「奥様、どうしたんですか?え、どうしてお荷物を?」
「マリアさん!」
私が慌てて実家へ帰る準備をしていると、慌ただしさに気づいたマリアさんがやってきた。
とても深刻そうに、真っ青な顔をしている。
「ま、まさか坊ちゃまと喧嘩を!?私から坊ちゃまに申し上げてきますから、どうか出て行かないでください!!」
「え?」
「奥様、坊ちゃまは素直じゃないんです!でもとってもいい子なんですよ!きっと口下手で、奥様を傷つけるようなことを言ったんでしょう!?」
事情を知らないマリアさんは、きっと私がルイと喧嘩をして彼の元を去ると思ったようだ。
慌てたマリアさんは涙目になって、私の手を握り締めてくる。
「マリアさん、心配しないで。私はちょっと実家の妹に会いに行ってくるだけです」
「ほ、本当ですか、奥様?」
私はしっかりとマリアさんの手を握って、事情を伝えた。
その時、部屋のドアが勢いよく開く。
「マリア!セシリアに何を言っている!」
部屋に入ってきたのは、きっとマリアさんの話を立ち聞きしていたルイだ。
顔を真っ赤にして、焦ったように部屋に入ってきた。
「坊ちゃまぁ!!だって奥様が出ていってしまうなら、どうしようかと思ったんです!!坊ちゃまはすぐ誤解されるから!!」
「俺は誤解されていない!」
「大旦那様も、坊ちゃまのことはずっと心配されていて……!」
「マリア!」
ルイは真っ赤な顔をして、マリアさんの腕を引っ張る。
私のことを見て、モゴモゴしていた。
とても気にしていたのか、顔が真っ赤だった。
「マリアが言ったことは!!き、気にするな、よ……!」
「は、はい……」
マリアさんはルイに引きずられて行き、私はポカンとしてしまった。
ちょっと2人のことが可愛いな、と思ってしまったのは黙っておこう。
私は実家に帰るための準備を進めたが、ルイのことも気になる。
マリアさんがあんなに慌てるくらい、彼は人から誤解を受けるのだろうか。
確かに、噂では戦場のライオンだとか、恐ろしい話ばかりを聞いていた。
この国を守る騎士団の長。
だから仕方ない。
恐ろしい血まみれの男だと、貴族の令嬢たちは笑いながら言っていた。
私との結婚が決まった時、ご令嬢たちが馬鹿にするような手紙を送ってきたのも事実だ。
馬鹿にしながらも、結婚式には呼んでもらえると思っているのである。
確かに、ルイは口が悪いし、言葉も少ないし、あんまり多くを話そうとはしてくれない。
でも少しずつ同じ時間を過ごすと、分かってくることもある。
彼は悪い人ではない。
むしろ、いい人だ。
領地のことも、家のことも、そして結婚相手の家のことまで考えてくれている。
こんなにいい人のことを、悪く思ってはいけないだろう。
荷物を握って立ち上がり、部屋を出る。
頭の中は、妹のことと、ルイのことが交互に浮かぶ。
どちらも私にとっては、大事な存在になっているんだな、とも思った。
廊下を歩いているとハンスがやってきた。
荷物を持ってくれて、馬車の準備ができていると説明してくれる。
「すみません、急にこんなことになってしまって」
「いいえ、奥様。お気になさらないでください」
「ありがとう……」
ハンスが馬車に荷物を乗せている時、マリアさんが急いで包んだお菓子を持たせてくれた。
必ず帰ってきてくださいね、とマリアさんは涙ながらに言ってくる。
「奥様~!!」
「ちゃんと戻りますよ、安心して、マリアさん」
「必ず!必ず!!帰ってきてくださいね!!」
もらったお菓子も馬車に乗せ、そろそろ出発しようか、という時にルイが来る。
真剣そうな面持ちは、ご令嬢には受けない恐ろしい顔だろう。
「セシリア」
「ルイ……」
「帰る時は一報を寄越せ。迎えに行く」
「あ、ありがとう……」
「これを」
ルイは彼の瞳の色と同じ赤いペンダントを私にくれた。
この赤いものは、何かな。
多分、ルビーとかそういった、高い宝石じゃないかなぁ。
「グラース家の宝石だからな。失くすなよ」
「な、失くしませんって!」
「ふ、気を付けて行ってこい」
「はい!」
馬車に乗って、窓からルイに手を振る。
彼が小さくなっていくのが、とても寂しいと思ってしまった。
馬車の中で、私はルビーのペンダントを見る。
これを見つめると、彼の赤い瞳を思い出す。
「きれいね……」
彼の瞳は、とてもきれいなのだ。
揺れる馬車の中、私は妹の怪我を心配していた。
あの子が怪我をするなんて、何があったというのか。
そんなことにならないように、しっかりと育ててきたと思っていたのに。
階段を踏み外したのか。
廊下で滑って転んだのか。
様々なことを考えていたけれど、答えは出ない。
ああ、心配だ。
私のアリシア。
どうして、こんなことになってしまったの?
こんなことじゃ、私は安心してお嫁には行けないし、あの子を学園に行かせられるわけがない!
学園ではもっとひどいイジメや裏切りが待っているんだから!
私はそんなことを考えながら、馬車の窓から外を見る。
外は少し曇り空、まるで私の心みたい。
妹のことを心配しすぎだと、周囲からは言われてきたけれど、あの子はただの妹ではないのだ!
私の最大の推しなのだから、そんな子の心配をしないわけがない。
もしかしたら、もうすでにライバル?からのイジメなんかが始まっているんじゃなかろうか。
もしもこれが劇場版だったりしたら、有り得る話なのだ。
「はぁああ、もう、どうしよう」
妹のことが心配すぎて、ため息しか出てこなかった。
実家に帰り着くと、久しぶりに会う兄が驚いた顔をして私を見た。
それはそうだろう。
結婚するために家を出ていった妹が、勝手に帰ってきたのだから。
「セシリア、お前……」
「お兄様!アリシアが怪我をしたというのは本当ですか!お医者様は呼んだんですか!容体は!?これから先の生活は!?」
「ちょ、そ、そんなに詰め寄るな!!」
私は兄に詰め寄ってしまっていた。
兄の顔面に向かってグイグイ突っ込んでいく。
さすがのことに、兄も面食らって困り果てている。
兄は、私を引きはがして口を開く。
少し面倒臭そうな顔をするのは、昔から。
彼にとって妹である私も、アリシアも、面倒臭いことでしかないのだ。
別に兄に何かをしてほしいと思ったことはない。
何をさせてもあまりいい結果を出さない兄は、私にとって、ちょっと避けておきたい部類の人間だったから。
「怪我は大したことないはずだ」
「なんですか、はずとは!」
「大きな声を出すな。これだから女ってやつは」
「……何をモテ男のキメ台詞みたいなこと言ってんだ?コイツ?」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も。とにかくお兄様、アリシアの状態はどうなんですか?」
私が問い詰めると、兄は呆れた顔とため息をついて、自分で見て来いと投げやりに言った。
こうやって彼はいつも投げやりなのだ。
どこか中途半端で、どこか投げやり。
何かを一途になって追いかけたことがない。
ご令嬢のお尻さえ追いかけられない、情けない男。
私は兄の態度に腹を立て、そのまま妹の部屋へと突っ込んでいった。
ドアを勢いよく開けると、ベッドに横たわった妹がメイドに介抱されているところだった。
「アリシア!!」
私は叫び、妹のもとへ走り寄る。
すると妹はパッと目を見開いて、私のことを目視した。
「お姉様!!」
「ああ、アリシア!!どうしてこんなことに!」
「私が悪いんです、お姉様!私が、私が……!!」
メイドを下がらせて、私はアリシアの側についた。
ルイはこの子のことを魔女だと思って、ネズミだのなんだのというけれど、そんなことはまったくない!
この子は私のかわいいアリシアよ!
誰がなんと言おうと、絶対にそうなの!
「ああ、かわいい子。痛い思いをしたのね」
「お姉様!私、お姉様がいなくちゃ、生きていけません!」
両目から大粒の涙をこぼし、アリシアは言う。
まるで子犬のように私に縋ってくる姿は、愛しさしかない。
その金色の髪を撫でて、腕に巻かれた包帯を見る。
どうして、こんな怪我を。
信じられない。
「何があったの、アリシア?」
「……私が不注意で、転んでしまって、薔薇の植木に手を入れてしまったんです」
「そんな!」
そんなの、大事故じゃない。
私は妹の腕に巻かれた包帯を撫でた。
「お姉様、お願いします、どうか帰ってきてください!お嫁になっていかないで!」
青い瞳は涙をこぼして私に抱き着いてくるのだった。