夕食が終わり、妹が眠ったのを確認してから私は自分の部屋に戻った。
そして、ポケットの中から引き裂かれたドレスの一部を見る。
まさか、あの子が。
分からない。
それが事実か分からない。
証拠がない。
ただ、そこに切れ端があっただけ。
自室で、裂かれたドレスを開く。
同じ生地。
ああ、同じものだ。
違うものであったらよかったのに、と思ってしまう。
でも、こうなってしまったなら仕方ない。
私は、裂かれた布を眺め、こっちはリボンに、こっちは紐に、と様々なことを考える。
赤い生地が、ルイの目を思い出させた。
いや、彼の目はもう少し澄んでいるかも。
私はそんなことを考えながら、針と糸を引っ張り出してくる。
私に縫物を教えてくれたのは、メイド長だった。
母はあまり得意ではなかったので、年配のメイド長が縫物や刺繍を教えてくれたのだ。
あの人はとても多才だった。
本当にメイドなの?と疑問に思ってしまうくらい。
彼女は、丁寧に教えてくれて、教え方も上手かった。
まるで教師のように、褒めてさえくれる。
私は養女だけれどこの家の娘だから、褒めるのは当たり前だと誰もが思うだろう。
でも違うの。
あの人は、私の間違えも正してくれるし、𠮟ってもくれた。
きっと、私が養女で苦労すると分かっていたからじゃないだろうか。
でも、あの人はもういない。
父が辞めさせてしまったから。
あの人は、私にとってもう1人の母と言っても、過言ではない。
でもそんなこと、家族の誰も知らないことだろう。
今頃、田舎に帰っているのだろうか。
それとも、他所の屋敷でメイドをしているだろうか。
安否だけでも知りたいな、と思いながら、針を進める。
時間が深夜になった頃、私は物音に気付いた。
嫌だな、何の音?
でも、メイドの数を減らしてしまっているから、正直なところ恐い。
何かあったなら、対処できる人間が、兄しかいないじゃないか。
兄なんかじゃ役に立たないかもしれないけれど、どうしよう。
兄に声をかけようか。
部屋の窓から外を見ると、ポツ、と外に小さな灯りが見えた。
灯り?ということは、人がいるのではないか。
誰かが何かの作業をしているならいい。
メイドが片づけをしている、とか。
でも、こんな時間に見回り以外では何もしないだろう。
私は確認だけのつもりで、部屋を出た。
夜は冷える。
自分のランプを握り、どこかに人がいるのではないか、と思って歩き出す。
強盗とか、そんなのじゃないといいな。
きっと、メイドの誰かが明日の仕込みをしているんだ。
いいことを考えよう。
長い廊下を歩き、一番端の窓へ来た。
窓の外に人影が見える。
慌てて隠れると、外に人が2人いるようだ。
こんな時間に2人、となれば想像できるのは逢引だ。
メイドの誰かが、誰かと逢引しているのは、よくある話。
気づかれないように、静かに視線を向けると、そこにいたのはサリーだった。
サリーの悪い噂を思い出す。
あ、もしかしてアレは本当の話だったの?
あの真面目なサリーが、危ない男と会っている?
でも、もしも彼女が本気なら、それはそれでいいんじゃなかろうか、と思う。
男の顔はよく見えなかったけれど、とても体格がよくて、身長が高い。
フードを被っているから、鼻があるのは見えるけれど、それ以上は見えないといったところだ。
サリーも年頃だから、恋をすることもあるだろう。
物音の正体が分かったから、私は安心して戻ろうと思った。
でも、少しだけ嫌な予感がする。
怪我をした妹。
裂かれたドレス。
人数が減ったメイド。
両親がいない。
兄は頼りにならない。
私が、グラース家から戻っている。
なんとなく、すべてが重なっているような。
そんな気がする。
そんな、悪い予感。
胸元の赤いペンダントが、熱くなる。
部屋に戻ろう、と思ってとにかく急いで踵を返す。
部屋のドアには鍵をかけ、すぐにベッドに入る。
ペンダントを握り締めて、布団の中で祈った。
ああ、神様。
そもそもこの世界に神様はいるのか?
それは謎だけれど。
でも、神様。
お願いです。
どうか、何もありませんように。
◇◇◇
目が覚めた時、私は朝が来ることができてよかった、と思った。
こんな朝は初めて。
急いで着替えて、妹の部屋へ走った。
妹は、まだしっかり眠っていた。
可愛い寝顔は、何も変わらない。
「アリシア、朝よ」
「う、ん……もう、朝、ですかぁ」
「うん、そうよ。起きなさい」
「はい、お姉様!」
ニッコリと微笑んだアリシアは、起床し、着替えを始めた。
私が教えたから、ある程度は1人でできるのだ。
だから、メイドがいなくても日常的な着替えは自分でできる。
「お姉様、ここにあった私の裁縫道具を持っていきました?」
「いいえ、自分のものを使ったけれど」
「そうですか。ハサミがなくなっているような……」
「どうしたの、アリシア?」
「あの、ハサミがないような気がするんです。どこかに置いたかしら」
ハサミがない?
どういうこと?
「お姉様、私の裁縫道具って、ハサミは入っていましたよね」
「ええ、入っていたはずよ。誰かに貸したんじゃないの?」
「そうだったかしら」
アリシアは首を傾げ、それでも着替えを済ませて一緒に食堂へ移動した。
私の頭の中は様々なことが入り乱れている。
きっと、そのハサミは私のドレスを切り裂いたものだ。
そんなこと、正直、もう、どうでもいい。
そのハサミは。
「今、どこにあるの?」
「え?お姉様?」
たった1本のハサミ。
でもそれは、ドレスを裂くだけではなく、人を傷つけることもできる。
貴族の持っているハサミだから、切れ味もいいし、刺そうと思えばいくらでもできる。
そんなものが、なくなったなんて。
「アリシア、絶対に私から離れては駄目よ」
「お姉様?」
「誰かが、あなたのハサミを持っているのかもしれないわ」
「え、なんの為に……」
「考えなくていい。とにかく、一緒にいて。お兄様も呼びましょう」
妹の手を握り、兄の部屋へ急いだ。
兄の部屋のドアをドンドン叩き、寝間着姿の兄があくびをしながら出てくる。
「なんだい、2人とも。まだこんな朝だぞ?」
「お兄様!とにかく部屋に入れてください!」
「え?ちょ、ちょっと、待てよ、セシリア!」
私は妹を引き連れて兄の部屋に入った。
ドアに鍵をかけ、妹をソファーに座らせる。
「お兄様、最近屋敷の中がおかしいんじゃないですか?」
「え~、そうかな?」
「そうかなじゃなくて!」
「特にはおかしいとは思わないって意味だよ。まあ、父上がメイドを幾人か辞めさせちゃったけどさ、それくらいだよ」
厳しい目がなくなって、何かが変わってしまったのかもしれない。
私はそんなことを思う。
妹のハサミがなくなるなんて、有り得ない。
窃盗にもなるし、もしかしたら。
そんなことを思う。
「物は何もなくなっていませんか?」
「物?そんなのみんな、メイドに任せているだろ?」
兄はそう言って、アリシアを見る。
アリシアも、幼い顔で頷いた。
「そうなると、アリシアのハサミを盗んだのはメイドになります」
「おいおい、ハサミの1本や2本、大したことじゃないだろ?」
「……アリシアの使っていたハサミは、ウォーレンス家に代々受け継がれてきたハサミです。銀でできたハサミですよ」
高級品であり、受け継がれてきたものだから、なくなったりしたら大きな損失なのだ。
あれも我が家の財産なのである。
それをメイドが盗んだとなれば大事だ。
でも私が焦っているのは、盗みではない。
私のドレスを引き裂いたこと。
その先にあることは、誰かを傷つけることではないか。
「銀かぁ。それは高いものだろうね。父上に怒られるぞ、アリシア」
「私はなくしておりません!ちゃんと片付けていました!」
つまり、所在が分からなくなったことと、その理由が分からない。
この世界、あれくらいのハサミでも簡単に人を傷つけることができる。
できることなら、そのまま盗まれて、売られてしまった方がマシだと私は思った。
「お兄様、気を付けてください。メイドの誰かが、銀のハサミを持っている。そのハサミを何に使うか分かりません」
「うーん、持っているのが分かったら、処罰だよなぁ」
呑気に言っている兄を見て、私は大きなため息をついた。