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第22話 明日の自分見失うだけ

 神宿ギルド所属の月背が地図更新任務を失敗した。

 大幅な地殻変動も確認されず、悪い言い方をすれば地図を更新して冒険者から金をせしめるためだけの任務。本来であれば一級冒険者が失敗しようはずもない内容を失敗に導いた存在に、自然と人々の注目は集まる。

 ある者は同行した他の冒険者が足を引っ張ったのではないかと推測し、ある者は随伴したギルド側の人間がしくじったのではないかと推論を深めた。

 とはいえ、常に和装と一〇〇センチ近い大業物を身に着けた男に軽率なことを聞ける命知らずはおらず、付き従う相方にしても酷薄な笑みから突発的な問題行動を度々引き起こすとの評判。

 答えを聞く者が誰もいない以上、推論は霧夜を駆けるが如く迷走を重ね、そして唯一好き勝手に文句を言える冒険者ギルドへの不満だけが加速する。


「なんか、空気が悪いですね……」


 際限なく悪化する空気がダンジョンを内包する古都を包む中、飛田貫伊織ひたぬきいおりは単なる天気模様以上の意味を秘めた素朴な感想を漏らす。

 制服以外の衣服を自宅から幾つか回収したのはいいものの、世紀末を彷彿とさせる荒れ果てた廃墟はお洒落をする意思を削ぎ落す。故に伊織の服装はカーディガンの上から、軍服を連想させる厚手のモックコートを羽織った程度のシンプルなもの。

 不意に冷えついた季節が肌をつんざき、さしものお洒落は根性と相場で決まっている華のJKにも寒気対策を余儀なくしたのだ。

 不意に少女は桜の瞳を後方へと向ける。


「あぁ、そうだな……」


 彼女が視界に収めたのは、上の空といった様子で空を見上げて歩く加古川誠かこがわまこと

 ムーンイーターとの一件から一週間が経過し、あくまで新進気鋭のアイドルであった彼女への世間からの関心も薄れていく中。なおも時が止まったかのように加古川の意識は所在なさげに彷徨っていた。

 今回の外出も、偶然伊織が冷蔵庫の中身が壊滅的な有様を目の当たりにしたが故であり、少年の自由意志に基づくものとは異なる。

 心ここにあらずといった様子は衣替えをせず、見ている側が底冷えしそうな普段着のままであることからも明らかであった。


「いったい普段はご飯をどこで買ってるんです?」

「あぁ、そこを曲がって……」


 流石に意思の疎通にすら不便が生じた最初期と比較すれば多少はマシとなっている。が、会話というよりも伊織が質問しては加古川の反応を伺うような状況。健全なものとはあまり言い難い。


「ハー……せっかく華の美少女JKがデートの真似事やって上げてますのに、これじゃあドキドキもワクワクもあったもんじゃないですよ」

「そうか……」

「そうかって……もっと良い反応があるってもんですよー。そこは」


 嘆息を零し、露骨に肩を落とす。

 伊織が注ぐ眼差しに生温いものを混ぜるも、少年に反応の兆しはない。

 いい加減少しは全うに戻って欲しい。だからこそ、次はどうやって反応を探るか顎に手を当て思案すると、すれ違う人々の会話が鼓膜を揺さぶった。


「おい聞いたか、月背が失敗した任務の詳細?」

「あぁ、ギルドに非難が集中したことで公表したって話だろ……アイツラは普段から金にがめついからな、だからこういう時に誰も擁護されねぇ」

「笑い種だよな、あの言い分は……それに赤いウェアウルフだっけ」

「赤い、ウェアウルフ……」


 何の気なしに少女は通り過ぎる。

 が、聞こえてはならぬ存在に少年の脳裏には一つの光景が蘇る。

 仲間の、そして加古川自身の血に濡れた化生。同胞を食い殺してなおも飢餓欲に支配された痩躯にして、狂的に見開かれた血走った瞳。

 自分の前に立つ日本人離れしたホワイトブロンドの髪は鮮血を浴び、凛々しい背を向けるものの吐き出される息には白いものが混ざっていた。


『──』


 横顔を向け、右腕を失った自身へ向けた言葉は何であったか。


「……おい」

「あん、なんだよおまッ……!」

「ちょっ、加古川?!」


 踵を返して通り過ぎた男達へ迫った加古川に対し、伊織が反応する猶予は皆無。

 胸倉を掴み上げ、右の義腕は唸りを上げて出力の向上を殊更に主張する。軋む虚之腕は今か今かと殴打の瞬間を待ち侘びて拳を握り締め、露出したチューブすらも高圧循環によって怒張していた。

 男達は想像だにしなかった事態に狼狽え、胸倉を掴まれた側は痛苦に表情を歪める。


「な、なんだよ……お前ッ、いきなり……!」

「赤いウェアウルフがどうした?」

「ハッ……なんでお前にッ……!」

「赤いウェアウルフがどうした?」


 鼻で笑った男はしかし、次の言葉を紡ぐ間もなく腹部を殴打され、苦悶に歯を食い縛る。

 大気が破裂した衝撃で周囲に埃が舞い、伊織達は顔を覆う。唯一、一方的に殴りつけた加古川だけは殺意すら滲ませた鋭利な眼差しを注ぎ続ける。


「答えろよ、赤いウェアウルフについて」

「か、加古川ッ。何やってるのさ、いきなりそんな乱暴に……!」

「うっせぇんだよ」

「ッ……!」


 横から指摘する伊織。

 だが、ねめつける漆黒の瞳の前に身を竦ませ、息を飲むことしか叶わない。

 もしも下手に声を出せば、殴りつけられる。確信とすら呼べる説得力が瞳には込められていた。


「答えろってつってんだろ、早くしろ。オラ、早く」

「あ、ぐ……がッ」

「お、おい離せよ……」


 最早問答をするつもりもないのか。

 暴力の口実にしているだけと揶揄されても仕方ないペースで腹部を殴りつけ、その度に男は生々しい音と共に肺の空気を吐き出す。

 内臓を傷つけたのか、空気に血が混じり出した段階で横の男が静止を訴えた。声音に震えこそ混ざっているものの、眼前の殺人者が知り合いを撲殺している最中とあっては彼を責め立てることは叶わないであろう。

 果たして彼の勇気は意味を持ち、加古川は殴打をする手を停止させると視線を移す。

 殺意を滲ませた、漆黒の瞳を。


「じゃあお前が教えろよ、赤いウェアウルフってのを」

「あ、あぁ……月背達が地図更新任務を失敗した理由が、その赤いウェアウルフって話だ」

「失敗した理由なんざどうでもいい」

「加古川ッ」


 裏拳の要領で振るわれた義腕は、寸前の所で男の顔面を吹き飛ばす事態を回避。拳圧が冷や汗を吹き飛ばすに留まった。


「み、見つかったのは第二五階層って話だ……ギルドはコイツを特異個体レッドフードと呼称したってよ……!」


 早口で述べられた弁に何度か頷くと、加古川は左手を離す。

 自由落下する男へ駆け寄る姿を尻目に踵を再度返すと、そのまま急加速を始めた。

 無論、伊織が追随する余地などない速度で。


「あ、待ってよ……です、加古川!」


 先程までとは明確に異なる急変に、無性に不穏なものを感じた伊織は謝罪の言葉を口にするよりも早く加古川の後を追った。

 元より鼠色の空模様が、地面を俄かに濡らし始める。

 加古川に待ち受ける運命を暗示するかのように。


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