神宿ダンジョンにて到溺教会が引き起こした竜種誕生事件から半年。
『待ってくれた皆、元気にしてくれたかなー?!』
古都の一角に居を構えるレネス整備店に設置されたテレビからは、とあるアイドルが半年振りに液晶の向こう──舞台に立つものならば誰しも一度は憧れ、彼のチープ・トリックが成功を収めたのを皮切りに全世界にまで影響を及ぼす日本武道館を席巻していた。
舞台に立つは両刃剣の柄にマイクを取りつけた奇異な得物を構えた女性。
茶髪のロングヘアーを振り撒き、右肩に取りつけた青のマントを振るう様は女騎士めいてファンの目に映り、事実として彼女が表舞台に帰還できたのもそこに由来している。
『今日は私の復帰ライブだから、是非とも楽しんでいってね』
彼女の言葉を合図に会場の明かりが落ち、周囲が闇に包まれる。
一面の黒が空間を支配し、突然の消灯に機材トラブルが脳裏を掠めたファンの一人や二人ではない。
が、テレビの向こうで中継を眺めている層からすれば、あくまで演出であると即座に理解できた。没入感の差と言われればそれまでだが、騒然とする会場内部がどこか滑稽に映るのも仕方がないか。
『それじゃ、最初はこの曲……最近古いアルバムが急に売れてるらしくて、作曲者としても嬉しいよ。
SHINEから行くよ!』
感慨深く叫ばれたかけ声を合図に、ムーンイーターの喉が美声を紡ぐ。
『──誰かの懐 光って見える
皆の懐 輝き見える
それらを貰えば 眩き途絶える
だから再び 誰かの請える──』
「なんだ、この曲? これが最近の流行りなのかい?」
テレビの向こうでスパナを片手に作業をしていた女性──レネス・ビューラーは、画面から流れてきた歌に首を傾げる。
冒頭部分だけならまだしも、続く歌詞にはガラクタだの山札だのマグロだの、適当に単語を当て嵌めただけではないかと錯覚するものが頻出すれば疑義の念を抱くというもの。如何に現在最も勢いに乗っているアイドルの曲だとしても、金髪の女性は世間の慣性自体を疑うばかり。
一方で共にテレビへ関心を寄せながら、視線はレネスの手元に置かれた物体へ注がれたままの少年はぶっきら棒な口調で反論する。
「このヘンテコソングに救われた訳だからな、神宿区の連中はよ」
「へー、つまり彼女は女神様って訳だ。どこぞのポンコツ三流冒険者様にとってもな」
「うっせんだよ、黙って手を動かせ」
アイドルとして謹慎期間中に起きた事件に対し、ムーンイーターは即座に冒険者ギルドの招集に従った。
無論事務所としては謹慎期間中に冒険者として活動するなど言語道断であったものの、事件の解決以降から共同戦線を張った冒険者や自衛隊員からの感謝の声が絶えず鳴り響く状況は本来の主張へ不利な流れを見せた。故に最終的には便乗する形で彼女の活動を肯定し、むしろ積極的に赴くよう指示を出したと事実を捻じ曲げてさえいる。
突然の掌返しに所属タレントや一部のファンの中には眉をひそめる者もいたらしいが、それらの急変が世論の後押しによってムーンイーターの早期謹慎解除と初の武道館ライブにまで繋がったとのこと。
「手ならいくらでも動くさ。ホラ、この通りにな」
「喧嘩売ってんのか、テメェ?」
「まさかな。ただ、こりゃすぐに直らねぇから、どうしてもやる気がな……」
お手上げといったポーズを取ったレネスは、机に広げられた人の腕を模した機械を見下ろした。
露出したチューブは半ばから弾け、シリンダーもまた熱と衝撃のダブルパンチで大幅にひしゃげている。魔鉱ドライブは溶けた放熱フィンが熱を逃がす穴を塞いだ上で形状を歪ませ、マニュピレーターもまた原形を失った鉄の塊と成り果てていた。
「竜種やダンジョンコアの打倒を前提に出力周りを調整しているって聞いたはずだが……やっぱりヘタクソにはキツかったか?」
「そんなんじゃ、ねぇこともねぇが……」
加古川と言えども、メルリヌスの討伐が単騎で叶ったと妄言を宣うつもりはない。故に言葉尻がしどろもどろになり、曖昧な声音がレネスの口端に一層の亀裂を走らせる。
ひとしきり笑い倒すと、金髪を振って努めて真面目な様子へ回帰を果たした。
「とにかく、こいつの修理にはかなりの時間とお金がかかる。何せ虚之腕は試作品、パーツの取り寄せにも相応の伝手を頼る必要があるからな。
当分はそのナイフ一本でゴブリンでもチマチマ狩ってろ」
「ケッ、半年前から進捗ねぇじゃねぇかよ」
「うっせぇ、こっちにも事情があんだよ。ポンコツ一人にそうそう時間を作れるかっての」
言い、レネスが視線を向けたのは、部屋の一角に張られた新聞。
そこには到溺教会員の多くが逮捕されたこと、ダンジョン内で息を潜めるのに神灯院グループが一枚噛んでいたこと、そして他の信者から猊下と呼ばれていたドライコーン・ビューラーが竜種の贄として自害したことが記載されていた。
溜息を一つ、幸福を寂寥な心情と共に吐き捨てる。
決して心情を吐露する気はない。
加古川にしろ彼に付き添っていた少女にしろ、敵対という形だとしても関わってきた面々に事実を突きつけるのはあまりにも酷だと判断したからこそ。
レネス・ビューラーは誰もが喝采を上げる弟の死に一人、内心で涙を零す。
「……あぁ、ダル。足運んで損したわ」
信頼の置ける整備士が浮かべた一瞬の沈鬱さを見逃さず、加古川はわざとらしく悪態を吐いた。
あまりに唐突な物言いに、気を使われた当人も何か作為的なものを感じずにはいられなかった。が、彼の心遣いへ水を差すつもりもないのか、気づいた素振りをおくびにも出さずに応じる。
「……ハッ。無駄足だっつうんなら、文字通りの手抜きでダンジョンで小銭でも稼いできな」
「そうさせてもらうわ。また来るぞ」
「いってらっしゃい、なんてな」
冗談めかした挨拶に乾いた笑みで応じ、隻腕の少年は整備店を後にした。
メルリヌスが取り込んだダンジョンコアの破壊、そして万が一にも竜種が再出現しないための自衛隊による断続的なコア破壊によって、神宿ダンジョンは大きく様相を変えていた。
度重なるコア破壊によって魔素の密度も低下したため、国からの識別コードも『す〇三一七』へと変更され、一時は特級にまで指定されたダンジョンランクも現在では三級にまで下降している。
下降に伴って魔物及びドロップ品たる魔石や魔物の素材も質が落ち、冒険者の多くは近隣のダンジョンへ拠点を移動していた。
尤も拠点を気楽に変更できるのは内側冒険者の話。
誰からも活動が保証されていない外側冒険者は、人々の関心が薄れつつある神宿ダンジョンを大手を振って満喫していた。
「そらッ」
短く息を吐き、ナイフの一閃で毛皮がはち切れんばかりに四肢を肥大化させた魔猿の首を断つ少年──加古川誠もその一人。
人類の祖先にして近くて遠い存在たる猿が魔素に侵され変質した存在は、唾液を垂れ流しにした口ごと頭部を地面へと落として次いで身体が倒れる。地面に倒れた衝撃で魔素へと還元された肉体は、魔石のみを残して霧散していた。
一手で魔物の命を絶った少年は、口でナイフを噛むと空いた左手でドロップ品を拾い上げる。
「……質がわりぃ」
黒ずみ薄汚れた魔石は専門家の鑑定を待つまでもなく劣悪な代物であり、二級ダンジョン時代であらば決してお目にかかる機会はなかったであろう。
元の生物の影響が色濃い魔物に顕著な傾向だが、死体に付着した魔素が変異を起こしたことが始まりのためか、魔石に不純物が多く混在しやすいのだ。等級が上がれば魔素自体の密度が向上するため、この手の問題は発生しづらいのだが、三級ともなれば致し方なし。
隻腕で感覚が微妙に変わっている少年には魔物の脅威度的には好都合なのが、幸いというべきか。
「しっかし、片手じゃ拾うのも面倒だな……いや、それとも一人だからか」
加古川は無人の背後へ視線を飛ばす。
メルリヌスの討伐後、伊織は自衛隊と冒険者による防衛線へ自首した。
冒険者ギルドへ無断のダンジョン突入を筆頭に多数の罪を重ねている少年に自首を促す資格もなければ、促すつもりも皆無。
むしろ熱気に沸く一同を尻目に人知れず離脱するつもりであった。
たとえ破損した義腕の重量で碌に動けなくとも。
『駄目だよ』
しかし切り揃えられた黒髪を揺らして振り返ると、少女は意図的にキャラを崩した──あるいは本来の口調で否定の意を口にした。
『僕はこの罪からは……この罪からも、逃げたら駄目なんだ。
昨日までの責任と、今日……向き合わないと』
飛田貫伊織、あるいは一人。
戦勝ムードの中、少女を連行するのに抵抗を示す面々から名乗りを上げたのは、竜種の一撃を抑えたことで腕から血を流すセージ。
憎まれ役を進んで買ったようにも見える彼の手で連行された彼女は、新聞や警視庁の発表によれば飛田貫伊織殺害や到溺教会の目論見に加担したことを明かしたらしい。詳細は世間に伏せられ、竜種へ魔物を供給していたことまでは知られていない。
「……はぁ」
沈んだ気持ちを切り替えるべく、首を振ると腰のポケットへ魔石を収納。左右を探って次の獲物を捜索した。
魔猿もまた、徒党を組み集団で活動するタイプの魔物。
手早く斬り落とした仲間の血を辿り、道の左右から復讐に燃える双眸を覗かせていた。
「ハッ。下手に一匹づつチマチマ探すよか、よっぽど性にあってんな」
腰を落として低く構え、ナイフを持つ腕から努めて脱力。
待ち構えている間に摺り足で後退し、岩壁に背中を預けた。背後から軽い衝撃が訪れたのと同時に、先遣隊とでも称すべき魔物が鋭爪を伸ばす。
無造作の引っ掻きをナイフの斬り払いで受け流し、姿勢の崩れた所で喉元への刺突。
急速に目から光を失う魔猿を切り捨て、そのまま腰を捻ると右から迫る爪を受け止める。やや姿勢に無理があったものの、防御が間に合うと思わなかった魔物は甲高い音に動揺し、暫し動きを止めた。
故に体重移動によるタックルが直撃し、掬い上げる刃が顔面を二つに両断する。
敵も一体や二体では収まらず、物量で押し潰そうとたった一人へ殺到してきた。が、加古川は隻腕であるにも関わらず、残る三肢を駆使して次々と斬り捌く。
だからこそ、襲いかかる危機もあくまで顔面へ爪が伸びる程度。
それも死角から距離を詰められた訳でもなく、周囲を捌いている間に間合いへ飛び込まれただけ。冷静に重心を逸らせば、頬を掠めるに留まる。
もしくは、だからこそ気づくのが遅れたのか。
「ゲギャァッ」
しゃがれた子供のような鳴き声と共に割り込む緑の肌が、錆ついた剣を以って魔猿の腕を切り裂いたのだ。
突然の事態に絶叫する獣へナイフを突き立て霧散させると、加古川も横に並び立つ存在を一目した。
子供程度の体躯に通常の倍程ある細腕を伸ばし、手には棍棒や刃毀れの目立つ剣。もしくは無手にして人類が進化の中で切り捨てた鋭利な爪を煌めかせる。岩を彷彿とさせる凹凸が目立つ緑の皮膚を持つ魔物。
幻想の中で名付けられたそれを、神宿ダンジョンから失われたはずの名を思わず呟いた。
「ゴブ、リン……?」
「そ、ひっさし振りですねー。加古川」
「あ……?」
加古川の鼓膜を揺さぶった声音に、思わず視線を動かす。
多数のゴブリンを従え、悠々と歩くのは一人の少女。
スクールカーディガンの代わりにオーバーサイズのパーカーを着用し、チェック模様のロングスカートで足元を隠す。起伏に乏しい体型を誤魔化したファッションの一方で犬を連想させる黒のチョーカーを装着した、黒髪を切り揃えた少女が桜の瞳を爛々と輝かせて隻腕の少年を見つめていた。
鷹揚に掲げられた右手は、数年来の友人との再会を喜ぶかの如く。
「伊、伊織なの、か……?」
脳に響く衝撃の中、辛うじて呟けた疑問に少女は曖昧な表情で応じた。
「今は迷宮管理庁直轄の懲罰ギルド所属の飛田貫一人……冒険者名が飛田貫伊織ですねー」
公務員とは些か思い難い服装でこそあるものの、加古川自身も危険地帯へ足を踏み入れる見た目からかけ離れている。
だからという訳でもないが、二つの名を持つ少女の言葉には一定の信頼が抱けた。
「いやー、超法規的措置って本当にあるんですねー。
僕の魔法が凄い便利だからって、それを使ってダンジョンで働くことを贖罪にしろって言われてですね。うん」
「……ハハッ」
不思議と、伊織の言葉を聞くと腹の底から笑みが零れた。
最初こそ口元を抑えて肩を揺らすに留めたものの、やがて堪え切れなくなる。身体を仰け反らせて天井を向き、あらん限りの大笑を轟かせた。
突然の、半年前に見たこともない仕草に伊織は一歩後退る。
が、目尻に涙さえ浮かべる姿に異常なものは感じられず、少女は靴の音を鳴らして少年との距離を詰めた。一歩一歩、確実に踏み締めて。
「遅くなったけど、はい。回復薬代です」
「随分と遅くなったな、オイ」
世界は吟遊詩人が語る物語ではない。
リンゴの落下を理由に万有引力を発見するように、時として過ぎた偶然が大手を振ってまかり通る。
不条理、理不尽、あるいは奇跡。
現実離れした噛み合わせが持つ無数の名の内、どれがより適切なのかは当事者だけが知っている。