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第13話

狼に襲われてから、ルイは私の周囲を警戒しているようだった。

ようだった、というのは彼の口数が多くはなく、説明というものをしてくれないからだ。

彼にとって私はこれから妻になる存在。

今いなくなってしまっては、後味も悪いのだろう。


彼と私の関係は、冷めているわけでもなく、親密なわけでもなく、淡々と過ぎていく。

話をしないわけでもなく、笑わないわけでもない。

一緒に過ごすこともあるし、話かけることもある。

けれども、彼の瞳には憂いがあって、寂しさが募る。


そんな時、私は厨房の手伝いをしながらマリアさんと話をするのだ。

マリアさんは、ルイの子供の頃をよく話してくれた。

そして、その母親である大奥様―――顔も知らない義母のことも。

先の戦争で大旦那様と一緒に亡くなったと聞いているけれど、詳しいことは何も知らなかった。

ルイの話では、大奥様の姉が魔女として覚醒し、大奥様を死に追いやったという。


私と同じ赤い髪に緑の瞳を持った女性。

実のところ、私はこの世界に転生してから自分と似たような容姿の人を見たことがなかった。

赤毛のアンはもう1人いたのか、と思う。

マリアさんが話してくれる大奥様は、とても活発な異国の女性。

ルイからは想像もできないくらいの、破天荒で飛び回っているような、そんな女性の話ばかりが出てくるのだった。


「大奥様はね」


そう言いながら、マリアさんはジャガイモの皮を剥く。

そして優しく微笑んでいた。

こんな風に誰かを微笑ませることができる人は、いい人だ。

きっと大奥様はいい人だったに違いない。


「大食らいでねぇ、困ったもんだったよ」

「え?ど、どういう話ですか、それは?」

「なんでも、異国には食べるものが少なかったとかで。こちらでの食べ物を食べつけたら、とても美味しかったらしいよ」

「はぁ……」

「なんでもよく食べたさ。走り回って、笑顔で。それでよくもまあ、あの大旦那様のお子を産んだものだよ」

「ルイは大奥様にあまり似ていないんですか?」


そんなことを聞くと、マリアさんは笑った。

いやいやと首まで振って、笑っている。


「見た目はね、そりゃ似てないさ。でも、中身はそっくり!」

「そっくり?」

「坊ちゃまはああ見えて好奇心旺盛だ。木にも塀にもよじ登っては、何度骨を折ったことか」

「ルイってそんな子どもだったんですね」


私には塀に登るな、と言った癖に。

でも今のルイからは想像ができない子ども時代の話だ。

きれいな金髪に赤い瞳をした少年が、木登り。

そして落ちる。

プッと、私は吹き出してしまった。


「一度は屋敷の屋根に登っちまってね。どこかで泣き声がすると思ったら、屋根の上さ。慌ててハンスが助けに行ったけど、今度は戻ってきたハンスがぎっくり腰になっちまうし」

「それは災難ですね」

「渡り鳥が来ていたとか、鳥の巣の中を覗いてみたいとか、遠くの山がきれいなんだ、とか……。坊ちゃまはいつでも見つけるのが好きだったねぇ」


だから私を見つけてくれたんだろうか。

そんなことはないか。

私はただ母親と同じ容姿だったから、迎えただけのこと。

自分の家の使命を全うするため、それが自分にとっての生きる道だと彼は思っているに違いない。


私の聞いているグラース家の話は、あまりいい話ではなかった。

先の戦争で、ルイの父である前の騎士団長は戦場で亡くなったという話だ。

そして、ルイの大事な弟も。

家族を失ったルイは、その後のほとんどを戦場で過ごしているんじゃないんだろうか。


戦場がどんな場所なのか、私は知らない。

幸か不幸か、私の家族は戦場に行くようなことはなかったからだ。

父も兄も、商売をしながら生きている貴族だったので、よほどのことがなければ戦場に呼ばれることはない。

だから、騎士団がある。

国を守るために。

でも、その為にルイはどれだけのものを失ってきたのだろうか。


そんなことを考えていると、オーブンの方からとてもいい香りがしてきた。

バターとミルクの甘い香りは、焼き菓子独特の甘さを含んだもの。


「あら、そろそろパイが焼けるかもしれませんね、奥様」

「そうですね、いい匂いがします」

「坊ちゃまも好きなんだよねぇ、このクランベリーパイ」


オーブンから出てきたのは、タルトの型に入ったクランベリーパイ。

きれいな藍色が生地の中に点々と彩りを作っていた。

まだ熱々で、でもそこがまた美味しそう。

バターのいい香りが広がっていく。


「奥様が料理上手で助かりますわ」

「私はこういうことが昔から好きなんです」

「貴族のお嬢様は、厨房なんて覗いたこともありませんよ」

「そうでしょうね。でも私は……」


懐かしくて。

こういう場所が転生前の日本に似ていて、好きだった。

子どもの頃、転生前の記憶がとても懐かしくなって、何度も厨房に忍び込んだ。

日本では板前さんを何人も雇って、懐石から宴会の料理まで、なんでも提供していたっけ。

和食の美しさを目の当たりにして、私は目を輝かせていたと思う。

でもそれが一度でも私の口に入ったことはない。

あの老舗旅館で、私は家を継ぐ働き手。

食わせる為にいる存在ではなかったのだ。


クランベリーパイをカットしながら、マリアさんは鼻歌を歌っていた。

中年は過ぎた頃合いの女性で、ふくよかな体型だけれど、とても優しくてまるでお母さんのような人。

厨房を取り仕切っているし、何人かいるメイドのことも彼女とハンスで仕切っているようだった。


でも少しメイドの数が少ないような気がするのは変わらない。

ここに来た時から、なんとなくだけれど屋敷の広さに合わせた人数配置ではないような気がしてならない。

屋敷は大きいけれど、ルイしかいないから仕方がないのかな。

でもグラース家ともなれば、主人の数は関係ない。

どれだけ人を雇っているかは、貴族にとって権威の証拠だ。

権威があればあるほど、貴族は鼻が高い。

同時に、少し年配の落ち着いたメイドやバトラーが多い気がした。

みんな落ち着いているから、なんでも頼みやすいし、尋ねやすい。

困ることはないけれど、私の実家よりも年配者が多いのは事実だった。

ルイが落ち着いた雰囲気を好んでいるのか、大旦那様の頃から辞める者がいないのか。

どちらにせよ、グラース家は落ち着いた雰囲気を常に持っている。


「奥様、見てください。キレイなクランベリーパイですね」

「本当」

「坊ちゃまとお茶にしてきてください」

「分かりました」


私はそのパイを持ってルイのところへ行くことになる。

今までなら、本当はこれを持っていくのは妹のところだったはずなのに。

少しだけ寂しく思ってしまった。


クランベリーパイは本当に鮮やかで、綺麗な色をしている。

目が冴えるというか、火が通っているのに瑞々しいというか。

クランベリーはこの近辺で収穫されたものらしい。

貿易で街に入ったものではないので、比較的安価で手に入るのだろう。

それはそれで、この近辺に住まう人たちにとっては貴重な栄養源であり、収入源でもある。


ルイは今頃、部屋で書類の整理中かな。

彼は騎士団長としての仕事が忙しいのだ。

朝から子どもたちの相手をしていることが不思議なくらい、忙しい。

考えてみれば、騎士団にはどんな人がいるのかも私は知らなかった。


知らないまま結婚するのか?

そうよ、それがこの世界では当たり前のこと。


はあ、とため息が出てくるけれど、目の前のクランベリーパイはすごく美味しそうだった。

この地方は卵とバターは名産らしく、とても美味しい。

特にバターなんてとてもいい香りなのだ。

また妹に何か作って送ってあげよう、と思ってしまう。


元気かなぁ、アリシア。


あの子からは度々手紙が来るようになった。

一度こちらへ来た時に、ルイから怒られたことを根に持っているのかもしれない。

悪い子じゃないんだけれど、ちょっとだけ気にするところが多いのだ。


妹の金色の髪と青い瞳を思い出しながら、私はそんなことを考えていた。

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