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第45話 人は死ぬよ、必ず死ぬ

「そらよっス!」


 加古川と伊織が接触するよりも数刻前。

 空を裂く音が高らかに響き渡ると同時に、槍の切先が地面を抉る。

 身の丈を上回る長槍を、素人ではマトモな制動すらも困難と言われる長柄を巧みに操り迫るは、烏の羽根を模した装飾を取りつけた少年──烏星零羽。

 セージが率いるパーティ一番の若手であり、現状では三級冒険者の地位に甘んじている。本来なら神宿ダンジョンに足を踏み入れることすら制限がかかる立場にして、中学卒業と同時に冒険者の世界へ飛び込んだ故に経験も不足している。

 しかし、それは実力が劣るという意味に直結するのかは、否と断言できた。


「お、おのれェ……!」


 歯軋りを立て、碧眼で睨みつけるは到溺教会猊下のドライコーン。

 足元の地面へに突き刺さった槍を踏みつけて移動を妨げると、弓の如く引き絞った右手に魔素を渦巻かせた。

 魔法へ還元されていない、純粋な魔素の一撃。

 正面から浴びれば致命傷は避けられない破滅の奔流が解き放たれ、柄の先に立つ少年へと殺到する。

 渾身の一撃はしかし、直撃はおろか身体を掠めることすら叶わない。


「ほっと!」


 零羽は躊躇いなく槍を手放すとその場で身体を回し、独楽の要領でドライコーンとの距離を詰める。

 敵を目の前にして自ら徒手を晒すリスクの対価に彼我の間合いを数ミリ、顔と顔が接触する寸前まで近づけた。

 動揺に思わず顔を仰け反らせる猊下に対し、少年は喜色の笑みを浮かべて左腕を引き絞る。腕を捻り、螺旋を内包し、極僅かにでも衝撃を付与するべく。

 そして、開放。


「がッ……!」


 体内で炸裂する爆竹めいた反動に、ドライコーンは空気を吐き出す。数歩たたらを踏み、明滅する視界に次の手を打つ余裕が消失。

 一方で零羽は支えを失い、音を立てて跳ねる槍を踵で蹴り上げてキャッチ。そのまま手元で数回転させると適切な間合いの柄を掴み、鈍色に輝く切先を突きつける。

 魔法による物理現象への変換を経由しない魔素自体の射出に、初見では少年も困惑した。が、冷静に目で追えば、あくまで攻撃までの予備動作が少ない程度で他の点は魔法による攻撃と大差ない。


「いや、むしろ軌道の素直さを思えば回避が楽まであるっスね……」


 腰を低く、柄尻を持ち上げて突撃の姿勢を取る。

 つけ加えるならば、今も肩で息をするドライコーン。

 彼自体が戦闘経験に乏しく、ともすれば人に向けて凶弾を放つこと自体が始めてではないかと疑う程に手際が悪い。

 一つの組織を率いる立場、それも表立って活動できない法規制されたカルト宗教ともなれば対人経験が不足して当然の話。零羽にしても、あくまでゴブリンやウェアウルフを筆頭とした二足の魔物との経験を応用して騙し騙しやっているのが実情である。

 ベースになり得る経験すらないのであらば、彼にすら劣る有様も何らおかしくはない。


「ましてや相手は徒手空拳……だったらやることは至ってシンプル。

 自分の優位を押しつけろっス!」


 セージからの言葉を想起させ、一歩を踏み出す。

 槍の間合いを維持しつつ刺突や柄による打撃を織り交ぜ、ドライコーンに流血を強いる。とはいえ致命傷となるものは魔素による必死の迎撃に遮られ、あくまで削り合いの範疇に収まっていた。

 零羽側に傾いていた均衡を崩したのは、横合いから飛び込んできた光景。


「そんな馬鹿はもちろん、ひ、ひと……ひとッ……!」


 激痛に苛まれたかのように頭を抑えて涙や唾液、鼻水を垂れ流した伊織の姿。最後の文字を言い切って全てを割り切ることも、加古川が突きつけた全てを無視して言い張ることも叶わず、狭間に立たされた少女が激しく動揺していた。

 無論、今更引き返されて不都合が生じるのは到溺教会猊下。


「どうした闇の聖女ッ。そんな奴、さっさと磨り潰せ」


 自身も余裕がないにも関わらず、伊織へ向けて助け船を出す。

 もちろん、眼前の敵へ注いでいた意識を一刻でも他所へ向ければ、肝心の相手はフリーとなる。


「余所見とは随分と余裕っスね!」

「しまッ……!」


 鈍い反射光が煌めく切先に殺意が乗り、反応が遅れた漆黒のローブを穿つ。

 柄を伝って滴る流血が一つ、二つ、三つ。

 地面へ落下しては水分を希求していた岩盤が側から吸収していく。僅かに赤い染みしか痕跡を残さず、影伝いに浮かぶ光景を一目しなければ人が胸元を穿たれた現場とは認識できないだろう。


「……降参するなら、手当してやるっスが?」


 絞り出した声音で零羽は問いかける。

 引き抜いてから交渉しては回答を待つ間に絶命される可能性が否定できない。故に、事前に問い質す。

 否定されてはどうしようもないものの、積極的に手を赤く染めたい訳ではない。相手が望むのであらば、たとえ八年前に集団自殺事件を引き起こした集団を率いる存在でも司法に結末を委ねたいのが人情というもの。


「降……参……?」


 返答は、力強く柄を掴む右手。


「馬鹿を、言うな……神の渇望、星の中枢へと……ダンジョンを到達せしめんダンジョンブレイクを、竜種の降臨を妨げられッ……!」

「……そうっスか」


 如何に力を込めようとも、所詮は致命傷を受けた人間。

 少年が少し力を加えて引き抜けば、容易く切先は胸元を離れる。

 同時に堰を切って溢れ出す血流が互いの身体を朱に濡らし、地面もまた過大な水分を前に血溜まりを形成。

 生暖かい感触を努めて無視し、少年は感情を殺した瞳でドライコーンを見つめる。

 胸元に穿たれた穴は漆黒のローブを鮮血で満たし、たたらを踏む足元にも水滴の音を響かせた。身体を大きく揺らす中、フードが外れて縮れた金髪が露わとなる。


「あぁ、紫の霧の奥……神の供物を思い出す……

 母の事故を、父の子宮頸癌を……我が眼前で飛び降りた一三人の妹達を」

「何言ってんスか、いきなり……?」


 フードの奥に潜伏していた顔立ちは、三十路とは思えない。双子三つ子が連続しているならばともかく、そうでもなければ弟妹が一三人もいる年齢とは乖離した印象を受けた。

 ドライコーンは弱々しい足取りで身体を後方へと運ぶ。

 最初は弱った身体が自然と動いただけと零羽は認識していた。が、徐々に距離を取る様に困惑し、そして一つの可能性が思い当たる。


「飛び降りる気っスか?!」


 咄嗟に駆け出すも、ドライコーンの身体は既に半ばまで中空へと浮かんでいた。

 伸ばされた手が届くことなど、あり得ない。


「神よ、人の世を唾棄せし我等が父よ……

 この身を御身の授けし、竜種へと捧げましょう。そして彼の力を以ってして人々の焦土を……ダンジョンブレイクを実現なされよ」


 辞世の句めいて紡がれる言葉の刹那、グロテスクな咀嚼音が鼓膜に不快感を擦りつける。

 そして、災厄が目を覚ます。


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