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第23話 時の雨擦り抜けて

 曇天の空が僅かばかりに地面を濡らす古都。数刻もすれば本格的な降雨になるだろうと予感させる冷えた風が吹く中、伊織は雑多な人波を潜り抜けて駆けていた。


「加古川……いったいどこに……?」


 息を切らせて進む先は、最早暴走といって差し支えない動きを見せる少年が走っていった方角。

 既に方向転換している可能性も〇ではないものの、進む先々で困惑を含む数多もの声音が混じっていた。


「なんだよ、加古川の野郎。随分と必死に走ってたが」

「そんなに濡れたくねぇのかよ、ガハハッ」

「たかが雨であそこまでマジな表情するかよ……」

「肩いってぇッ。あんな馬鹿デケェ義手でぶつかってんじゃねぇぞ!!!」


 端から聞く分には若干の微笑ましさもある。が、知り合いが周囲を省みずに突き進んでいると思えば全く洒落にならない。事実、すれ違う声音には怒気を孕んだものや足元に蹲って苦痛を訴えるものまであるのだから。

 そして更に駆け出した先の光景で、伊織は表情を失う。


「──」

「なんなんだよ、あの馬鹿はッ。こんなんされた商売上がったりだろうが!!!」


 地団太を踏む中年男性。そして外的要因を以ってあらぬ方角へとねじ曲がった出店と、瓦礫を零しながら土煙を上げる大穴があった。

 直径で三メートルはあろう大穴は彼らが人為的に切削した努力の賜物ではない。証拠に亀裂や落石が端からでも目立ち、岩盤が不安定な状態に陥っていた。

 騒然とする周囲の声を聞くまでもない。

 放心する様子から立ち返った少女は奥歯を噛み締め、目つきを鋭利に研ぎ澄ます。


「すみません、ここ通れますか?!」

「あ゛ぁ゛? 見て分かんねぇのか、こんな穴で商売ができるかよッ」


 吐き捨てる男の眼差しには自棄の二文字が透けて見え、続く嘆息が殊更鼓膜を揺さぶる。

 とはいえ、別の穴では同じ階層に繋がるかどうかすらも伊織には判別がつかない。是が非でも加古川が通過したものと同一の経路を辿る必要がある。

 まして、合流前に魔物と遭遇すればどうなるというのか。


「そこを何とかッ。魔物の素材でも穴の補填でも、後でなんとかしますからッ。です!」

「なんとかっつってもなぁ……」


 伊織からの懇願に腕を組み、思案する男性。

 わざわざ穴をダンジョンまで開通させる手間を思えば、可能な限り元のものを使いたいのが本音。

 しかし、それを小娘一人の協力で何ができるというのか。

 背後の大穴へ目を向けるも、単なる保修でどうにかなる領域は遥かに超越している。義腕による膂力で無理矢理突破された関係か、落盤対策でくみ上げた坑木にまで被害が及んでいた。

 男が渋い顔をしている理由に自覚があるのか、伊織は続けて言葉を紡ぐ。


「僕なら魔物を労働力に使役できますッ。ゴブリンなら人の手が必要なことも可能なはずですから……それでなんとか!」


 両手を合わせて嘆願する様に、男も首を傾げる。が、悩む時間は然してかからなかった。


「分かった分かった。その代わり、すっぽかしでもしたらギルドに密告するからな?」

「分かりましたッ、ありがとうございます!」


 男からの許可を受け、伊織は即座に大穴を潜った。

 強引に押し入ったことで内部にも振動が伝わっているのか。あらぬ方向へひしゃげた坑木や落盤して足元に転がる瓦礫など、利便性は大きく減少している。

 が、今は移動の手間に関わっている余裕などない。

 あらん限りの全速力で駆け抜ける伊織の表情には、普段とは異なる真剣な眼差しが灯っていた。


「あんなの一人でできる訳がないよ、加古川」


 坂を下ってどれだけの時間が経過したか。

 微かな光を抜けた先には、ダンジョン内部の鬱蒼とした空気が蔓延していた。


「ここは? さっきの話からして第二五階層、かな?」


 岩盤に染みついたのか。辺りには血生臭いものが充満し、鼻腔をつんざく不快な刺激に伊織は顔を顰めた。

 そして視界を埋め尽くすのは、半死半生の魔物達。

 無力化といえば聞こえはいいものの死ねば肉体を霧散させる魔物の性質上、中途半端な不殺は後を通る冒険者にも被害を及ぼす。ましてやダンジョン資源の回収には絶命こそが欠かせない。

 尤も、今の加古川が繊細な心遣いからそれを成したとは思えない。

 おそらく目的地への到達を妨げる邪魔者にかける時間を惜しんだに過ぎず、それに伴う二次被害を考慮していようはずもなし。


「正直、素通りする分にはちょうどいいよね」


 魔物の呻き声と骸の山は加古川が何処へ進んでいるのかを如実に現し、ムーンイーターのように追跡に役立つ魔法を持たぬ彼女には助かっていた。


「誰なの、魔物にトドメを刺さずに放置してるのは!」

「レッドフード狩りにきてんだよこっちはッ。なんでこんな敗戦処理染みた真似を……」

「外側の犯行か……いや、にしても奴らの方が素材を希求してるはず……こんな財宝の山を放置するようなことは……」

「セージさん、今は頭じゃなくて腕動かして貰えるっすか!」


 特異個体として指定された魔物を狩ろうと駆り出したのか、階層を同じくする冒険者達が通路には散見された。が、流石に目に見えて分かる異常事態を放置する訳にもいかないのか、彼らの多くが魔物へのトドメを代理として担っている。

 一瞬、伊織も協力すべきかと足を止める。

 が、そも武具の一つも有していない自身にやれることなど限られている。ならばいっそのこと先行しているはずの加古川を止め、これ以上の被害を食い止める方が先決であろう。

 そう結論づけると、再度歩みを進めて駆け出す。


「あ、オイッ。そこの女ァ、抜け駆けしてんじゃねぇぞ!」

「ごめんなさいッ。僕は武器持ってないから!」

「ダンジョンに手ぶらだぁ? 冗談も大概に……ってオイ!」

「ん、あの娘……?」

「レイヴン。今は手、だろ?」


 周囲の喧騒を切り抜け、進む先では徐々に斬り結ぶ剣戟の音が鼓膜を揺さぶる。

 音が近づくに連れ、魔物の死骸に異質なものが混在していく。

 それは腸を食い破られたゴブリンやウェアウルフ、魔狼の残骸。ダンジョンの敵たる人間を視認し、僅かに手足を動かす生命力には驚嘆するも、それ以上に目を引くのはどう見ても義腕とは異なる攻撃手法。


「ゴブリンだけならまだしも、ウェアウルフに魔狼まで……」


 ダンジョン内は疑似的に食物連鎖が形成されているが、それはあくまで別個の魔物間の話。頭目同士対峙することもあろう人狼にしても二匹や三匹では収まらず、ましてや配下である魔狼すらも腹を食い破るのはただならぬ事態を連想させた。

 目撃報告では痩躯とのことだったが、ここまで食い散らかしても変化がないのであれば、最早原因は単なる衝動で済む話でもなかろう。

 伊織は今も得物を重ねているだろう音の根源の無事を祈った。


「無理しないでよ、加古川」


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