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第21話 歩き出した道に未来はない

 ダンジョンの一角で火花が舞い散る。

 一つ、二つ、三つ。

 目が眩む程の閃光を放つは、一対の鬼。

 一つは紫を基調とした和服に身を包む剣鬼。燃え猛る黒髪は振り乱れ、手に握る打刀は鍛錬を裏づけるかの如く神の域にまで届く速度。

 歓喜に歪むアメジストの瞳は、自身に並ぶもう一鬼を凝視する。


「五臓六腑が歓喜に震える。細胞の一つ一つが咽び泣く……これぞ戦の妙よ……!」


 喉を鳴らして全身で高揚を謳う鬼が、眼前で風となりし鬼へ再度刃を振るう。

 得物の間合いに入った訳ではない。

 否、手に持つ哭鳴散華こくめいさんかで捉えられた訳ではない。

 刀身に纏った風を鋭利な刃物に練り上げ、一振りの下に無数の斬撃へと昇華させる──剣鬼が幻風貪狼げんぷうどんろう一刀流と名付けた魔剣が一振りが放たれた。

 無数の射程距離を持つ斬撃が空中を飛翔し、ダンジョンの堅牢極まる岩盤を抉る。仮に甲殻の強度こそがウリの魔物だろうとも一刀の下に切り伏せる斬撃の嵐を、しかして並び立つ鬼は無傷で網目を掻い潜る。

 血に濡れ変色した朱の毛並を掠めることすらなく距離を詰めると、直に血肉を浴びて一層深い真紅に染まった爪を立ててすれ違った。


「ッ……!」


 半身の姿勢で紙一重、交差する死の弾丸を躱した剣鬼。

 だが、胸元からは僅かばかりの布が宙を舞い、時を経て地面へと軟着陸を果たす。

 首の皮一枚。

 半瞬でも反応が遅れれば鮮血をダンジョンへ注ぐ、コンマ数秒をかけた攻防に鳴らすはくぐもった喉の音。


「心地よい、実に心地よい……命とはかくも脆いものか……!」

「ちょっと悦に浸ってないで助けて欲しいんだけど、月背つきせー!」


 自己と刃を重ねる敵。

 二人だけの世界に没入していた月背勝児の酩酊とも呼べる感覚に冷や水をかけたのは、漆黒の外套を纏った白髪の少女

 不快さを隠す素振りも見せず、苛立ちを込めてアメジストの瞳を向けると、そこには特注の和傘を広げて防戦一方の様相を見せる相方たるブラッドルーズの姿。彼女の背後には如何にも探検家といった服装の男が三名隠れていた。

 普段は飄々とし、人を小馬鹿にした笑みを零す彼女が、今回ばかりはその余裕もないのか。冷や汗を垂らして地を蹴る鬼を──ウェアウルフを追う。

 本来、人狼の名を冠する魔物は単体の戦闘能力と共に、魔素を消費して魔狼を生み出し群れ成して外敵を排除することから脅威と判断されている。数的優位を確保し難い性質から二級冒険者の中でも相手取ることを苦手とする者が後を経たず、生息地の一つである神宿ダンジョンでも年間数十名がウェアウルフに狩られている。

 だが、一級冒険者である月背と共にダンジョンへ潜るブラッドルーズが並の二級と同等のはずもなし。通常のウェアウルフが相手であらば足手まといがいても戦闘に支障はない。


「クッソ、なんなのコイツ……早すぎる!」


 ところが、彼女の目はウェアウルフの速度域に対応し切れず、地を蹴り上げる音の後を追うばかり。

 ましてや後方に隠れた面々は、怯えて身体を丸めることしかできない。


「幻風貪狼一刀流・二段」


 魔風を纏い、刀身を歪めた紫刃が横薙ぎに空を斬る。

 途端に空を走る風刃がブラッドルーズ達諸共に解き放たれ、瞬く間に距離を詰めた。


「ッ……!」


 足を止め、絶大な隙を晒す探検家を赤を染め上げんと天井を蹴り上げたウェアウルフはしかし、本懐を成し遂げることなく空気を足場に跳躍。迫る刃を切り抜ける。

 が、突如不自然な力が左足へ伝わり姿勢を崩すと、土煙を上げて地面へ落下した。

 一方で和傘へ直撃したはずの刃は、まるで最初から何もなかったかの如く霧散し、ブラッドルーズ達に多少の影響すらももたらさない。


「空の刃に色の有無は誤差に過ぎず、目利きの有無など意味を為さず。

 片手間で我が刃、受け切れると思うべからず」


 警句を述べるように紡がれた言葉は仲間に手を出されたことではなく、後方への攻撃を自身よりも優先されたことへの怒気を孕む。

 やがて土煙の奥より姿を現したのは、神宿しんじゅくダンジョンでお目にかかれる本来のウェアウルフからは著しくかけ離れていた異形の容姿。

 夥しいまでの血に濡れ、腐臭を巻き散らかす赤錆染みた朱の毛並。直に鮮血と肉を浴びる爪と頭部は特に影響を受けて真紅にまで至っている。一方で変色する程の血を浴びているにも関わらず骨格が浮かび上がり、皮を骨に張りつけているといっても信用する痩躯は生物の規格から外れることも珍しくない魔物にしても異常。

 飢餓に狂い、充血した瞳が見開かれる。


「ガァァァァ……!」


 獲物を求めてか、漏れ出た呻き声に抵抗する術を持たぬ探検者は身を竦めるばかり。

 そも彼らは本来、冒険者ギルドの関係者。元々は冒険者であったものの、今では現場での経験を買われて実地関連の役職を務めているに過ぎない。

 不定期に構造を変えるダンジョンを一通り踏破し、地図を作成することが今回与えられた仕事であり、月背達は彼らの活動を妨げる魔物を斬り払うための護衛。

 人数にこそ不安はあったものの、一級冒険者を伴っての地図作成など早々あるものでもなく、何よりも現場を知る彼らからすれば実質的に最上の戦力を抱えているにも等しい。事実として眼前の異形とまみえるまでは、むしろ不気味なまでに進捗はスムーズであった。

 剣聖が今更一魔物に遅れを取るはずがない。


「飢餓欲……それもまた良し」


 彼らが無意識に抱いた慢心を嘲笑うかの如く、肝心の一級冒険者は正常から外れた魔物を前に武者震いする始末。最早彼の頭から護衛の二文字は掻き消え、ただ強敵と刃を重ねることに悦楽を見出している。

 獣が左右に身体を揺らす。

 フェイントの一つに動揺を見せることはないが、月背は合わせて僅かに構えた刃の切先を揺らした。

 直後、示し合わせたかのように甲高い音が一つ。

 瞬く間にすれ違った魔物を追い、足を軸に反転すれば直後に再び甲高い音色がダンジョンに響き渡る。

 手に走る鈍い痺れが男の充実感を満たし、耳障りなはずの硬質な激突音は天上の調べにも等しい。

 瞬間瞬間、刹那の差を埋める戦いに没入し、舞い散る火花が月背を一層の深みへと引き摺り込む。それは銃を握ったばかりの新兵が高揚に任せて無意味に引金を引き続けるにも等しく、戦術的視野に基づく行為ではない。

 そも月背勝児つきせかつじという人間は然して視野が広い訳ではなく、現在の地位も邪魔者を全て切り伏せられる隔絶した技量によって得たもの。

 故に冒険者ギルド神宿支部が私的に発表しているランキングに於いて、月光が存命の頃は後塵に甘んじていた。


「月背ッ。一度撤退するよッ、こんなの足手まといがいて勝てる相手じゃない!」

「抜かせ。我が刃はこの一刹那がためにある」


 酷薄なまでの笑みが鳴りを潜めている相方という状況にも何ら疑問を抱かず。

 冒険者の中でも上澄みに当たる男は溢れ出るアドレナリンに身を任せて、刃は一層の加速を果たす。

 常から外れた異形の魔物と互角に業物を振るう月背はしかし、撤退という至極単純な判断を下し得ない。

 とはいえ、引き際を間違えて全滅などとは笑い話にもならない。既に赤錆のウェアウルフを相手取って相応の時間が経過している。戦いの音を聞きつけていつ別の魔物が介入してくるかも分からない。


「この、男ってヤツは!」


 簡単な判断力も持たない単細胞に憤慨しつつ、ブラッドルーズは外套の内ポケットから幾つかの球体を取り出すと全力で投げつけた。そこにいる月背を巻き込む軌道を経て。

 激しい剣戟の音を打ち鳴らす両者の高まった集中力を妨げたのは、少女が投げつけた球体が炸裂した真紅の煙幕。


「クッ、ブラッドルーズ……貴様!」

「ホラホラ、さっさと引くッ。調査隊の面々もいいよね?!」

「は、はいッ」


 鬼気迫る少女に押され、蹲っていた男達もまた撤退を開始する。

 遠退いていく足音に逡巡する月背であったが、名残惜しさに表情を歪めると踵を返す。

 相方が投げつけたのは血の成分を混入させた煙幕。嗅覚に秀でた魔物から退くために開発されたものであり、神灯院グループ内でも十の指に入るベストセラー製品である。

 多くの冒険者が保険として忍ばせるだけの効果はあり、血霧が晴れた頃には残されていたのは赤錆のウェアウルフのみであった。


「グゥゥゥ……」


 尽きぬ飢餓の衝動がさせるのか。口端から唾液を垂れ流し、見開かれた瞳は獲物が忽然と姿を消した通路の先を覗く。

 やがていつまで待っても無意味だと理解したのか、上体を仰け反らせてフロア全域に響き渡る絶叫を上げたのだった。


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