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第16話

ユキのところにいるんじゃないか、と思って言ってみると、正解だ。

ルイはユキを撫でながら、丁寧に手入れをしている。

本来、屋敷の主人が馬の手入れなんてしないんだけれど、彼は1人の時間が好きみたい。

今までも、ハンスさえ側に寄せず、1人でいることもあった。


一人旅が好きなお客さんもいる。

誰かと時間を共有するのではなく、自分自身と語り合う為に旅に出る人。

そういう人は、言葉を求めているのではなく、静寂を求めているのだ、と祖母は言ってた。

誰かと楽しい時間を過ごすのもいいけれど、自分自身との時間が大事にできなければ、前に進めない人もいる、と。


変だな。

あんなに虐げられていたのに、今頃になって祖母の言葉の意味が分かるようになってきた。

あの頃は、とにかく忙しくて、忙しくて、毎日のように目まぐるしくて、どんなお客さんでも時間通りに来て、時間通りに帰ってくれるならよかった。

悪いお客さんでなければいいんじゃないか、と思っていたのだ。


1人でも、大勢でも。

目の前にいる人に、あまり興味がなかったのかな。

じゃあ、なんで。

あの時のあの人には気づいてしまったんだろう。

死のうとしている人にだけ、気づいてしまうなんて。


ジャガイモの温かさと、バターの香り。

それを感じてハッとした。

また苦しいあの瞬間を思い出すところだった。


そんなことを考えるのはやめて、今はルイところに行こう。

静かに後ろから近づき、穏やかに声をかける。


「そんなに馬がお好きですか」

「猫よりは好きだな」

「そうですか。ジャガイモはお好きですか」

「お前は俺を太らせるつもりか?毎度毎度食い物を持ってきて」

「殿方は、しっかり食べた方がいいと思います」

「お前ってやつは。主人の言うことも聞かず、食い物ばかり作って」


そう言ったのに、ルイは結局ジャガイモを3つも食べた。

余程美味しかったのだろう。

最後のジャガイモは、ユキにも分けたくらいだった。


「この前のお話ですけれど」

「お前には商才というか、何かあると俺は思っている」

「お褒めにあずかり光栄です」

「……嬉しそうではないな」

「まあ、私は女ですから。あまり商売をすると印象が悪いかと」


貴族の令嬢。

養女の令嬢。

それだけでも奇異の目で見られてきたのに。

そんな私が騎士団長に嫁いで、今度は事業までする?

さすがに妻の域を超えているんじゃないの?


「冷静に考えろ。食い物は金になる。貿易で傾いているのなら、他のことを考える必要性があるだろう」

「それは!父や兄の仕事です!」

「どう考えてもお前の方が合っている」

「もう!そりゃあ、料理やお菓子作りは得意ですよ?何年もしてきましたよ?でもそれは妹のためです!」


妹のことが出ると、ルイは明らかに嫌な顔をした。

まだ魔女として覚醒していない(らしい)妹のことを、ルイは嫌っているのだ。

転生を繰り返す魔女を倒すまで、グラース家は追い続ける。

その役割を、彼自身も担っているのだ。


「他人のために生きるのは、楽しかったか?」

「え?」


2人で馬小屋を出て、屋敷に戻るまでの間に、彼はそんなことを言った。

他人。

そうか、あの子は私にとって他人なのか。

養女である私は、あの子の姉ということにはなっているけれど、それはあくまでも姉であるという名目だけだ。

実際に血がつながっているわけでもない。

両親が忙しかったから、確かに世話をして教育もしてきた。

私が育てたといっても、おかしくはない。

でも。

他人なのだ。


「そんな顔もするんだな。最初から強気な娘だと思っていたが」

「え、あ……」


中途半端な言葉しか出せなかった私の目の前に、ルイは立つ。

あれ、こんなに身長があったかな。

私は、彼のことを見ていなかったのかもしれない。

ちゃんと彼を想い、この家のことを少しでも考えてきただろうか。


ただ勝手に転生したから。

ただ売られた娘だから。

そう自分に言い聞かせて、ただただ、ここにいただけなんじゃないかな。


あんなに私は自分のことを赤毛のアンだと言って、懸命に支えてきたのに。

駄目じゃない。

何もかもが、ちゃんとできていないじゃない。


「俺はあまり口がいい方ではない。騎士団長になったのも、父が死んだから仕方なく跡を継いだようなものだ。でも、俺のことを慕って騎士団に居てくれる者も多いからな……少し、言いすぎた」


その時、ルイが私の頬を撫でた。

大きくて、固いところのできているその手は、この国を守ってきた証拠だ。

誰かのために、他人のために、剣を振るい続け、血に染まり、傷ついてきた人なのに。

それを頭ではわかっているふりを、私はしてきたのだ。

私を見つめる彼は、少しだけ困ったような顔をしているように思う。


「女の扱いは得意ではない。正直、この年になるまで、この国にもほとんどいなかったからな。俺が育ったのは戦場だ。上手くできんことは多い」


彼の指が私の頬を撫でる。

この人は、私が妹と過ごしている時に、どこにいたのだろう?

知らない土地で、知らない場所で、血まみれになっていたのだろうか。


「家のことも、ハンスやマリアがいないと、できないことは多い。しかし、守っていかねばならんからな。領地のことも、父から詳しく聞く前に引き継ぐことになってしまった」

「……ルイは、そうやって生きてきたんですね」

「そうだな。お前をもらうことも悩みはしたが、まあ悪い判断ではなかったと、今は思う」

「そうですか?」

「ああ。決められた運命など、俺は信じてはいない。ただこの目で魔女を見てきたから、思うところはあるだけだ」


彼はきっと私が自分の母親のように、すごいことをすると思っているのかもしれない。

でも違うのだ、私はただ少しだけ他の世界のことを知っていて、転生してきたから、他の人よりちょっとだけチートなのよ。

彼が思っているような人ではないと思う。

頭に来ることもあるし、哀しくなることもある。


妹と離れて、寂しさもある。

この世界に生まれる前から、大好きだったんだから、仕方ない。

実際に一緒に過ごしたら、それは本で読んだあの子よりも素晴らしい子だった。

でも、私は本とは違うストーリーを歩んでいる。

それが幸せになるのか、不幸になるのか、分からない。


「それに、まあ、お前が美味いものを作れるのはよかった、と、思う……」

「そんなに食べるのが好きなんですか?」

「……騎士団は大食らいばかりだぞ」

「そうは見えませんが。ふふ」

「お前のクランベリーパイは美味かった。それだけでも俺は得したと思うべきだな」

「また作りますよ。ここのオーブンはとてもよく焼けるんです。マリアさんがしっかり管理してくれているからですね」

「……そうか」


今、彼が少しだけ微笑んでくれたと思った。

彼と結婚して、私はちゃんとやっていけるのだろうか。

まだまだ不安が大きくて、いつも妹のことばかり考えてしまう。

でも、結婚式が済めば、私は正式に名前も変わり、この家の人間になる。

彼と一緒に生きていくことになるのだ。

上手くできないかもしれない、というのが本音でもある。


結婚は、仕事とは違うのだ。

命令されて結婚することになったけれど、家や妹のためにやり切ってやると思ったけれど、本当は自信なんてなかった。

夫になる人の顔も知らなければ、彼がどんな人なのか、噂しか知らなかった。


結婚式が近づいている。

それは最初からの予定ではあったのだけれど、どうして1ヶ月後なのかルイに尋ねると「国王の予定だ」と言った。


「国王の予定?」

「ああ」

「国王、様の、ごよて、い?」

「お前は騎士団長の結婚式に、国王を呼ばなくてもいい、と思っていたのか?」

「いえ、その、改めて言われて、そうか、と」

「まったく……お前は冴えているようで、抜けているようで、面白い女だな」


彼の横を歩きながら、馬鹿にされているのか褒められているのか、よく分からないことを話される。

確かに、この国の騎士団長の結婚式となるならば、国王は出席しなければいけないだろう。


国王が出席するとなれば、王子も来る?

まさか、私の結婚式で妹と王子が出会ってしまうってことになるの?

そうしたら、また話が変わっていってしまうのでは?


頭の中が爆発しそうだった。



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