呑気なことを言っている兄を横に、私はどうしようかと思った。
異常事態だ。
今まで、こんなことは有り得なかった。
メイド長がいなくなったせいなのか、メイドがハサミを盗む?
でも、正直なところまだメイドと決まったわけではない。
『誰か』が盗んだことは事実だけれど、不安なのは物がなくなったことじゃない。
それで『何を』しようとしているのか、ということだ。
私はそっちの方が不安でたまらない。
アリシアが狙われたら、と思うと不安なのだ。
私がいる間なら、なんとか助けようと思う。
でも私がルイのところに戻った後に、何かが起こったなら。
「お兄様。お父様がいらっしゃらない間は、お兄様が家を守らなくてはいけないですよ?分かっていますか?」
「分かってるよ。でも、護衛も半分くらい辞めてしまったからなぁ」
「半分も!?」
「お前は嫁に行く、アリシアは学園に行く。人間が減るから別に構わないだろ」
「どうして、そんなに楽観的なの……」
ここは貴族の家だぞ。
狙われたらどうするんだろう?
それだけこの家が傾いているのだろう。
兄は何食わぬ顔をしていて、分かっていなさそう。
グラース家が支援してくれるから、大丈夫だって思ってるのかもしれない。
「お兄様、アリシアの入学はもうしばらく先ですよ。まだ時間があります」
「まあ、そうだけどさ。そんなに気にすることでもないだろ」
「お兄様!」
「大きな声を出すなよ。本当に、ルイは変わった男だよ。なんでお前みたいなのを嫁にもらったのかな」
なんて男。
モテないのがよく分かる。
その金髪と青い目は、完全にお飾りだ。
とにかく私は、兄に状況を説明し、またアリシアの手を取った。
「お兄様、もしもお兄様が刺殺されても、私は知りませんからね」
「なんで僕が刺されるんだよ!」
「知りません!お兄様がボーッとしておられるからじゃないですか!」
私はそう言って、兄の部屋を出た。
アリシアは不思議そうな顔をして、私を見ている。
「お姉様、ハサミがなくなったくらいで、そんなに怒らなくても」
「……何も起こらなければ、いいのだけれど」
「そうですけど……」
「アリシアも気をつけるのよ。メイド長がいない今、メイドたちも不安がってる。そんな時に何かあったなら、どうなるか分からないわ」
小さな手を握り、私は妹と一緒に歩いた。
この子は、どんなことがあっても守る。
守らなきゃいけない。
でも、本当に守れるのか。
そんな不安がないわけじゃ、ないのよ。
「アリシア、朝食にしましょう」
「はい」
「……アリシア、気にしなくていいのよ。お父様が戻れば、私からも色々話をしてみるわ」
「……はい」
妹を不安がらせるなんて、駄目ね。
こんなことじゃ、この子を守るなんてできない。
アリシアのハッピーエンドを守るのは、お姉ちゃんの大事な役目なのよ!
アリシアと一緒に食堂へ行くと、柔らかいパンが焼いてあった。
パンとスープ、オムレツ、フルーツ、と質素なものが並んでいる。
私たちにはこれくらいが、ちょうどいい。
フルーツがあるのは、アリシアの体にとってもよさそうね。
2人で並んで朝食を食べ、その後は買い物に行こうという話になった。
結婚式用のドレスを仕立てる為だ。
アリシアに似合うドレスを作って、この子にも結婚式を楽しんでもらいたい。
食事が終わってから、私はアリシアの着替えを手伝い、支度を整える。
サリーに付き添いを頼み、兄にも出かける旨を伝えた。
兄は心ここにあらず、とまでは言わないけれど、机に向かっていたかと思えば窓辺に座って見たり、何かの物語に出てくる旅人のようにしている。
風来坊になるほどの度胸もなく、ただ家の事業を食いつぶしているというのが、真実なのだけれど。
どうにかならないものだろうか。
馬車を出してもらい、街まで出る。
アリシアはまだ腕に包帯を巻いてこそいたが、不自由はないようだ。
サリーは滅多に乗ることのない馬車に乗れて、とても嬉しそうだった。
「アリシア様、何色のドレスにしましょうか!?」
「黄色にしようと思うの!」
「きっとお似合いになります!」
可愛らしい2人はニコニコしながら、ドレスの話をしている。
私は無理に話をする必要性がないから、楽なものだった。
馬車の中、いつ頃グラース家に戻ろうか、と考えた。
妹のことは心配だけれど、私も結婚式を控えている。
どんなにグラース家で準備をしてもらっているとはいえ、何か手伝うことがあるだろう。
マリアさんの手伝いくらいはできるだろうし……。
馬車を降り、3人で仕立屋に入った。
きれいな布が多くあり、あれもこれも欲しくなってくる。
ルイだったら全部買ってやる、と言い出しそうだけど、そんなには要らないかな。
でも、女の子なら一度はこんなにきれいな布でドレスを作ってもらいたい、と思うはずだ。
「お姉様、ここにリボンをつけてもらってもいいですか?」
「もう少しこっちにしてみたら?」
「はい!」
鏡の前で、アリシアはニコニコしている。
それを見て、私も満足だ。
サリーもそれを見て、微笑んだ。
アリシアのドレスは1週間ほどでできあがる。
できあがったら、仕立屋が自宅まで持ってきてくれるという。
それができあがってから、グラース家に帰ろうかな、とも思った。
仕立屋を出て、私は2人に声をかける。
「郵便を出してきてもいいかしら」
「手紙ですか、セシリア様?」
「ええ。すぐに終わるわ」
ルイへの手紙は簡単にしか書かなかった。
時間がなかったこともあるけれど、何をどう伝えたらいいのか、分からない。
妹と同じように書くことはできないし、その、ラブレターなんてものは転生する前も今も書いたことがないのだ。
恥ずかしい。
夫になる人に手紙を書くなんて。
でもこの世界にはスマホや電話なんて一切ない。
インターネットというものがないのだから、手紙を書くしかないのだ。
中には詩を作って歌うという貴族もいるみたいだけど、そんなのは嫌。
恥ずかしすぎる。
お兄様が何度か詩人に依頼していたけれど、毎回玉砕。
お金だけが散っていった。
近くで手紙を受け付けてくれているところがある。
日本でいうところの郵便局だ。
私は手続きをして、支払い、2人のところへ戻ってきた。
3人で笑いならがら歩き、お菓子屋さんに寄ろうと提案するとアリシアが喜ぶ。
街で人気の菓子屋に入ると、焼き菓子がたくさん置いてあった。
「お姉様、これを買ってもいいですか?」
「あら、クランベリーパイですね!美味しそう!」
アリシアが欲しがったものは、クランベリーパイだった。
ルイもこれが好きだったな、と思う。
それなら手作りできる、と思った時に、この街でクランベリーを仕入れるのが難しいことに気づいた。
地域の違いは大きい。
そこでできる農作物の差が、とても大きいのだ。
「たくさん買いすぎては、駄目よ。家でも作れるものは、あるんだからね」
「お姉様のお菓子も、すごく好きです……!」
「食べすぎては駄目よ。そうだわ、メイドのみんなにも買っていきましょうか。お土産があった方が、たまにはいいわよね」
私は幾つかの焼き菓子を選んで、メイド用に包んでもらった。
それを受け取ったサリーは、笑顔で喜んでいる。
3人で店から出た時、私は人とぶつかった。
それはまるで、ルイと街に出た時のように。
本当にあの時と同じように、ぶつかった相手に助けてもらう。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「あ、はい、すみません……」
「気をつけな。お嬢さんなんだからな」
「はい……」
深くフードを被った男性は、マントから出た腕がとても逞しい。
この人は、普通の人ではないんじゃないか、と思ってしまう。
奥に見えた目が、まるで人を射抜くかのような目をしている。
ルイとは少し違うけれど、似ているような。
「すみません、あの、その」
「じゃあな、お嬢さん」
「は、はい……」
この人、あの街で会った人じゃないか、と思ったけれど、はっきりとは分からない。
あの時のこともよく覚えていないし。
旅人だろう、と思って、私は早く家に帰りたいと、感じるだけしかなかった。