私が困った顔をしたせいで、ルイは準備の心配をしているのだろうと感じたようである。
「準備はハンスが整えているから、心配は……どうした?」
「あ、いえ」
「……お前の家族も呼んでいいぞ」
「それ、は……妹のことでしょうか?」
「……ああ」
本当は殺したいくらいに、憎い相手のはず。
それでも、私の妹だから。
私の、妻となる女の妹だから、我慢してくれているのだろうか。
それを考えると、申し訳ないような、それくらい我慢しろよ、と言いたくなるような。
そんな、感覚になる。
私が転生する前の家である、老舗旅館は、お見合いや結婚する家族の初顔合わせに使われることも多かった。
幸せな結婚も見たことはある。
あふれんばかりの笑顔と、家族の温かさ。
それを見ると、とてもうらやましかった。
でもそうではない結婚もある。
始終下を向く人もいれば、相手を馬鹿にする人も。
それを見ると、私は少しだけ親近感が湧いていたのも事実だ。
祖母に虐げられ、両親からも助けてもらえず、あの老舗旅館を継ぐために、私もこんな結婚をするんだろうな、と。
だから、そんな人を見ると、逆に安心できた。
世界に私だけが不幸なわけじゃない、と。
決して口にすることはなかったけれど、それでも、そんな不幸な結婚をする人を見ると、私はむしろ励まされた気分だった。
だから、転生して、家のために売られても仕方がないと思えた。
ルイにも目的がある。
私にはないけれど、私の家族にはある。
転生しても、同じじゃないか、と。
そんなことを考えていると、ルイの目が私を見た。
「俺にはもう家族がいないからな」
「それは……」
「義理とはいえ、お前の家族は俺の家族だと思っている」
彼の言葉に、嘘はなさそうだった。
なさそう、と思ったのは彼の耳が少し赤くなっていたから。
そういう風な言い方しかできないことは、彼自身が言っていたことだ。
今の話も、とても頑張って言ってくれたのだろうか。
「私は、ルイの考えに従います」
そう答えるのが精いっぱいだ。
でも、なんだかルイに悪いことをしているようで、自分を許せなくなる。
それならせめて、彼の望む答えを、と思ってしまった。
私には目的がない、と思ったけれど、上手く生きていく、という大きな目的があったじゃないか。
妹の為に、あの子がハッピーエンドを迎える為に、私はその為に生きていくのだ。
「……そうか」
「はい。嫁ぐのは私ですけれど、グラース家の考えは、あなたの考えだと思うので……」
私は、そうやって生きてきた。
そうやって、周囲に従って、波風を立てないように。
それで上手く生きてこれたのだ。
転生する前の日本でのように、打たれたりしない。
体が悲鳴を上げるくらい、働かされたりもしない。
上手く、生きることを選んできたじゃないか。
だから。
だから。
そう思った瞬間、私を射抜いたのは赤い瞳だった。
夫となる人の赤い燃え上がるような瞳が、私を射抜いた。
「お前は、それでいいのか」
「え……」
「グラース家は確かに領主の家であり、代々騎士団長も輩出してきた。だが」
ルイは席を立ち、私の目の前へやってくる。
私の腕を強く掴んで、その赤い目が私を見た。
「お前は、もう自由なんだぞ」
「自由?」
「貴族の令嬢でもない。ただの娘でもない。お前はこれから、ここで、自由に生きるんだ。自由を得られる、セシリア・グラースになるんだぞ」
「そ、そんな、私は……」
自由。
それは日本にいた時に、得ることができなかったもの。
自分の生まれた家に縛られて、恋や時間を失って、最期には命さえも喪ってしまったのだ。
そんな私に、自由なんて、得られるというのか。
違う、今更自由なんてもらって、それをちゃんと扱えるの?
責任を持って、自由に羽ばたけるの?
「わ、私は、自由、なんて……」
「お前は、私の妻になる。俺は妻を自由にさせる」
「妻を自由にさせるなんて、おかしいんじゃないでしょうか?私は、ウォーレンス家から、グラース家に売られたようなもので……」
しまった。
言ってはいけないことを、私は言ってしまった。
これから結婚する相手であり、自分よりも身分が上の男性に対して、なんてことを言ってしまったんだ。
私は、恐くなってルイから視線を逸らした。
やっと気づいた。
私は赤毛のアンにすらなれていない。
私は、日本で死んだ、ひばりのまま。
歌えないひばり。
声が潰れたひばり。
自由知らない、自由に怯えるひばりのままだ。
私は『セシリア』にすら、なれていない。
「セシリア」
こんな女、婚約を破棄されてもおかしくないだろう。
もしかしたら、実家に戻されるどころか、実家もろとも殺されるかも。
そもそも魔女を出した家として、焼かれてもおかしくない。
ルイの次の言葉が恐ろしくて、私はどうしたらいいのか分からなくなってきた。
体が震えて、背中に冷たい汗が流れる。
「セシリア」
「わ、私は……」
「セシリア、おいで」
「え?」
怯える私をルイは抱きしめてくれた。
こうやって抱きしめられたのは、初めてかもしれない。
妹のことは、何度も何度も抱きしめてきた。
父や母が忙しくて、愛情が不足しているかもしれない、それがアリシアの心の傷にならないように、と。
でも私を抱きしめてくれたのは、誰だった?
「お前は、もう私の妻だ」
「ど、どうして……」
「理由はまた今度話そう。今はただ信じて欲しい」
信じる。
ただそれだけ。
私にとって、抱きしめられて言われる言葉として、十分だった。
「母の話をすると、変な話になるかもしれないが、あの人はとても自由な人だった。赤毛を風に揺らし、新緑の瞳で子どもを愛してくれた。俺はお前に、それを見たんだ」
私の目から、涙が落ちた。
ああ、もう『もう1人の私』はそんな女性だったんだ。
彼の腕からそれを感じた。
こんなに愛情深くて、命がけで国を守る人を育てた人が、『もう1人の私』なのかもしれない。
「セシリア。お前は自由なんだよ」
自由。
その言葉が私の中で、響いていく。
私が自由になれる?
まだ、その実感が私にはしっかりとできなかった。
「ルイ、私は……」
「お前は、自由でいいんだ。そう生きるべきだ」
彼の腕の中で、私は自由になれるというのだろうか。
この世界に転生する前から、私は自由じゃなかった。
私は自由の味を知らない。
それはどこか遠くにあるものであって、私の手に届くようなものではないと思っていた。
家や家族に縛られて、それに従って生きるしかなかったのだ。
「もう泣くな。ひどい顔になる」
「……はい」
「ああ、そうだ。お前の妹から手紙が来ていた」
ルイはゆっくりと私を手放し、机に向かう。
机の上にあった封筒を私にくれた。
妹のサインを確認して、封を切る。
いつもの手紙だと思って、私はいつもと同じ手つきで手紙を開けた。
ルイは黙ってその様子を見ていて、その中で私は手紙を読む。
幼い妹の文字を見て、血の気が引いた。
まさか、そんな。
手が震えてくる。
「……どうした」
「い、妹が、怪我を」
「本当か?」
「どれくらいかは、その、この手紙からは分からない……。あの、ルイ、申し訳ないと思っているのですけれど、家に……一度、帰っても」
妹が怪我をしたとなれば、私は居ても立ってもいられなくなった。
戻らなくちゃ。
あの子のところに。
きっと泣いているに違いない。
可哀想に!!
あの子は泣きだしたら、なかなか泣き止まないのだ。
きっと今も泣き腫らして、部屋にこもっているに違いない。
手紙には『お姉様に会いたい』とあった。
こんなことを言う妹を、私は見捨てることができないのよ!!
「……ハンスに馬を用意させる」
「あ、ありがとうございます!!」
「結婚式の予定は変えられないぞ。それまでにはちゃんと戻れ。いいな」
「はい!」
私はルイの部屋を飛び出して、自分の部屋に行って荷物をまとめた。
着替えをバッグに突っ込んで、とにかく急いで準備をしなきゃ。
アリシアのところに、とにかく急いで帰らなきゃいけない!!