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第17話

私が困った顔をしたせいで、ルイは準備の心配をしているのだろうと感じたようである。


「準備はハンスが整えているから、心配は……どうした?」

「あ、いえ」

「……お前の家族も呼んでいいぞ」

「それ、は……妹のことでしょうか?」

「……ああ」


本当は殺したいくらいに、憎い相手のはず。

それでも、私の妹だから。

私の、妻となる女の妹だから、我慢してくれているのだろうか。

それを考えると、申し訳ないような、それくらい我慢しろよ、と言いたくなるような。


そんな、感覚になる。


私が転生する前の家である、老舗旅館は、お見合いや結婚する家族の初顔合わせに使われることも多かった。

幸せな結婚も見たことはある。

あふれんばかりの笑顔と、家族の温かさ。

それを見ると、とてもうらやましかった。

でもそうではない結婚もある。

始終下を向く人もいれば、相手を馬鹿にする人も。

それを見ると、私は少しだけ親近感が湧いていたのも事実だ。

祖母に虐げられ、両親からも助けてもらえず、あの老舗旅館を継ぐために、私もこんな結婚をするんだろうな、と。


だから、そんな人を見ると、逆に安心できた。

世界に私だけが不幸なわけじゃない、と。

決して口にすることはなかったけれど、それでも、そんな不幸な結婚をする人を見ると、私はむしろ励まされた気分だった。


だから、転生して、家のために売られても仕方がないと思えた。

ルイにも目的がある。

私にはないけれど、私の家族にはある。

転生しても、同じじゃないか、と。


そんなことを考えていると、ルイの目が私を見た。


「俺にはもう家族がいないからな」

「それは……」

「義理とはいえ、お前の家族は俺の家族だと思っている」


彼の言葉に、嘘はなさそうだった。

なさそう、と思ったのは彼の耳が少し赤くなっていたから。

そういう風な言い方しかできないことは、彼自身が言っていたことだ。

今の話も、とても頑張って言ってくれたのだろうか。


「私は、ルイの考えに従います」


そう答えるのが精いっぱいだ。

でも、なんだかルイに悪いことをしているようで、自分を許せなくなる。

それならせめて、彼の望む答えを、と思ってしまった。


私には目的がない、と思ったけれど、上手く生きていく、という大きな目的があったじゃないか。

妹の為に、あの子がハッピーエンドを迎える為に、私はその為に生きていくのだ。


「……そうか」

「はい。嫁ぐのは私ですけれど、グラース家の考えは、あなたの考えだと思うので……」


私は、そうやって生きてきた。

そうやって、周囲に従って、波風を立てないように。

それで上手く生きてこれたのだ。

転生する前の日本でのように、打たれたりしない。

体が悲鳴を上げるくらい、働かされたりもしない。

上手く、生きることを選んできたじゃないか。


だから。

だから。


そう思った瞬間、私を射抜いたのは赤い瞳だった。

夫となる人の赤い燃え上がるような瞳が、私を射抜いた。


「お前は、それでいいのか」

「え……」

「グラース家は確かに領主の家であり、代々騎士団長も輩出してきた。だが」


ルイは席を立ち、私の目の前へやってくる。

私の腕を強く掴んで、その赤い目が私を見た。


「お前は、もう自由なんだぞ」

「自由?」

「貴族の令嬢でもない。ただの娘でもない。お前はこれから、ここで、自由に生きるんだ。自由を得られる、セシリア・グラースになるんだぞ」

「そ、そんな、私は……」


自由。

それは日本にいた時に、得ることができなかったもの。

自分の生まれた家に縛られて、恋や時間を失って、最期には命さえも喪ってしまったのだ。


そんな私に、自由なんて、得られるというのか。


違う、今更自由なんてもらって、それをちゃんと扱えるの?

責任を持って、自由に羽ばたけるの?


「わ、私は、自由、なんて……」

「お前は、私の妻になる。俺は妻を自由にさせる」

「妻を自由にさせるなんて、おかしいんじゃないでしょうか?私は、ウォーレンス家から、グラース家に売られたようなもので……」


しまった。

言ってはいけないことを、私は言ってしまった。

これから結婚する相手であり、自分よりも身分が上の男性に対して、なんてことを言ってしまったんだ。


私は、恐くなってルイから視線を逸らした。

やっと気づいた。

私は赤毛のアンにすらなれていない。

私は、日本で死んだ、ひばりのまま。

歌えないひばり。

声が潰れたひばり。

自由知らない、自由に怯えるひばりのままだ。

私は『セシリア』にすら、なれていない。


「セシリア」


こんな女、婚約を破棄されてもおかしくないだろう。

もしかしたら、実家に戻されるどころか、実家もろとも殺されるかも。

そもそも魔女を出した家として、焼かれてもおかしくない。

ルイの次の言葉が恐ろしくて、私はどうしたらいいのか分からなくなってきた。

体が震えて、背中に冷たい汗が流れる。


「セシリア」

「わ、私は……」

「セシリア、おいで」

「え?」


怯える私をルイは抱きしめてくれた。

こうやって抱きしめられたのは、初めてかもしれない。

妹のことは、何度も何度も抱きしめてきた。

父や母が忙しくて、愛情が不足しているかもしれない、それがアリシアの心の傷にならないように、と。

でも私を抱きしめてくれたのは、誰だった?


「お前は、もう私の妻だ」

「ど、どうして……」

「理由はまた今度話そう。今はただ信じて欲しい」


信じる。

ただそれだけ。

私にとって、抱きしめられて言われる言葉として、十分だった。


「母の話をすると、変な話になるかもしれないが、あの人はとても自由な人だった。赤毛を風に揺らし、新緑の瞳で子どもを愛してくれた。俺はお前に、それを見たんだ」


私の目から、涙が落ちた。

ああ、もう『もう1人の私』はそんな女性だったんだ。

彼の腕からそれを感じた。

こんなに愛情深くて、命がけで国を守る人を育てた人が、『もう1人の私』なのかもしれない。


「セシリア。お前は自由なんだよ」


自由。

その言葉が私の中で、響いていく。


私が自由になれる?

まだ、その実感が私にはしっかりとできなかった。


「ルイ、私は……」

「お前は、自由でいいんだ。そう生きるべきだ」


彼の腕の中で、私は自由になれるというのだろうか。

この世界に転生する前から、私は自由じゃなかった。

私は自由の味を知らない。

それはどこか遠くにあるものであって、私の手に届くようなものではないと思っていた。

家や家族に縛られて、それに従って生きるしかなかったのだ。


「もう泣くな。ひどい顔になる」

「……はい」

「ああ、そうだ。お前の妹から手紙が来ていた」


ルイはゆっくりと私を手放し、机に向かう。

机の上にあった封筒を私にくれた。

妹のサインを確認して、封を切る。

いつもの手紙だと思って、私はいつもと同じ手つきで手紙を開けた。

ルイは黙ってその様子を見ていて、その中で私は手紙を読む。


幼い妹の文字を見て、血の気が引いた。

まさか、そんな。

手が震えてくる。


「……どうした」

「い、妹が、怪我を」

「本当か?」

「どれくらいかは、その、この手紙からは分からない……。あの、ルイ、申し訳ないと思っているのですけれど、家に……一度、帰っても」


妹が怪我をしたとなれば、私は居ても立ってもいられなくなった。

戻らなくちゃ。

あの子のところに。

きっと泣いているに違いない。


可哀想に!!

あの子は泣きだしたら、なかなか泣き止まないのだ。

きっと今も泣き腫らして、部屋にこもっているに違いない。

手紙には『お姉様に会いたい』とあった。

こんなことを言う妹を、私は見捨てることができないのよ!!


「……ハンスに馬を用意させる」

「あ、ありがとうございます!!」

「結婚式の予定は変えられないぞ。それまでにはちゃんと戻れ。いいな」


「はい!」


私はルイの部屋を飛び出して、自分の部屋に行って荷物をまとめた。

着替えをバッグに突っ込んで、とにかく急いで準備をしなきゃ。


アリシアのところに、とにかく急いで帰らなきゃいけない!!


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