ユキのところにいるんじゃないか、と思って言ってみると、正解だ。
ルイはユキを撫でながら、丁寧に手入れをしている。
本来、屋敷の主人が馬の手入れなんてしないんだけれど、彼は1人の時間が好きみたい。
今までも、ハンスさえ側に寄せず、1人でいることもあった。
一人旅が好きなお客さんもいる。
誰かと時間を共有するのではなく、自分自身と語り合う為に旅に出る人。
そういう人は、言葉を求めているのではなく、静寂を求めているのだ、と祖母は言ってた。
誰かと楽しい時間を過ごすのもいいけれど、自分自身との時間が大事にできなければ、前に進めない人もいる、と。
変だな。
あんなに虐げられていたのに、今頃になって祖母の言葉の意味が分かるようになってきた。
あの頃は、とにかく忙しくて、忙しくて、毎日のように目まぐるしくて、どんなお客さんでも時間通りに来て、時間通りに帰ってくれるならよかった。
悪いお客さんでなければいいんじゃないか、と思っていたのだ。
1人でも、大勢でも。
目の前にいる人に、あまり興味がなかったのかな。
じゃあ、なんで。
あの時のあの人には気づいてしまったんだろう。
死のうとしている人にだけ、気づいてしまうなんて。
ジャガイモの温かさと、バターの香り。
それを感じてハッとした。
また苦しいあの瞬間を思い出すところだった。
そんなことを考えるのはやめて、今はルイところに行こう。
静かに後ろから近づき、穏やかに声をかける。
「そんなに馬がお好きですか」
「猫よりは好きだな」
「そうですか。ジャガイモはお好きですか」
「お前は俺を太らせるつもりか?毎度毎度食い物を持ってきて」
「殿方は、しっかり食べた方がいいと思います」
「お前ってやつは。主人の言うことも聞かず、食い物ばかり作って」
そう言ったのに、ルイは結局ジャガイモを3つも食べた。
余程美味しかったのだろう。
最後のジャガイモは、ユキにも分けたくらいだった。
「この前のお話ですけれど」
「お前には商才というか、何かあると俺は思っている」
「お褒めにあずかり光栄です」
「……嬉しそうではないな」
「まあ、私は女ですから。あまり商売をすると印象が悪いかと」
貴族の令嬢。
養女の令嬢。
それだけでも奇異の目で見られてきたのに。
そんな私が騎士団長に嫁いで、今度は事業までする?
さすがに妻の域を超えているんじゃないの?
「冷静に考えろ。食い物は金になる。貿易で傾いているのなら、他のことを考える必要性があるだろう」
「それは!父や兄の仕事です!」
「どう考えてもお前の方が合っている」
「もう!そりゃあ、料理やお菓子作りは得意ですよ?何年もしてきましたよ?でもそれは妹のためです!」
妹のことが出ると、ルイは明らかに嫌な顔をした。
まだ魔女として覚醒していない(らしい)妹のことを、ルイは嫌っているのだ。
転生を繰り返す魔女を倒すまで、グラース家は追い続ける。
その役割を、彼自身も担っているのだ。
「他人のために生きるのは、楽しかったか?」
「え?」
2人で馬小屋を出て、屋敷に戻るまでの間に、彼はそんなことを言った。
他人。
そうか、あの子は私にとって他人なのか。
養女である私は、あの子の姉ということにはなっているけれど、それはあくまでも姉であるという名目だけだ。
実際に血がつながっているわけでもない。
両親が忙しかったから、確かに世話をして教育もしてきた。
私が育てたといっても、おかしくはない。
でも。
他人なのだ。
「そんな顔もするんだな。最初から強気な娘だと思っていたが」
「え、あ……」
中途半端な言葉しか出せなかった私の目の前に、ルイは立つ。
あれ、こんなに身長があったかな。
私は、彼のことを見ていなかったのかもしれない。
ちゃんと彼を想い、この家のことを少しでも考えてきただろうか。
ただ勝手に転生したから。
ただ売られた娘だから。
そう自分に言い聞かせて、ただただ、ここにいただけなんじゃないかな。
あんなに私は自分のことを赤毛のアンだと言って、懸命に支えてきたのに。
駄目じゃない。
何もかもが、ちゃんとできていないじゃない。
「俺はあまり口がいい方ではない。騎士団長になったのも、父が死んだから仕方なく跡を継いだようなものだ。でも、俺のことを慕って騎士団に居てくれる者も多いからな……少し、言いすぎた」
その時、ルイが私の頬を撫でた。
大きくて、固いところのできているその手は、この国を守ってきた証拠だ。
誰かのために、他人のために、剣を振るい続け、血に染まり、傷ついてきた人なのに。
それを頭ではわかっているふりを、私はしてきたのだ。
私を見つめる彼は、少しだけ困ったような顔をしているように思う。
「女の扱いは得意ではない。正直、この年になるまで、この国にもほとんどいなかったからな。俺が育ったのは戦場だ。上手くできんことは多い」
彼の指が私の頬を撫でる。
この人は、私が妹と過ごしている時に、どこにいたのだろう?
知らない土地で、知らない場所で、血まみれになっていたのだろうか。
「家のことも、ハンスやマリアがいないと、できないことは多い。しかし、守っていかねばならんからな。領地のことも、父から詳しく聞く前に引き継ぐことになってしまった」
「……ルイは、そうやって生きてきたんですね」
「そうだな。お前をもらうことも悩みはしたが、まあ悪い判断ではなかったと、今は思う」
「そうですか?」
「ああ。決められた運命など、俺は信じてはいない。ただこの目で魔女を見てきたから、思うところはあるだけだ」
彼はきっと私が自分の母親のように、すごいことをすると思っているのかもしれない。
でも違うのだ、私はただ少しだけ他の世界のことを知っていて、転生してきたから、他の人よりちょっとだけチートなのよ。
彼が思っているような人ではないと思う。
頭に来ることもあるし、哀しくなることもある。
妹と離れて、寂しさもある。
この世界に生まれる前から、大好きだったんだから、仕方ない。
実際に一緒に過ごしたら、それは本で読んだあの子よりも素晴らしい子だった。
でも、私は本とは違うストーリーを歩んでいる。
それが幸せになるのか、不幸になるのか、分からない。
「それに、まあ、お前が美味いものを作れるのはよかった、と、思う……」
「そんなに食べるのが好きなんですか?」
「……騎士団は大食らいばかりだぞ」
「そうは見えませんが。ふふ」
「お前のクランベリーパイは美味かった。それだけでも俺は得したと思うべきだな」
「また作りますよ。ここのオーブンはとてもよく焼けるんです。マリアさんがしっかり管理してくれているからですね」
「……そうか」
今、彼が少しだけ微笑んでくれたと思った。
彼と結婚して、私はちゃんとやっていけるのだろうか。
まだまだ不安が大きくて、いつも妹のことばかり考えてしまう。
でも、結婚式が済めば、私は正式に名前も変わり、この家の人間になる。
彼と一緒に生きていくことになるのだ。
上手くできないかもしれない、というのが本音でもある。
結婚は、仕事とは違うのだ。
命令されて結婚することになったけれど、家や妹のためにやり切ってやると思ったけれど、本当は自信なんてなかった。
夫になる人の顔も知らなければ、彼がどんな人なのか、噂しか知らなかった。
結婚式が近づいている。
それは最初からの予定ではあったのだけれど、どうして1ヶ月後なのかルイに尋ねると「国王の予定だ」と言った。
「国王の予定?」
「ああ」
「国王、様の、ごよて、い?」
「お前は騎士団長の結婚式に、国王を呼ばなくてもいい、と思っていたのか?」
「いえ、その、改めて言われて、そうか、と」
「まったく……お前は冴えているようで、抜けているようで、面白い女だな」
彼の横を歩きながら、馬鹿にされているのか褒められているのか、よく分からないことを話される。
確かに、この国の騎士団長の結婚式となるならば、国王は出席しなければいけないだろう。
国王が出席するとなれば、王子も来る?
まさか、私の結婚式で妹と王子が出会ってしまうってことになるの?
そうしたら、また話が変わっていってしまうのでは?
頭の中が爆発しそうだった。