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第41話 瞬きしてたらチャンスも

 神宿区都市部の一角、人々の鎮魂の祈りが込められた総合墓地が建設されている。

 元々はダンジョン発生に伴う混乱から既存分だけでは対処し切れなくなり、一部の所有者が曖昧な土地を政府が買い取って新造した墓地は、平日という事情も相まって人足は疎らであった。

 最盛期を過ぎ、冒険者によるダンジョン攻略も世界の一部となって久しい今日、古くは一八年にも遡る墓達にはそれなりの傷や老朽化の痕が染みついている。経年劣化の影響を留めるならばまだしも、無視することは現在の技術でも不可能であり、結果として無縁仏のような管理する者の乏しい分から罅が刻まれていく。


「……」


 春夏であらば先祖を弔いに訪れた人々を彩る緑も、時期が時期。樹木を晒して一層死を連想させるばかり。

 墓地へ足を踏み入れた女性を歓迎するのは、時分に相応しい寒気に塗れた寂れた風。

 女性は翡翠の瞳にある種の憂いを乗せて、墓地を歩く。普段は周囲の目を気にしてサングラスなりマスクなりの変装を施して外出するのだが、スキャンダルで干されている現状では意味合いも薄いと茶の長髪も思いのままに伸ばしている。

 ベージュのコートを羽織った女性は手に弔いの意を込めた花束を持ち、目的の墓を目指す。

 入口から相応に離れ、多少入り組んだ先に彼女が目的地と定めた場所はあった。

 墓石に刻まれていたのは星倉ほしくら家の墓であることを示した文字列。尤も、父も母も存命のため、土の底に眠っているのは顔も知らない先祖とたった一人の姉だけであるが。


「アレ?」


 そして女性は疑問の声を漏らす。

 墓に設置された一対の花立には、誰かが訪れたことを意味する花が添えられていた。鮮やかな燈色を惜しげもなく見せる様は、太陽神に恋焦がれた水の精が見つめている内にその姿へ変わった逸話を再現するかの如く。

 キンセンカと名付けられた花を一輪掴むと、さほど前回の来客と時が離れていないのか。瑞々しい生命力の一端を垣間見せた。


「一体誰が……?」


 先程来たばかりならば、道中ですれ違っていても不思議ではない。が、彼女は誰かとすれ違った覚えもなければ影を見た記憶さえもない。

 口から零れた疑問に応える者は誰もおらず、星倉皐月ほしくらさつきは小さく首を傾げた。



「……」


 一方、ムーンライトへの墓参りを終えた少年は総合墓地の出入口を跨ぐと、道路へと身を躍らせる。

 袖のない黒のインナーは季節外れの印象を見る者に与えるが、射殺さんばかりに研ぎ澄まされた漆黒の眼光が指摘することを許さない。更には常人から乖離した右の義腕──無骨なフレームを剥き出しにした凶器が、奇異な視線すらも拒絶する。

 癖のある白髪を風にたなびかせて少年が道を歩いていると、進路を遮って一人の少年が割り込む。


「……烏星零羽、だったか」

「ちょうど良かったっス。用があるんスよ、加古川さん」


 烏の羽根を模したファーに長槍。市井の人々として街灯を歩くのではなく冒険者としてダンジョンを渡り歩く姿の少年は、身に纏う雰囲気から切実な様子を醸し出す。

 そして彼の態度には、加古川も心当たりがあった。


「単刀直入に言うっスが、俺と一緒に神宿ダンジョンを潜って欲しいっス」

「アイツを……伊織を探すのか」

「……」


 加古川からの問いかけに、首肯で応じる零羽。

 何の捻りも見せない、予想通りの回答に加古川は嘆息を一つ零す。

 飛田貫伊織が二人の前から姿を消した直後、当然のように追跡していた彼らが何の成果も得られずに地上へ引き返したのは、飽きた訳でも物資の不足でもない。

 それを分かって聞いているのか。

 暗に問い質すべく、加古川は更に口を滑らせる。


「今、新宿ダンジョンには竜種が出現した疑惑がかかってる。お前もあの鳴き声を聞いてんだ、その意味は分かるだろ?」

「だからセージさん達からは絶対に潜るなって言われてるっス」

「そらそうだ。竜種が存在する疑惑があるってだけでダンジョンは特級指定、今頃ギルドの重鎮は自衛隊と今後の連携について協議を重ねているところだろうよ」


 全ての始まりとも言える二〇年前のニューヨーク。

 その三年後、ダンジョンの脅威を端的に示したロンドン。

 更に一二年後、元々の宗教絡みによる混乱が最悪の形で表出したイスラエル。

 いずれも竜種が姿を現した土地であり、出所が現在でも議論されるニューヨークはともかく、他はたった一体の魔物を地上に出したばかりに壊滅的な損害を受けた土地でもある。

 戦闘機と高度なドッグファイトを繰り広げ、戯れに放たれた火球が大地を舐め尽くす。強固な竜麟はミサイルの直撃すらも容易く耐え抜き、そも中空を自在に飛び回る化物へ直撃させることさえ困難を極める。

 生物の枠外にある魔物の中にあってなお規格外。理から外れた頂点生物とでも称すべき竜種は、機動力の削がれるダンジョン内での討伐が絶対視されている。

 それも、日本で言えば自衛隊を含む混成部隊によって。


「お前が何級かは知らねぇが、あの場でさっさと引き返したのはそういうことだ……それでも、もう一回潜るのか。アイツがお前の言ってる伊織じゃないかもしれないのに」

「それを確かめるためスよ」

「……立派なもんだな」

「それ、皮肉スか?」


 加古川からの言葉に悪意を感じ取ったのか、零羽は眉間に皺を寄せて声を乗せる。僅かに低くなった声色も、彼の抱いた感情がさせたのだろう。

 一方で加古川は意図しない形で解釈されたことを理解したのか、両手を振って宥めにかかった。


「おいおいおい、今のは素直な賞賛だ。カリカリすんなよな」

「どうだか」

「いやいやいや、マジのマジだっての。

 ……俺は、また逃げてるってのにな」


 加古川が皮肉を述べるとすれば、それは自分自身に対して。

 一年前にはムーンライトを見捨てて逃げ出し、今回は伊織を見捨てた。

 二人がかりでも死ぬから。危険な相手が迫っていたから。足を引っ張るから。優先して逃がすべき存在が近くにいたから。

 逃げていい理由ばかりに目をやって、逃げずに目的を成し遂げる理由から目を逸らしていた。誰かを見捨てるのは御免だと宣いながら、また我が身可愛さに逃走を選択した。


「墓地に来たのも、その一環だ。アイツに勇気を貰いに来たとか、一言謝りたかったとか、そんな大層な理由じゃねぇ。

 ……墓参りの一つもなく死ぬのはダメだろとか、ふざけたことが頭によぎらねぇようにするため。逃げる理由潰しだよ」


 自嘲めいて大仰に肩を竦める加古川を、零羽は無言で睨みつける。

 一層に鋭さを増した眼光は、獲物を見定める猛禽の如く。


「念のために伊織も地上に出てないか、レネス整備店とか巡ってみたけどそっちの収穫もないまま一週間。どんだけ臆病な男だよって話だ……全く、自分で嫌になってくる」

「アンタの御託はぶっちゃけどうでもいいっス。それで、俺と一緒に潜ってくれるんスか?」

「……あぁ。やり残したこともねぇし、行かねぇ理由も墓参りで全部潰した。

 今度こそ、間に合わせる」


 確かな力強さを持った宣言に、零羽は幾らか眉間に寄せた皺を緩めた。

 そうして踵を返すと一刻を争うとばかりに歩みを進める。ともすれば加古川を置いていくのではないかと急ぐ様は、彼も時間を惜しんでいるのだろう。

 ふと気づいた事実に、加古川は歩幅を早めて肩を並べると一つの疑問を投げかけた。


「そういや、お前の冒険者名ってなんだ。内側なら登録してるはずだろ?」

「……レイヴン」


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