「あら、奥様」
「マリアさん!ここ、借りてもいいですか!?」
「いいですけど、奥様大丈夫ですか?ここのオーブンはちょっと癖が強くって」
「大丈夫です!やってみます!」
この人はメイド長のマリアさん。
中年のおばさんだけれど、料理も掃除も上手なのだ。
「奥様が来てくれて、なんだか屋敷の中が花やかだわ」
「そうですか?でもルイだってずっとあんな感じではないんでしょう?」
「いいえ!生まれた時からあんな感じですよ!あっはっは!」
彼は生まれた時からあんな感じ。
そうなんだ、と思いつつ私はそれでもこの人も、ハンスも、彼を大事にしていることがよく分かった。
「前の奥様、坊ちゃまのお母様なんだけど」
「はい」
「活発な人でねぇ。木でも屋根でも上っちゃうような人」
「から、どうしてあの人が生まれたんでしょう?」
「そうそう!不思議でしょう?」
あはははと、大きな笑い声が響く。
明るくて楽しい我が家というものは、こんな感じなんじゃないかと私は思った。
マリアさんとは、パウンドケーキとクッキーを大量に焼いて、自分たちでも美味しいと思ったので妹に届けてもらうことにした。
綺麗なかごに詰めて、手紙を添える。
あの子は元気にしているだろうか。
いつも私に引っ付いて、泣いてばかりいたのに。
もうすぐあの子は学園に入り、身分を隠している王子と出会うはず。
なんて運命的な出会い。
その側にいてやれないことは寂しいけれど、少しでもお姉ちゃんは力になれるように頑張るから。
キラキラ輝くような恋愛模様。
その裏ではイジメも裏切りもあるけれど、だからこそ輝く恋愛もある。
妹へ手紙を書きながら、私はふと思った。
そんな辛い目に遭わせて、たとえ幸せになるとしてもありなのか。
そんなことを考えると、ペンが止まった。
止まってしまったペン先からインクが落ちる。
新しい紙を出して、書き直しをするとなんだかまとまりのない文章になってしまった気がする。
それでも、私は大事な妹への手紙を書いた。
書き終わった頃合いにお茶を取りに行くと、ハンスがやってくる。
慌てた様子だったので何事かと、思ってしまった。
「どうしたの、ハンス」
「奥様!あの」
ハンスが言いかけた横から私に飛び込んでくる存在がいた。
それは。
「アリシア!?」
金色の髪。
青い瞳。
フランス人形のような、可愛い私の妹。
それがどうしてここにいるというのか。
「お姉様!」
「アリシア、どうしてここに、どうやって来たの!?」
「お父様の馬車を貸していただきました!」
「え、それって仕事用の馬車じゃなかったの?」
そんな気がしたけれど、目の前の妹はニコニコしているばかりだ。
この子にとって、そんなことは関係ない。
きっとここに来るだけで必死だったのだろう。
「ハンス、お茶を準備してもらえますか?妹と話がしたいので」
「お姉様、私もここで一緒に暮らします!」
おいおい、ちょっと待って?
妹は必死になって私にすがりついてくる。
それはいいのだが、発言がおかしかった。
「私がお嫁に行くまで、ここで暮らします!いいでしょう?」
「ちょ、アリシア、待ちなさい!あのね、ここはグラース家の屋敷だから!」
「嫌です!私はずっとお姉様と一緒にいるんです!!」
わがままを大爆発させている妹は、いつもと目の色が違う。
絶対にここから帰るまいという、執着が見えた。
こんな子に育てた覚えはないのに!
別室で温かい紅茶を飲ませ、クッキーやケーキを与えた。
可愛らしい様子はいつもと変わらない。
でも、おかしい。
「やっぱりお姉様のお菓子は最高です!」
「あのね、アリシア。ここは私たちの自由が効くところではないの。ちゃんと家に帰りなさい」
「いやです」
「アリシアったら……」
妹にとって、私がいる場所でなければ意味がないのか。
こんな子ではなかったはずなのにと、何度も何度も記憶の中の『本のページ』をめくる。
めくってもめくっても、こんなわがままをいうシーンはなかったはず。
なぜ?
私が育てたから?
疑問は降り積もり、私を悩ませていく。
するとドアが勢いよく開いた。
「ネズミが入り込んでいるな」
会合から戻ったルイが、妹をジロリと睨んで言った。
ネズミ?
そんなものがどこにいるのかと、私は周囲を見回す。
違う。
この男の言うネズミは。
「ご機嫌よう、グラース様。お姉様がお世話になっております」
「フン、姉の嫁ぎ先へ押しかけるような、躾けのなっていないネズミは、さっさと帰ってもらおうか」
「生憎と夜も更けてまいりましたので、女一人では帰れませんわ」
二人の間に火花が散った。
おかしいな。
妹はこんな子ではなかったはずと、思ってしまう。
もうそんな時間かと思って外を眺めたが、夕暮れを少し過ぎたくらいの時間ではないかと思う。
ルイは夜中に帰ると言ったのに、会合がそんなに早く終わったのだろうか。
理由はよく分からないけれど、早く帰って見れば嫁の妹が勝手に遊びに来ていたのだから、驚いたのかも。
いや、そんなことで驚く用には見えないけれど。
「ルイ、あの、紹介します。妹の」
「ネズミは出て行くように言っているんだが?聞こえないのか?」
私の可愛い妹をこの男はネズミ呼ばわりする。
カチンときたけれど、我慢だ。
我慢よ、セシリア。
我慢ならたくさんしてきたじゃないか。
この1回くらい増えたって、どうってことはない。
はず。
「妹はネズミなんかじゃありません」
ブチンと切れたのは私の血管。
妹をネズミと罵られて、私はルイに掴みかかった。
この世界でこんなことをすれば、それこそ命の保証はない。
私にとっての命綱はこの人の妻になること。
それを失うかもしれない危険。
それでも、いい。
それくらい大事なのだ。
「よく知りもしないで、妹のことを言わないでください!」
「お前こそ、妹のことを何も知らないのか!」
「知っていますとも!12年も私が世話をしてきたんです!」
私が育ててきたのだ。
本当はそれ以上前から知っていて、私の憧れ。
私の大事な思い出と憧れの詰まった、存在。
でもルイはそれを良しとしなかった。
「お前は本当に何も知らないんだな」
ルイにそう言われたけれど、何も知らないのは彼の方だ。
妹はこれから先、王子と結婚してこの国を支える立派な王妃になる。
その為に生まれた存在なんだから。
夫婦喧嘩と言えば、そうかもしれなかった。
まだとりあえず婚約状態なのに、破棄される可能性だってあるのに。
それでも私は結婚よりも、妹をとる!