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第24話 邪魔はさせない

 沸騰しそうになる身体を抑え、加古川は疾走する。

 ダンジョンに蔓延る魔物共も、今はマトモに処理する時間さえも惜しい。

 暴虐たる義腕を振るい、剥き出しのフレームを朱に染めると絶命したかの確認をすることもなく最高速で駆け進む。

 普段と比して異様に魔物が集中しているように思えたが、ヤツが下の階層から道行く存在を貪りながら浮上していたと仮定すれば合点もいく。事実、過去には第二五階層よりも下った深度である第二九階層で遭遇している。

 大口を開けて迫るウェアウルフを裏拳で壁に叩きつけ、剣を振り被らんと直進するゴブリンの腹部を殴り抜く。

 やがて魔物の残骸に腸を食い破られた個体が散見するようになると、再開の予感に際限なく燃え上がる熱を歯の隙間から吐き出した。大気との差異か、蒸気機関車が醸す黒煙を彷彿とさせるそれは彼の内に宿る憎悪の炎を象徴する。

 魔物の屍に導かれ、到達したのは一際大きな空間。

 上の階層にまで繋がっているのではないかと疑う天井の広大さは、さながら闘技場。凡そ一〇〇メートルはあろうフィールドはそれこそ雌雄を決する舞台に相応しい。


「グゥゥゥ……」

「──!」


 体毛に突き刺さる殺気に気づいたのか、中央付近で暴食を貪っていた過食の化生が背後へ振り向く。

 赤錆めいた朱の毛並に一層に深い真紅の爪牙。赤ずきんの別名に相応しい頭部の色合いから覗くは、飢餓に狂って充血した瞳。口端から唾液と血液の化合物を撒き散らし、水の滴る音が鼓膜を揺さぶる。

 飯の時間を邪魔されたが故か、それとも生来の気質か。

 レッドフードは両手をつくと、喉を鳴らして威嚇する。

 尤も仮に今から背を向けて逃走すれば、待っているのは背中を焼く灼熱の激痛と魔物の胃袋ツアーであろうが。

 そして、今この瞬間に於いて復讐者に後退の文字はない。


「アァァァッッッ!!!」


 素早くスターターを引き千切れんばかりに二回引き抜き、過負荷向上上限超越オーバーロード・ストライドを起動。フレーム全体が白熱を帯び、所持者である加古川を巻き込んで白煙を噴出する。

 地を蹴る足に渾身の力を込め、亀裂を生じさせると加速を開始。

 常軌を逸した排気音を引き連れて、少年が拳を振り上げる。

 眼前に確実な死が接近しているものの、レッドフードは身動ぎ一つ見受けられない。ただひたすらに距離を詰める鉄拳を凝視し、数多の肉を貪った歯茎を見せびらかすのみ。


「アァァァッッッ!!!」

「グゥアッ!」


 空を裂く拳はしかし、寸前の所で四足を以って跳躍されることで回避される。

 咄嗟に視界から消えた魔物を追い、加古川は腰を捻って義腕を振るう。

 刹那、金属を引っ掻く不快な音がダンジョンに轟き、遅れてトラックの直撃にも似た衝撃が全身に伝わる。

 押し出された身体が地面に轍を刻み、揺れる視界が更なる追撃をかけんと迫る人狼を見つめる。


「オォラッ!」


 我武者羅に振るわれた拳はまたしても空を切り、通り抜けた先に異様な熱を帯びた空気を残す。

 手に肉の感触がないことで回避されたことを理解し、加古川は更に一歩踏み出した。

 滞留していた白煙を潜った先には、一定の距離を維持せんと左右にステップを繰り返すレッドフード。義腕の大振りを躱し、生まれた絶大な隙を食い破らんと伺う獰猛なる人狼の意図は冷静さを損じた漆黒の瞳からでも窺い知れた。

 過食の獣との間合いを詰め、少年は義腕を殊更大きく振り被る。

 目論見があるならば正面から踏み潰し、その上で勝利を掲げんとばかりに。

 彼我の間合いは義腕が微かに届くかどうか。

 もどかしい間合いを踏み込み、義腕の射程に魔物を捉える。

 直後、魔鉱ドライブが一層激しく唸りを上げた。

 主の生命を貪り、糧とすることで慮外の力を発揮するかの如く。


「吹き飛べぇッ!!!」

「グゥゥァァ!」


 文字通り全霊を以って振るわれた機械腕を、化生はしかして下を潜り抜けることで躱す。皮膚を焼く臭いこそ鼻腔をくすぐるものの、出所の自他は判別つかない。

 死角に回り込まれた上、拳をふるった直後とあっては加古川に対応する術は皆無。

 直後、腹部から身を焼く激痛が発信され、情報を受け取った脳細胞を死滅させる。


「ッ!」


 灼熱の苦痛に視線を落とせば、鋭利な犬歯を噛み砕かんばかりの咬合力で突き立てる捕食者の姿。

 人間が食事の際に振るう咬合力で約六〇キロだが、人類に仇名す魔物のレッドフードが有するものが同一とは思い難い。事実、障子紙同然に破かれたインナーにしてもアリアドネの糸を素材にした見た目以上の強度を持つ神灯院じんとういん製。甲冑の下に着込むのが本来の用途とはいえ、強度の面ではゴブリンの手刀にすら耐え切れるのがキャッチコピーである。

 にも関わらず、血走った瞳は黒のインナーなど眼中になく、奥に隠れた生肉にこそ深い関心を示す。


「人様の腹をッ……!」


 憎悪の眼差しから一転、加古川は右腕を振り被ると鉄槌の如く打ち下ろす。

 彼我の間合いが〇に等しい現状、めくら撃ちでも直撃するというもの。

 少年の読みは正鵠を得、腹に噛みつかれてなおも抵抗する相手を知らぬ化生は反応が遅れる。そして深く打ちつけた牙は、即座に引き抜くことが叶わない。


「グァウゥ?!」


 紙面を破るにも似た音が骨伝導で響き、強引に引き剥がされたレッドフードが身体を何度か地面に打ちつけて滑る。

 体勢を立て直す前に追撃を仕掛けるべく踏み出さんとした加古川であった。が、血の気が引く感覚と共に足腰が覚束なくなり、むしろ片膝をついてしまう。

 一方、右手で地面を掴む暴食の化身は幾らかの轍を刻み込むと衝撃を殺し切り、充血した眼差しを被食者へと注ぐ。口元から殴られた衝撃で引き千切った肉片と皮を垣間見せながら。

 一旦顔を天へ向けて食い残しを呑み込む様を一目して、少年は腹部へと手を当てた。

 伝わるのは、粘度の高く生暖かい真紅の液体。内臓へ直接触れる程ではないが、幾らかの肉が食い破られたのは間違いないだろう。

 対するレッドフードには然したる疲弊は伺えず、どころか新鮮な肉を貪ったことで上機嫌にさえ思えた。


「上、等……だぁ」


 血の付着した手で顔を覆い、仮面を被るかのように塗りたくる。

 古代の狩猟民族が行ったものに酷似したそれで、加古川は際限なく戦意を研ぎ澄ます。

 元より後退の文字はなく、なれば見敵必殺こそが勝利する唯一の道。

 殺意を削いではいけない。次を狙うなどという甘えは要らない。

 仲間を見捨てた男が、仇を前にしてまたも生き残ろうなどというふざけた思考は邪魔ですらある。同士討ちであろうとも、仇を道連れにするならば本望でさえある。

 故に加古川誠は立ち上がる。

 喉を鳴らして待ち構える過食の化生を屠るべく。

 どちらかの肉体が朽ち果てるまで、義腕を振るい続ける。


「加古川ッ!」


 金切り声を上げて彼へ呼びかけた少女をも無視して。


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