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第19話 下手な真実なら

「報告します猊下」


 幾つもの蝋燭が等間隔で並べられた空間。灯火が岩肌を柔らかく照らす場所で、一人の男が黒衣のローブを纏った人物へ頭を垂れる。

 猊下と呼ばれたローブは壁に刻まれ、複数の蝋燭に照らされた何かを眺めながら応じた。


「何事だ?」


 蝋燭のか細い光が辛うじて辺りを照らす漆黒。闇の中に厳かな音色を伴って響き渡るは、猊下という地位には不釣り合いな若い声。


「闇の聖女が第二三階層で発見されたとのことです。しかし魔軍掌握が機能している様子はなく、記憶も怪しいとのことで……」


 尻すぼみの報告を前に猊下は顎に手を当て、思案を一つ。

 蝋燭のみを光源とした空間は異様なまでに暗く、ともすれば互いの表情すらも窺い知ることができない。

 闇の聖女とは彼らの計画を円滑に進めるには欠かせない存在。特に魔軍掌握を用いた魔物使役能力は根幹を成し、現状の遅延も元を正せば彼女の不在が大きい。


「魔物を地上で使役したいという要望を聞いて穴まで開けてやれば……魔軍掌握を失う体たらくとは。

 いっそのこと、洗脳の一つでもしてやれば良かったか」


 悪態を零す猊下の眼差しには憎悪が籠り、壁に描かれた何かを鋭利に睨みつける。

 彼女の要望を聞いてやったのは、何も慈悲の心ではない。魔物使役能力が地上でも扱えるのならば、計画の一層迅速な進行が見えていた。故の試験運用を兼ねて私情を融通してやったに過ぎず、肝心の魔法を失ってまで優先すべき代物ではない。

 猊下の手が壁へと伸び、血濡れの痕を残して引き摺られる。


「我等が神が望むは世界の破滅……そのための計画に遅延など、許されようはずがない」

「左様です、猊下」


 顔を地面へ向けたままに述べられた肯定の意に応じ、猊下は身を翻す。

 身体を覆う漆黒のローブが動きに準じて激しくはためき、蝋燭に照らされた影のシルエットを禍々しく変貌させる。

 連想させるは魔の軍勢を使役し、人界を滅ぼさんと魔手を伸ばす魔王。しかして気怠げに開かれた両の目──青の瞳は光源となり得る程に目映く煌めき、人の身を超越した希求性を有する。


「事を急いてはいけない。上に気づかれては元も子もなし……迅速にかつ隠密に闇の聖女を監視し、魔軍掌握の復活を確認し次第捕縛する」


 猊下の揺らめく影の奥、神の手で大穴に落下する人々と奥でそれらを喰らう巨大な化生が描かれた壁が殊更に空間を異質に彩る。

 微動だにせず頭を下げ続ける男は、口端に笑みを浮かべて首肯を返した。



「はぁ、なんで俺が通常ルートを通らなきゃなんねぇんだよ……」

「文句を言わないですよ、加古川」


 悪態を零しつつも第二〇階層へと通じる坂道を進むのは、加古川誠。不満に対して飛田貫伊織が突っ込みを入れつつ、互いにいがみ合う二人を一歩引いた立ち位置で眺めているのがムーンイーターこと星倉皐月。

 三階層分の重力加速を叩きつけられた伊織は、到溺教会教団員から救助されたタイミングで加古川の所持していた回復薬を浴びるように飲み、ひとまず歩ける程度には回復していた。

 彼女の顔色が気持ち蒼白寄りなのは流血というよりも、単に口に合わないものを無理矢理飲みまくった反動であろう。

 そう判断するからこそ、加古川は元よりムーンイーターもまた特別指摘する素振りを見せない。


「しかし、あのセージとかいう奴のパーティーはどこで待ってるつもりなんだ」


 苦虫を噛み潰した表情で呟く疑問は、加古川だけではなく呑気に歩みを進める伊織にも付随している問題である。

 そも、外側冒険者がギルドの入口を潜ろうものなら門前払いどころかその場で拘束、逮捕すらもおかしくない。ましてやダンジョン側から入ってしまえば、待っているのは自衛隊の銃口。

 ともなれば、彼らと合流するにはダンジョン内であることは大前提なのだが。


「ひとまず、あの大穴に向かって行けばどうです。犯人は現場に帰るとも言いますですし」

「ぜってぇそれは今使うべき言葉じゃねぇよ……」

「でも、そこに向かうしかヒントがないのも事実だよね、うん」


 何度か首を上下させ、伊織の提案をムーンイーターが肯定する。その度に茶の長髪が揺れ動き、マントに隠れた左腕が僅かに顔を覗かせる。

 ファンでもあるアイドルに意見を肯定されたと、伊織は露骨に表情を明るくした。

 一方で少女の場違いな様子に今後を真剣に考えるのも馬鹿馬鹿しいと鼻白むものを覚える加古川。彼の思惑を他所に、少女はふと一ファンとして脳裏に過った質問を口にする。


「そういえば、なんでムーンイーターさんは冒険者になろうって思ったんです?

 アイドルとしてだけでも充分やっていけるだろうですのに……」

「それは、確かに気になるな」


 ムーンイーターは新進気鋭のアイドルとして順調にキャリアを積み重ねており、わざわざ命がけの稼業を兼ねる必要など微塵もない。

 余程のリスクジャンキーでもあれば、話も変わるのだろうが。

 ファンからの質問に対し、アイドルは顎に手を当てて思案する。

 尤も視線が泳ぐ先は口にすべきかの逡巡ではなく、どう口にするのが正しいのかへの疑問だが。

 ダンジョン内で暫しの間、靴が地面を叩く音だけが無機質に反響する。

 やがて回答の形式を思いついたのか、ムーンイーターは自身の気性について言葉を紡いだ。


「……私さ、他の人が持ってるものが輝いて見えるんだ」

「輝いて……」

「そ、他人の持ってるものがなんでもね……たとえガラクタだろうと、形ないものだろうともね」


 形ないもの。

 兼業として冒険者を志した理由への導線には、実に分かりやすいというべきか。


「つまり他人の持ってる冒険者としての名声が輝いて見えた、と」

「うーん、それだと八〇点って所かな」


 悪戯っぽく笑う姿は、液晶越しに映るものとは大きく意味合いが異なるのか。採点された加古川以上に伊織が驚愕の表情を浮かべた。

 他方、採点した側の女性は冗談交じりに指先を動かして一つの方向を指差す。

 指し示す先は天井、正確には頑強な岩盤に覆われた先に広がるはずの青空。


「私にはさ、お姉ちゃんがいたんだ。

 四歳くらい歳が離れてたかな。一級冒険者で、ムーンライトなんて名前だったんだ」

「ムーン、ライト……」


 皐月が姉の、冒険者としての名を口にした途端、加古川の表情が固まる。

 漆黒の双眸が見開かれ、息が詰まる感覚に背筋が凍る。


「どうかしたのかな、加古川君?」

「え、あ……いや、何も……」

「じゃあいっか」


 突然の変化にか、もしくは無意識の内に足が止まっていた事に対してか。

 ムーンライトの心配する声色に対して、加古川が何とか無事の意思を伝える。尤も声音自体は無理矢理平静を整えたのが明白であり、指摘しなかったのは彼女の性格による部分が大きいだろう。

 受け手側の心情など知らぬと、女性は更にパーソナルを口にする。

 相手が正常に受け止められる心理状態かなど、関係ないとばかりに。


「一級冒険者ってさ、二つ名があるんだよ。君達も剣聖とぶつかったらしいから知ってるだろうけどね」

「あー、うん……よく知ってますですね。二つ名」


 伊織の脳裏に浮かぶのは剣聖などという響きの良い綺麗な二つ名よりも、剣鬼やら剣獣やらの物騒さを加味した方が適切に思える侍。虚実交わる数多もの刃を操り、血飛沫舞う血戦を好む異常な男。

 化生と称するに相応しい実力者と直接矛を交えることこそ無かったものの、加古川の負った負傷の程が彼の有する能力を保証していた。

 それに比肩する存在だった姉。


「それがね、凄いカッコよくてさ。昔から欲しいものはそれなりに譲ってもらってたんだけど、当然二つ名は貰えなくてさ。

 だから私も冒険者になって二つ名を貰おうかなーって」

「二つ名欲しいから冒険者になるって……そんな中学生みたいな発想で……」

「ははは、そんなにおかしいかなー。やっぱり」

「おーい、ムーンイーター!」


 気づけば大穴の周辺まで近づいていたのか、弓使いの女性が大声を上げて三人を歓迎した。

 声の方角へ視線を向ければ、そこには呼びかけられた女性にも見覚えのある三人組の姿。


「マリー! フトゥー! セージ!」

「ムーンイーターさんッ。良かった、本当に良かった……!」


 ムーンイーターが駆け寄れば、腕を振っていたマリーだけではなくフトゥーも大慌てで近づく始末。一方で外側冒険者に頼り切りとなった負い目か、セージだけは一歩引いた立ち位置で彼女の背後にいる二人へ複雑な表情を注いでいた。

 泣き出して大粒の涙を流す大剣使いを宥めるアイドルの一方、伊織は一人留まっていた剣使いとの距離を詰める。


「セージさん……でしたよね」

「……前に会った時はダンジョンの罠だと警戒したが、外側だったか」

「いやー、あの頃はただの華のJKだったんですけどねー……」


 何がおかしいのか。

 怪訝な表情を浮かべるセージに対し、冗談めいて頭を掻く伊織。彼女の姿に奥歯を噛み締めるものの、流石に仲間を救助してもらった直後に捕縛を試みるような恥知らずではない。

 代わりに、睥睨する眼差しに敵意を一層深く滲ませた。

 すると、呆然と歩き続けるもう一人の男性が不意に視界を横切る。


「おい、どこへ行く気だ?」

「え、あ……おう」

「どうしたんですか、加古川さん。さっきから調子悪くないです?」

「だ、だいじょうぶ……だ。当然な」


 声音には明確な震えが混じり、伊織はおろか付き合いが皆無なセージにすら異変を察知するには充分であった。


「チッ……今だったら簡単にギルドへ突きつけられそうだな」


 悪態をつくも、肝心の対象に反応がなければ意味がない。

 心ここに在らずといった様子の加古川は、目の焦点すらも怪しいといった様子でただ立ち止まる。それも自らの意思によるものというよりも、止まれと言われたから意味も理解しないままに足を止めたといった有様。

 目も当てられない状態に、伊織が心配の声を上げようとした時であった。


「あー!!!

 そうだった俊邦さんから言伝があるんだった!!!」

「え、何?!」


 突然大声で上げられたマネージャ―の名に、頭上に疑問符を浮かべるムーンイーター。

 何故ダンジョン内で彼の名が現れたのか。

 ある種当然の疑問に答えるよりも早く、フトゥーは言伝の内容を早口で告げた。


「ムーンイーターさんが貰った品がリサイクルショップに転売されてたってのが判明して大騒ぎだって!!!」

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