ルイの屋敷は、広くて綺麗なのだが人間は少ない。
執事やメイドも限られた人数だけだし、グラースの家は彼しかいなかった。
噂で聞くには、先の戦争でルイの家族はみんな死んだという。
詳しい経緯は分からないのだけれど、年の離れた弟も死んでしまい、彼はそのことで酷く落ち込んだという噂だった。
その頃から彼の家に入りたがる貴族令嬢たちの求婚が盛んだったはずだが、ここ最近はそんな話もパッタリとやんでいたはずなのに。
なのに、急に私に話が回ってきた。
引く手数多、より取り見取りは一時的なものだったのだろうか。
でもルイの容姿を見れば、多少性格に難アリでも諦めない輩は多いだろうに。
それを上回る何かが彼にはあったのだろうか?
「母が」
「はい」
「何もできない人だった」
「……貴族のお生まれなら、致し方ないかと」
「いや、でもやる気だけはあって」
貴重な紙に子どもたちの幼い字が並んでいるのを見ながら、ルイは言う。
その視線は紙に向いたまま、私を見ることはない。
でも、彼はきっと紙ではなくて、もっと別のものを見ていたに違いない。
「なんでも自分でやらないと気の済まない人だった。厨房に入っては小火、馬小屋に入っては馬が全部逃げ出し、剣を握れば父に突き刺し……」
真剣な顔のまま話す彼を見て、私は何を聞かされているのだろうか?と思う。
彼の母親は貴族の娘ではなかったのだろうか。
「その、お母様は……」
「母は元々剣士の一族の生まれだった。だから父に見初められて結婚し、一緒に戦場で死んだ」
「え、一緒に戦場に行かれたんですか?」
「ああ。そういう人だったんだ」
が、この男を生んだ。
ということは彼の中にはその素質が少しくらいは受け継がれているかもしれない?
だから子どもたちをこんな風に招いて、剣を教えて食事を与えるなんてことをしているんだろうか。
変な人だなと、思いながら。
そんな人のところに嫁いできた私も、変な人なんだろうなぁと、思う。
「お前は母に似ているよ」
「確認ですが、それは褒めていらっしゃるんですか」
「ああ、褒めているとも」
「それならば、感謝します」
「感謝することなどない。俺は時間だから、もう行くぞ。片づけを頼む」
「はい。あの、今日はどちらへ」
「騎士団の会合だ。戻るのは夜半だろうから、気にするな」
彼は片づけを私に押し付けて、ハンスを呼びに行った。
そんな日でも子どもたちの相手をしていたのか、と正直驚いたけれど、それも貴族のすることなのか、母の血がさせることなのか。
片づけを済ませた私は馬小屋へ行き、ルイの馬を見る。
綺麗な馬が並んでいたが、どれも気性が荒そうだ。
近づくと鼻息を荒くさせる馬ばかりがいて、どうやって調教されたんだと、思ってしまう。
「初めまして。私はセシリアよ。旦那は勝手にシシィって呼んでるけどね」
返事をするわけでもない馬に向かって話す。
真っ白な馬の鼻筋を撫でた。
実は私は、両親に隠れで乗馬の稽古もしたのだ。
だから馬の扱いもできる。
この子はいい子だと、すぐに分かった。
「あなた、いい子ね。名前はなんていうのかしら」
顔を寄せてくる馬を優しく撫でて、私も馬に乗りたいなぁと、思ってしまう。
普通女の子は馬に乗らないと、両親は言っていた。
だから乗馬の練習がしたいと言えなかったので、勝手にすることにしたのだ。
馬はよかった。
とてもいい、とても賢い動物だ。
むしろ家の財政を傾かせた兄の方が馬鹿なくらい。
動物という生き物は本能が備わっているから、とても賢くて、愛情深いのである。
「奥様!」
ハンスの声がしたので、私はそちらを見た。
焦ってやってくる彼は、私の無事を確認してくる。
「お怪我はありませんか?ここにいてはお召し物が汚れます」
「いえ、怪我はありませんけど」
「そうですか。坊ちゃまの馬は気性が荒いんです。お怪我がなければぁッ!?」
私の心配をしていたハンスは馬の鼻に押されて、バランスを崩す。
「こんな馬なんですよ。坊ちゃま以外の言うことを聞かなくて」
「でも調教はされているんでしょう?」
「はぁ、ですが、この馬の調教は……」
「ハンス!まだか!」
ハンスの説明を遮ったのはルイの声。
ルイはすでに支度を済ませて、馬を待っていた。
そこに私がいたから、彼は驚いた顔をして馬屋に入ってくる。
「何をしている」
「馬を見ていて」
「俺の馬だぞ」
「知ってます。私の馬ではありませんから」
「平気なのか?」
「ええ。いい子ですね。ちゃんと調教されているし、頭もよさそう」
そう言って、白い馬を撫でる。
ルイとハンスは顔を見合わせて、驚いていた。
「その馬は、母が調教したんだ。元は野生の馬で、母が連れ帰ってきた」
「すっごいとんでもストーリーが出てきたぁ……」
「それ以来ここにいるんだがな。母と俺以外には懐かない。誰も触れず、誰も乗れなかった」
野生の馬をどうやって連れて帰ってきたのか謎だけど、お母様ってすごいのね。
色々な母を知っている私だけれど、そんな野生児みたいな母は初めてだ。
馬は私を気に入ってくれたのか、もっと触れてを鼻を寄せてくる。
「何が気に入ったのか分からんが、今度お前も乗せてやる。馬には乗ったことがあるのか?」
「乗馬はできます。好きなので」
「いいか、勝手に乗るなよ」
「勝手には乗りません」
「俺の馬だからな」
ルイはそう言い放って会合へ向かって行った。
普通さ、そういう時は落ちて怪我するからとか、色々心配するもんじゃない?
俺の馬だから勝手に乗るなって、どれだけ馬が好きなのよ。
「奥様、坊ちゃまは昔から馬がお好きで」
「普通、こういう時って妻の心配をするものですよね?」
「はぁ、そうですね、坊ちゃまはそういうお人柄で」
「はぁ……まあ、いいです。そんなこと気にしていたって仕方ないし。ちょっと厨房を借りますね!」
「え、あ、奥様!?」
ハンスの横を通りぬけ、私は厨房へ走った。
ここの厨房が広くて使いやすいのはすでに把握済みだ。
色々と準備をして、妹へ贈るためのお菓子を作ろうと思っているんだけど。