「お姉様、またケーキを作ってくださいますか?」
「大丈夫よ、作ってあげるから」
「でも……騎士団長様の邸宅は、ここからかなり離れていますし」
「その時はちゃんと事情を説明するわ」
妹が不安そうに私を見ている。
彼女の言う騎士団長とは私の結婚相手だ。
そう、結婚相手だ!
私、異世界で結婚します!
日本でも結婚できなかったのに、異世界で!
しかもなぜか騎士団長と結婚!
こんなストーリー本の中には出てこなかったのに!
改変されていくストーリーを感じつつ、何がどうなっているのか悩みつつ、とにかく私は結婚します。
でも騎士団長って、確か『本の中』では王子の護衛をしているくらいのちょっとした姿しか描かれていなかったはず。
どんな人なのか、想像もつかないくらいの人だ。
そもそもこの世界では、顔を知らなくても結婚というのが成り立つらしく、私は遅いくらいらしい。
若い人ではそれこそ中学生くらいの年齢で婚約、結婚が当たり前。
いつの時代なんだと、思ってしまうくらいの設定だ。
でもそれもあって、若いうちに子供を生んだり、割と子だくさんの貴族も多いと聞く。
中にはお金に余裕があるからと、孤児院で頭のよさそうな子、可愛らしい子を養子にするのも流行っているそうだ。
流行っているというと嫌なイメージかもしれないけれど、お金持ち同士が話をするとそういう感じになってしまう。
あちらの奥様が娘さんを迎えたんですってと聞いたなら、それならば私は男の子をと、いうマダムが出てくるわけである。
まあ、私ももらわれてきた身なので、文句は言えなかった。
愛しい妹と離れるのは嫌だけれど、いつかこの子も王子の元へ行ってしまう。
それを考えると、私みたいなコブがいつまでもついていたらいけないような気がした。
「どうして、お姉様が……顔も知らない……男に」
「どうしたの、アリシア?」
「いえ、なんでもありませんわ、お姉様」
「もう、爪を噛むのはやめなさい。整えましょうね」
「はい、お姉様」
アリシアは時々爪を噛む癖があった。
汚くはないのだけれど、あまりいい癖ではないと分かっていたので、できるだけ注意をしている。
小さな指先に可愛らしい爪。
それを整えながら、私は自分の赤毛とグリーンの瞳を『赤毛のアンだなぁ』と何度も思うのだった。
赤毛のアンでもちょっとはマシになるはず。
そう思って生きてきた。
家の中で私だけが赤毛、私だけがグリーンの瞳。
赤毛のアンと、勝手に思って生きている。
でもそう思うことで何でも負けずにやって来れた。
ドレスの着方もお化粧もすぐに覚えて。
勉強も作法もすぐに覚えて。
ピアノはちょっと指が短いから大変だったけど、今では何でも弾けている。
お菓子作りも料理も、洗濯も掃除もなんだってできる。
(メイドたちは血相を変えてやめさせようとするけど)
この転生した世界。
いつ何があるか分からないのだ。
いつモンスターが襲ってきて、いつ街が崩壊するか分からない!
魔王や邪竜やゴブリンが出てきたって、生きていけるようにしっかりしとかないと!と思っていた。
でも聞いたら、そういうモンスターはこんな市街地には出ないらしい。
稀にそんな噂も聞くけれど、事実を知るお金持ちなんているはずがなかった。
おやつのセットを片付けて、妹をピアノのレッスンへ行かせる。
私は荷造りの続きと、部屋の掃除だ。
長年お世話になったこの部屋ともついにお別れだ。
急なお別れよりもマシである。
捨てておきたいものは捨てておけるし、隠したいものも隠せる。
準備なく死んでしまった日本のあの部屋を、どんな思いで両親が片付けてくれたか想像したくない。
『この本』が全巻揃っていて、しかも押入れの布団の奥に隠していたので、見つけたらなんと言われるか。
でもそれももう18年も前の話になってしまっている。
私はもう18歳で、2回目の人生。
そして騎士団長のルイフィリア・レオパール・グラースの妻となる。
あー、噛まずに言えた。
相手の名前を噛まずに言えるように、どれだけ練習したことか。
どうして私が結婚することになったかというと、この家が財政難で傾いてしまったからだ。
父の起こした事業の一部を兄が引き継いでいたが、見事に失敗。
父から大目玉を食らった兄は、あれやこれやと頑張ってはいるが、どう見ても商才がないのである。
仕方なく、私は兄に少しだけアドバイスをした。
それは私が老舗旅館の跡取り娘として育てられたことからの、知識だ。
それを聞いて少しだけ財政は落ち着きつつあるようであるが、どうなることやら。
そんな折、騎士団長から私に対しての求婚があった。
もちろん一方的なものなので、それなりの結納金と所有している土地の一部まで明け渡すという。
父にしてみれば、長女とはいえ養女である娘を貰ってくれる上に、お金まで持参があるなら願ったりかなったりだった。
最初は渋った私だったが、養女であることを強く言われたこと、我が家よりも位は上の騎士団長から直接申し込まれたとのことで、断れなかった。
でもこれって転生モノのあるあるなのではと、思いながら、もう少し転生モノも読んでおけばよかったななんて、思ってしまう。
あの頃は興味がなかったんだよ。
だからこれから先の展開がどんな感じなのか、正直分からない。