「幻風貪狼一刀流・三段」
月背勝児の放った逆袈裟の一閃は、飛翔する純白の竜種が広げた大翼。その右翼膜を切り裂き、制動を失った肉体を地面に擦らせた。
音の壁を突き破った生物種を超越した速度域、四つ足は数メートルと言わずに轍を刻み込み、予想外の事態に揺れ動く尾が岩盤を粉砕する。轟音を鳴り響かせる合間にも無数の銃弾と魔法が殺到するものの、いずれも合金の如き竜麟を穿つことは叶わない。
だが、無敵の虚飾を引き裂かれたことで自衛隊と冒険者の混成部隊の士気を一気に高める。
「オォォォ、流石は剣聖ッ。竜種に一撃を加えやがった!」
「イケる、イケるぞ、この戦い!」
「自衛隊全隊に告ぐ、彼の奮戦を無駄にするなよ!」
「了解!!!」
「……!」
遥か後方で鳴り渡る歓声を背に、一人月背は驚愕にアメジストの目を見開いた。
翼膜を引き裂けた事実に、ではない。
むしろ反対。
「両断が、叶わなかった……!」
幻風貪狼一刀流・三段は広域に拡散することで多数の敵を圧倒する普段のものとは異なり、刀身表面に宿した魔風を一つの刃として振るう技。
集約によって切れ味は刃が担う領域を遥かに飛び越え、過去にはダンジョンコアを半ばまで切り裂いた経験すらも持ち備える。
月背としても、ダンジョンに潜ってから培われた幻風の魔法と幼少から習っていた貪狼一刀流を組み合わせた現在の型へ多大な信頼を置いていた。凡百の魔物や冒険者に遅れを取るなどあり得ないと。
しかし彼の自信には現在、手に走るものと同種に動揺が迸っていた。
翼膜を切り裂くだけで、肝心の骨格には傷の一つもつけられず。愛刀たる
「以後件の竜種を最重要討伐対象、仮名メルリヌスと呼称するッ。足を止めた今こそが好機だ、かかれェ!!!」
「剣聖のおこぼれに預かるみてェで好みじゃねぇが、行くぞ!!!」
剣聖が抱く動揺に気づくことなく、防衛線を多数の冒険者が飛び越えて突撃を開始する。
各々が剣に斧、メイスにランスと思い思いの得物を握り締める様はカラフルに映り、純白の竜種改めメルリヌスというキャンパスへぶちまけられる絵具を連想させた。
更に後方からは直線の軌道を描く銃火器に代わり、曲射が可能な弓矢による支援射撃が加わり、徹底して邪竜の動きを妨げんとする。
十重二十重の攻勢が迫る中、肝心の竜種は鮮血の瞳を細めると殺意の滲んだ鋭利な輝きを放つ。
「ッ……!」
すると最前列を突っ走っていた男が不運にも目が合い、並外れた恐怖で足を止める。
出現の予兆が伺えただけでダンジョンが特級指定を受け、一度都市部に出現すれば災禍の炎で包み込む竜種。生物としての性能が違う彼の存在と遭遇する確率など、如何に冒険者といえども一生に一度あれば多い程度。
故にこそ、恐怖に足を竦ませて立ち呆ける男を叱責することなど誰にもできない。
そして、生物として当然の生存本能が彼の人生に於ける明暗を分けた。
「■■■■■■!!!」
一度首を天井に上げ、鼓膜を揺さぶる声音で肺に空気を送り込むと、空間へ叩きつけるように咆哮。
物理的破壊力を付与された暴力的音量が突撃していた冒険者達から鼓膜と生気の尽くを奪い取り、無造作に舞い上がる肉体は軌道修正の叶わない弓矢に貫かれる。更には弓矢自体も勢いに負け出鱈目な方角へ鏃を向けると、メルリヌスへ到達することなく迎撃された。
倒れ伏し、あるいは中空から落下する前衛に唖然とするのも数秒。
一足先に声を上げたのは、指揮官を担っている男性であった。
「……だ、第三陣ッ。射撃用意ッ!」
男の指示で我に帰った自衛官達は、慌てて銃火器の照準をメルリヌスへと合わせる。が、崩壊した前線が否応なく視界に映り込むためか、動きに淀みが伺えた。
「……え?」
だからか、反応が遅れる。
竜種が相手であれば警戒して然るべき、口端より漏れ出る炎熱の脅威を。地獄の業火をも勝る、現世の生き地獄を。
戦闘機をすら一撃を以って撃沈させ、都市の主要機能を蒸発させうる終わりの焔。
竜種の火球を。
恒星の爆発をも連想させる、煌々とした輝きが三度。竜種の口内から解き放たれると、周囲の大気を焼き、ダンジョン内の気温すらも上昇させながら迫る。
「すぅ……!」
誰かが肺へ空気を送り込んだ直後、防衛線の中央付近で恒星が弾けた。
内包された暴威が炎熱として開放され、衝撃に多くの冒険者や自衛隊員が姿勢を維持できずに吹き飛ばされる。
地を這う者、岩壁へ叩きつけられる者のいずれにしても高温からの空気の破裂で装備に歪みが生じ、額に浮かぶ汗すらも蒸発させていた。着地の姿勢が悪かったのか、本来曲がってはいけない方角へ腕や足を曲げた者も少なくない。
慮外の高温下で像を歪める防衛線を見つめるメルリヌスの鮮血が捉えたのは、壊滅した戦線ともう一つ。
「ガラ、クタ……山札 マグロに、クマ縫い……
みんなみんなが 宝、物……
フフフ、随分と眩しいね……!」
刃を地面へ突き立て、マイクスタンドに見立てて縋るアイドルの姿を。
声をからして顔を拭い、それでもなおも不適な笑みを浮かべたままで。
翡翠の瞳は凛とした眼差しで竜種を見据え、彼我の戦力差を如実に理解する。
二級ですらない、片手間で冒険者を兼業しているような身分では天地が引っくり返っても勝鬨を上げることは不可能。吹けば消え失せる儚い命では、メルリヌスに傷の一つをつけるさえも叶わないだろう。
故にこそ、女性は柄を固く握り締める。
「ロックヴォイス……さぁ、後は頼んだよ。剣聖さん」
力強く荒々しい声音、破壊と嗜虐に満ちた意思が竜種の側に立っていた男を──月背勝児を魔素越しに高揚させ、戦意を滾らせる。
「クックックッ……!」
喉を鳴らす。
喉を鳴らす。
身体の内より湧き上がる高揚が、自然と喉を鳴らさせる。
哭鳴散華の柄を固く握り、月背は波打つ髪を激しく揺らす。武者震いに着物が擦れ、はち切れんばかりの肉体は開放の時を待ち望む。
紫刃が纏うは魔の気配を帯びし風。
純白の竜麟すらも貫き、両断してみせんとつり上がった口角が赴くままに、男は大上段の姿勢から刃を振り下ろした。
「幻風貪狼一刀流・初段!」
撒き散らされる有形無形の斬撃がメルリヌスへと殺到し、尽くが竜麟によって弾かれる。中には弾ける衝撃で周囲の岩壁を破砕するものも少なくないが、一方で竜種自体は無傷。
しかし、鮮血の双眸は壊滅した集団から付近に立つたった一人の男へと視線を移した。
無造作に持ち上げられた右前足が、猫じゃらしを弄る猫よろしく振るわれる。
地を割り砂塵が舞い散る破壊の一撃を、狙われた男は大幅に後退することで回避。更には砂煙を切り裂く剣閃で反撃を試みた。
飛来する風刃を気にも留めることなく、頂点捕食者は煩わしいとばかりに羽ばたく。
「クッ……!」
メルリヌスにとっては羽虫を払う程度の所作。しかして数倍もの体躯差を持つ月背からすれば、地面に刃を突き立て腰を落として堪えねば中空での舞踊を強要される程に。
爆発的な風圧が辺りを呑み込む中、竜種は竜尾を持ち上げ音を鳴らす。
調教師が猛獣に対して振るう鞭にも似た取り扱いであるものの、規格外の膂力差が徒な一撃にも破滅的な余波を与えた。
散弾めいて迫る岩石を身を低く屈めて躱し、一級冒険者は竜種との距離を詰める。
「滾る、滾る……血肉が湧き立ち、心が踊るッ。
生と死の狭間、五臓六腑を冷やす死線の数々ッ。これこそ我が身が求めた闘争の形よ!」
刃の間合いまで接近した月背は歓喜の言葉が赴くまま、高揚した肢体が熱を分け与えるかの如くに刃を担う。
純白の竜麟に絶えず負荷を与え続け、しかして無傷の戦況を反転させる材料としては依然として不足したまま。ムーンイーターによるサポートを加味しても、メルリヌスの防壁を貫くには至らない。
だが、なおも月背は足を止めることなく辻斬りの如く足元を動き回っては、鱗の隙間を意識して刀を振るう。
前足を、後ろ足を、腹部を、竜尾を、首を。
遮二無二切り裂いては、鋼鉄を彷彿とさせる音色をひたすらに響かせた。
「効かぬか、まるで刃が通らぬかッ。
これが竜種……都市を滅ぼす魔物の力ッ。たかだか人の力など有象無象に他ならないと、高らかに謳うに相応しき存在よ!」
無駄な行為を繰り返しているにも関わらず、剣聖が積み重ねた研鑽が無意味と断じられている結果にも関わらず。月背は喜色満面、絶えず湧き上がる高揚に従って言葉を紡ぎ続ける。
対するメルリヌスは無傷と言えども一方的に斬られ続ける現状を良しとせず、体重移動による質量攻撃を敢行。
地響きを上げて迫る体躯に対して、大幅に距離を図ることで月背は回避を果たす。
竜種が十全に戦闘を行うには、ダンジョンは狭く天井も低い。
翼による飛翔が制限され、前後の挙動程度しかできぬ状況下。機動力が大幅に削がれている現状こそが、彼の竜を撃破する最大の好機。
多少攻撃の振動で身体が揺さぶられる程度、縦横無尽に動き回る即死の嵐と比較すれば雲泥の差に他ならない。
後から後から湧いてくるアドレナリンが柄を握る握力を一層に強め、圧倒的強者へ注ぐ眼差しを鋭利に研ぎ澄ます。
「クハハハッ。いいぞ、我が刃が不快か。なればその腕でッ、口に含む火球でッ、我が身を抉り喰ろうてみせよ!」
周囲の情報を鋭敏に掴むため、過敏なまでに先鋭化された聴覚が後方の防衛線が体勢を立て直したことを理解させた。
銃火器を構える音。
魔法を放つ得物を突きつける音。
そして、指揮官が張り上げる声。
「撃てェ!!!」
直後、竜種の身体を撃ち据える多数の銃弾と魔法。
ムーンイーターの歌魔法によって致命的な被害を免れたのか、今も地獄の業火に包まれてる戦線の割には思いの外に弾幕は濃密。
喧しいばかりの跳弾もまたメルリヌスの意識を外部へ割かせる重要な要素となる。
鬱陶しさからか、竜種は再び首を天井へと向けて、肺へと空気を送り込む。
「芸がないなァッ、竜種よ!!!」
間隙を見逃すことなど無論なく。月背は周囲の魔素を搔き集め、風を紫刃へと纏わせた。
一歩踏み出し、掬い上げの姿勢を取る。切り裂く対象は生物の弱点たる頭部。
縦横無尽に動く首にしろ、遠慮なく開かれた口内にしろ、可動部分が制限される肉体と比較すれば強度に劣る。薄絹めいた勝算に過ぎないが、ひとまずは突いて結果を確かめてから判断すべき。
故に振るうは三段。収束した風の刃を以って両断を目論む。
月背の算段を知ってか知らずか、メルリヌスは勢いをつけて首を振り下ろす。
「ハッ……!」
「■■■■■■!!!」
音の爆弾とでも形容すべき咆哮。吠え立てる叫びをたった一人へ浴びせかけるように。
大気が震え、視界が震撼し、天変地異が起きたのかと錯覚する衝撃。真上から叩きつけられた声量が紫刃に纏わせた風を霧散させ、男の肉体にも形容し難い激痛を刻む。
鼓膜を破き、内臓にまで響き渡る絶叫が耳と口、二ヵ所からの流血を余儀なくさせた。
飛来していた弾雨が根こそぎ迎撃されたことなど、月背が知る由もない。
「ッ……か……!」
刃を掬い上げることはおろか、立った姿勢を維持することすらも叶わず、月背は頽れた。それでもなお柄を握り締めたままなのは、剣聖の二つ名が持つ最後の矜持か。
「……」
頭上では恒星を連想させる火球が射出の瞬間を待ち侘び、竜種の口内で待機していた。
過熱する空気が背を炙るものの、今の月背には身動ぎの一つすらも過ぎた望み。死が迫る実感こそ湧けども、抵抗する気力の一切は肉体への挙動に反映されない。
「よう、やく……敵と認識、した、か……だ、が……!」
絞り出された声は、竜種への抵抗を意味したものか。
だが、無慈悲にも火球は倒れたままの男へと叩きつけられ、恒星の爆発が周囲の大地を崩落させた。
焼け爛れる大地は異常極まる熱量によってマグマ化し、点在する焔は岩石にすらも灯る。
破滅的な明滅へ悲鳴を上げる冒険者達を睥睨せしは、振り下ろされた首より連なる鮮血の瞳。白煙の奥より煌めく双眸が、崩壊寸前の戦線に立つ面々を後ずらせる。
ある程度の抵抗が叶う一級冒険者を欠けば勝算などある訳もなく、絶命が宿命づけられれば逃走が脳裏を掠めるのも無理はない。
「キャハハ……ちょっと熱すぎるんじゃないかなー?」
軽薄な、酷薄な笑いが不意に零れる。
人々の視線が火球の落下地点へ注がれ、陽炎が揺らめく中に浮かぶシルエットを克明に印象づけた。
骨だらけの和傘を掲げた少女の姿を。
「ブラッド、ルーズ……か」
「強さだけが取り得ー、みたいな奴が倒れたら……もうなーんにも取り得がなくなっちゃうじゃん。さっさと起きなよ、月背」
男の問いかけに、場違いなまでの軽薄さで応じる少女。
骨組みのみとなった得物では、最早戦闘に参加することなど不可能。いっそ足を引っ張るくらいならば、早々に離脱したいのが彼女の本音。
微かに灯った火を振り払うと月背の首根っこを掴み、ブラッドルーズは竜種から距離を取った。
「き、さま……奴、から、距離を……!」
「少しは休んだ方がいんじゃなーい。月背も回復薬を飲んでさぁ」
「も……?」
不自然な接続語に違和感を覚えて指摘するものの、少女は自信あり気な表情を浮かべるばかりで回答する様子は見受けられない。
だが、背後から。距離を取る竜種の方角から足音が聞こえる。
革靴が大地を叩く音が、誰かがメルリヌスと正対する音が。
機械義肢を軋ませる音と共に。
「さっきはよくも散々揺らしてくれたなぁ。俺は乗り物酔いしやすい性質なんだよ……!」