馬に乗って、街を出た。
街の向こうには草原が広がっていて、先へ進めば次の街へ行けるという。
この世界に来て、自分の家以外を知らなかった私にとって、これ以上先は未知の世界になる。
「ルイ、お昼にしましょう。せっかくマリアさんが持たせてくれたから」
「そうだな」
馬から降りて、木陰に入り、昼食の準備をした。
2人で芝生の上に座り、食事を広げる。
ルイは遠くを眺めていた。
「騎士団はいつ死んでもいいという奴らばかりではない」
「勇ましい殿方ばかりだとは聞きますが」
「そうだな。そういう奴らは多いが、それでも皆、家族や恋人がいる」
「それはそうでしょう……」
「俺はそんな奴らを束ねてきたから、こんな物言いしかできない」
パンを口に運びながら、ルイはそう言った。
ああ、つまりは謝っているのかと、私は思う。
妹のこと、さっきの強い言い方。
端々にきつさのある物の言い方を、気にしてはいたということである。
「気にしていないとは、言いませんが」
「文句があるか」
「文句と言いますか、私は他所の令嬢とは違いますので、旦那様になる人は苦労するだろうなと」
「俺に言っているのか?」
「私の旦那様になる人に申し上げているんです。馬にも乗りますし、そのうち塀を飛び越えて木登りくらいするかも」
「……とんだ令嬢だ。どこのどいつがそんな令嬢を嫁に迎えるつもりなんだ?頭のおかしい奴め」
「本当、どこのどなたでしょうね。赤毛の猫でも拾った気分になると思いますよ」
「それだけ頭のおかしな奴でも、妻くらい大事にするさ。やっと手に入れた家族なんだからな」
家族。
私はその言葉がずっと引っかかっていた。
日本でも大事にされなかった。
転生しても、妹がいなかったら愛情を知らなかったかもしれない。
この世界が特別なわけではなく、人はみんなそうなのだろうか。
家族を求めているのか。
家族って、結局はなんなのだろう。
温かい風が吹いて、私の赤毛が揺れる。
ルイがそれを手に取って眺めていた。
「痛んでますか」
「いや」
「そうですか」
「……母の髪はもっと痛んでいた。あの人は魔女を殺すために生き続けた人だったからな」
「本当に、魔女を殺さねばならないのでしょうか。妹が魔女であったとしても、覚醒させない方法はないんですか?」
「あるなら俺が知りたいさ」
髪から手を放し、ルイは言った。
立ち上がって街の方を眺める。
ここは彼の領地だ。
でも彼だけに背負わせるには、少し大きすぎないか?
「さて、もう帰るぞ」
「はい」
「屋敷まで競争する」
「は?」
「負けた方が馬の世話をすることにしよう」
何を言っているんだと思って、止めようとしたけれどルイは颯爽と馬に跨ってしまう。
私も負けじと馬に乗った。
彼は、少し子どものようなところもある。
急に怒ったりもするけれど、悪い人でないことはよく分かった。
きっと彼の中にあるのは、一族の悲願を達成することだけなのだろう。
はあ。
嫁入り早々になんだか大変なことになってしまいそうだ。
馬を走らせながら、ルイの後を追う。
林の木々を抜け、もう少しで屋敷だろうと思った時。
私の目の前に狼が出た。
「うそッ!?」
馬は驚いて大きく仰け反り、私は必死に手綱を握ったけれど振り落とされてしまう。
落ちた衝撃で、頭が揺れる。
視界がぼやけてしまって、身動きが取れない。
目の前に狼が来ると思った時、ルイの怒号と血の臭いが広がった。
ルイは私の目の前で狼を殺し、私を助けてくれたのだ。
でもその恐怖が私には、自分が死んだ時のことと重なってしまう。
「うッ……!!」
「セシリア!!」
恐怖に身動きが取れなくなり、私はただルイに縋るしかできなかった。
腰が抜けて歩けないとは、本当にあるのだ。
そんな私を見て、ルイは私を抱き上げる。
こ、これは、お姫様抱っこ……!?と思ったがルイはそのまま私を肩に担ぎ上げた。
違う。
これはお姫様じゃない。
これじゃ私は、米俵だ。
「ル、ルイ……」
「黙っていろ、舌を噛むぞ」
「いや、せ、せめて、もちかた……」
そこまで言って、私は目が回って意識を失った。
夢の中で、私は庭に座り込む小さな女の子だった。
金色の髪をした人形を抱きしめて、うつむいている。
そこへ誰かが来た。
見上げると、顔はよく見えないが優しく手を差し伸べてくれるから、取ろうとした。
女の人だと思う。
その手を取ろうとして、誰かに止められたから驚いた。
女の人が舌打ちをして、闇に消えていく。
どこにいくのと思ったけれど、返事はない。
その代わりに、ルイの声が響いた。
「セシリア、目を覚ませ!」
「うう……ここ、は」
「家だぞ」
ベッドに寝かしつけられていたのか、私はマリアさんとルイに支えられて体を起こした。
何があったのかを思いだそうとしたけれど、まだ混乱している。
むしろ、夢の方が鮮明だった。
あの人はどこかで会ったことがあるような、そんな気がするのだけれど、分からない。
「奥様、よかった。うなされていたんですよ!」
「私が……?」
「はい!だから坊ちゃまを呼んできたんです!」
私は寝つきがいい人間だと自負している。
そうやって躾けられたから、早く寝られるなら早く寝たい人間なのだ。
そんな私がうなされるなんてこと、ありえない。
ルイは私の顔を見つめて、何か言いたそうな顔をしていた。
「どうしたの……?」
「何か夢を見なかったか?」
「夢?見たと思うけど、そうね、庭にいて誰かがいたような」
「その夢のことは忘れろ。夢の中で誰かに会っても、ついては行くな」
「ついて、行く?どこに?」
「魔女の夢園、そこに引き込まれると二度と戻れないと言われている」
私の頬を撫で、ルイは私の目を見ていた。
その赤い瞳に見られると、息を飲んで、すべてが止まってしまう。
それくらいに美しい瞳を彼は持っていた。
触れていた手が離れると、彼は背中を向けてしまう。
「マリア、セシリアに食事をさせろ。体力の消耗は命に係わる」
「は、はい!」
マリアさんは急いで部屋を出て行き、ルイもゆっくりと歩き出した。
私は部屋に1人取り残されてしまうと思い、つい彼の背中を呼んでしまう。
「ルイ……」
振り返った彼は、金色の髪がゆっくりと動き、その輝きが綺麗だった。
彼は少しだけ私に顔を向ける。
「今は休め。魔女の干渉はお前の身を滅ぼす」
「まだ魔女かどうかは分からないでしょう?ただの夢かもしれない」
「いや。俺には分かる。お前の目は魔女を捉えた目だ」
「どういう、こと……?」
「すぐに消えるだろうが、魔女の足跡が見えた。グラース家の人間にはそういったモノが見えるんだ」
とにかく休めと、強めに言われて、私はまたベッドに戻った。
あの夢が魔女の夢なのか、はっきりとは分からない。
私は幼い子どもだったし、相手の顔なんて見えなかった。
そういう観点から考えれば、妹でもない。
じゃあやっぱり妹は魔女ではない?
ため息をついているところに、マリアさんが食事を持ってきてくれた。
あまり多くを食べれないと話すと、フルーツに変えてくれたので助かる。
甘酸っぱいベリーを口に運んで、今日の出来事を整理しようと思ったけれど、上手く思い出せない。
きっと、自分が死んだあの瞬間を、今でも思い出すからだろう。
高いところから落ちて。
凄まじい痛みと苦しみ。
人間は簡単には死ねないのだと、初めて知った。
そして、薄れていく視界と意識。
あんなもの、二度と味わいたくない。
「奥様、大丈夫ですか?」
「え、ああ、うん。平気よ。ありがとう、マリアさん」
「すみません。屋敷の周辺はいつもハンスが見回りをしているんですけれど、あんな狼が入り込んでいたなんて」
「野生の狼でしょう?仕方がないわ」
「……野生なら、ですね」
「え?」
「さあ、奥様。もう少し食事をしてください。水分はしっかり摂らなくちゃ」
私は、マリアさんが一瞬だけ表情を変えたような気がしたけれど、はっきりとは分からなかった。
まだ疲れているんだろう。
食べたら、寝よう。
それが一番だ。