!」
ジタバタと幼子のように地団太を踏んで、アリシアは叫ぶ。
そんなに私の結婚を心配していたなんて。
今まで心配をかけすぎていたのだろう、と思ってしまう。
まだ12歳の妹にこんなに心配されて、私は悪い姉だ。
「お姉様は幸せになるべき人なんです!!」
「私は十分幸せよ。あなたの姉でいられて」
「もっともっと幸せな結婚をすべきなんです!!」
この感じ、もしかしたら私の知らないところで、何か本でも読んだんじゃないだろうか?
それともサリーたちメイドの自由な恋愛でも、見てしまったのかしら?
アリシアの叫びを聞きながら、この子はどこでそんな知恵をつけたんだろう、と思う。
もしかしたら、いつまでも結婚できない兄のことも影響しているかもしれない。
父や母が何か話をしたのかも。
メイドの噂話や、同年代のご令嬢から何か聞いたのかな。
「とにかく、アリシア、落ち着きなさい。グラース家は我が家よりも地位が高いお家柄よ。失礼なことを言ってはいけません」
「でもぉ……お姉様が」
「私は大丈夫。上手くやれます。辛くなったら、あなたに手紙を書くわ」
「本当ですか?」
青い瞳が私を見つめている。
当たり前じゃないか。
それが、私の異世界転生した一番の特権!
お姉ちゃん特権なのだ。
「もしかしたら、たくさん手紙を書くかもしれない」
「私も、たくさんお返事いたします!」
「でもいつか、手紙が来なくなる日を願ってちょうだい」
「……お姉様」
その意味が、12歳の少女に分かるだろうか。
結婚した先で幸せになって、愚痴をこぼす手紙が必要なくなる日が来ること。
その日が来た時、アリシアは受け入れてくれるだろうか。
「私」
「うん、どうしたの」
「グラース様のお顔が嫌いです」
「な、なにを突然!?」
「だって、いつも睨んでて、恐くて、目つきが悪くて。それを素敵だという子もいましたけど、私は嫌いです」
「そ、そんなに嫌いだったの……?」
「私をネズミと言いました」
「そ、そうだったわね……」
ルイの口の悪さには、私も悩まされる。
でもそれは、彼が戦場で育ってきたから致し方ないところもあるのだ。
「あの真っ赤な目は、お姉様を飲み込んでしまいそう」
「え?」
「あの真っ赤な目が、お姉様を全部食べてしまいそうだと思うんです」
「そんなことは……」
私は、妹の中に、妹とは別の存在を感じた。
それは、とても遠くを見ていたから。
遠くを見て、私のことを言いながら、きっと自分自身のことを言っているのだろうと思う。
いつの日か、自分が魔女として覚醒した時に、ルイはその命を狙う。
それが分かっているのかもしれない。
でも、それは、覚醒してみなければわからないことでもある。
「アリシア」
「はい……」
「あの人の目は、この国を必死に守ってきた目よ。私たちの代わりに、この国の盾となって生きてきた証拠。今度、どんなものを見てきたのか、しっかり聞いてみるわ」
「お姉様は、あの目が恐くはないんですか?」
不思議そうに妹は聞いてくる。
恐い時もある。
恐くない時もある。
どちらもある。
それが、あの赤い瞳なのだ。
「きれいだと思っているわ」
だから、私はそう答えることにしている。