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第17話 その心が求めるものに

 大穴から降下し、次の階層──第二三階層へと到達した加古川。

 怠惰を隠す素振りも見せず、むしろ見せびらかさんばかりに肩を摩る。その背後には彼に背負われていた、胸部と下半身を甲冑で覆った女性のムーンイーター。

 一歩、二歩。

 足の調子を確かめるべく軽く辺りをふらつくと、アイドルは喉に手を当てて調子を確かめる。


「あー、あー……これならいける、かな」

「かな、じゃねぇよ。間違いなくやれ、俺はお前のファン程甘くはねぇぞ」

「辛辣だね。ま、大丈夫だよ」


 無駄骨は許さないと鋭利に視線を研ぎ澄ます加古川へ、ムーンイーターは安心させるために手を振り返す。

 そして身体をダンジョン内部へ向き直すと目に宿る色身を変えた。

 先程までの冗談めかした態度は遥か彼方。真剣な眼差しには自分を助けるために無茶をし、その果てに遭難した女子高生を助けるという意思が込められていた。

 意識を喪失したかのように頭を下ろすと、ややあって大きく息を吸い、背を仰け反らせて肺へ空気を溜める。

 一瞬、翡翠の瞳が呆れた表情で見つめる加古川を捉えた。

 事実として、加古川はムーンイーターの力量を低く見積もっている。

 アイドルの兼業で冒険者を行っているという点、そして彼ならば楽々と討伐可能なウェアウルフを四人パーティでも苦戦を強いられていた点。

 神宿ダンジョンが二級ダンジョンに指定されていることを考慮すれば、大きく見積もっても成り立ての二級。


「低く見積もれば三級……ま、その場合は素質は二級相当って感じだろうな」


 独り言感覚で呟かれた言葉を思い出し、ムーンイーターは勝気な笑みを顔に張りつける。

 さぁ刮目せよ、今まさに程度を低く見積もった女性がその真価を発揮する瞬間だぞ。

 そう誇示するかの如く。


「あ────!」


 弓から放たれた矢よろしく、勢いよく身体を起こすとムーンイーターは肺に蓄積した呼気を解き放つ。

 ダンジョン内をハスキーボイスが反響し、余すことなく響き渡る。

 魔物を、岩壁を、ダンジョンを潜っている人々を。

 しかして大気を揺さぶる音響を彼らが知覚することはない。

 魔素に干渉した魔法の一種故か。もしくは単にムーンイーターが発することができる可聴域の問題か。精々が突然風が吹いた程度の認識で、音として鼓膜が認識することなく索敵網は発信源の元へと帰還を果たす。


「……」

「ど、どうだ?」


 耳を澄ますムーンイーターに対して、加古川は問いかける。

 彼自身、音として彼女の発した声を認識できず、あくまで大気の揺れでしか把握できていない。それも事前の説明があるからこそ。

 暫くして背後へ振り返る表情には、何処となく翳りが覗けた。


「ごめん、ある程度は把握できた。けど、所々空白というか……他の音に邪魔されて完全って訳にはいかなかった」

「音ね……もしかして魔蝙蝠か」


 不定期に形状を変えるダンジョンという性質上、地図も定期的な更新を余儀なくされる。その際の構造把握にギルドは実際の探索と並行して音響を利用するらしいが、そこを邪魔するのが魔蝙蝠。

 実在の蝙蝠が魔素を帯びて変質した存在は、超音波による攻撃とは別に音の反響を利用して周辺状況を把握する。が、それらの性質が互い干渉しあって不都合が起きるらしい。

 加古川へ自慢げに語っていた存在を思い出し、予期せず嘆息を漏らした。


「いや、確かにこれは私も予想外の結果だったけど……そんなに落ち込む?」

「あ、いや……そうじゃなくて、悪い悪い」


 自身へ向けたものと勘違いした女性の言葉にハッとした加古川は、謝罪の言葉を紡いで思考を切り替える。

 誰から聞いた話かなど今は関係ない、今必要なのは邪魔した存在のみ。


「魔蝙蝠ってのが音に干渉したんだろ、うん。それで、把握した中にその……馬鹿っぽい女はいたか。制服着てるような」

「そんな服装まで詳細に分かる訳ないでしょ。人なら精々甲冑をつけてるか否かとか、そのくらいだよ」

「……充分すげぇし何でもいいわ。で、じゃあ場違いな布地だらけの奴はいたのか」

「布地なら何人かいたけど……何人かで固まってる集団ばかりで、一人なのはいないかな」


 言い、ムーンイーターは肩を落として項垂れる。完全に構造を把握した上でならば更に下の階層へ足を運べばいいが、魔蝙蝠の干渉で空白地帯があるならばそうもいかない。

 元々人力で一つ一つ探るつもりだった加古川は兎も角、なまじ索敵能力がある彼女には改めて遭難者の捜索が面倒だと突きつける結果となったのだ。

 助ける義理もない相手へ溜め息の一つも零さないのがむしろ立派だとさえ、相方は認識していた。


「しゃあねぇ。とりあえず、あそこの血痕の痕を追って近くの空白地帯から探るか」

「……血痕?」


 素っ頓狂な声でオウム返しに問う女性へ、加古川は無言で指を差す。

 錆びた機械よろしくゆっくりと首を回した先には、大穴を挟んで明らかに人体が流してはいけない量の血液で形成された池とそこから抜け出した靴の跡。

 件の人物が二三階層へ落下した如実な証拠であり、速やかな救助を必要とする危険のシグナルが穴の先には広がっていた。


「アレ不味いでしょッ。そんなの見つけてたなら先に言ってよ!」


 ムーンイーターは顔を赤くして抗議しつつ、足は素早く血溜まりへと向かう。


「あの馬鹿女はダンジョン潜って数日の素人だ、あんな出血で動ける訳ねぇ。

 ってことは、一周回って何らかの方法で動ける程度には回復したってことで、まぁ索敵手段を頼る程度の猶予はあると思ってな」


 あくまで冷静に反論する加古川も、先行した女性に続いて足早に進む。

 赤黒く鉄の香りを撒き散らす血の池には、彼の証言を裏づけるようにガラス片と混ざり合た妙な色身を晒している箇所が存在した。

 大方、所持していた回復薬が落下の衝撃で容器ごと破損。皮膚や傷口から摂取することで最低限の効能を発揮し、動ける程度には回復したといった所であろうか。

 経口摂取による本来の効果を発揮していないのは、血痕が途中から壁に寄りかかる形で続いていることからも明白。


「ひとまず、近くの空白地帯から虱潰しに探るしかねぇな。行くぞ」

「うん」


 いっそその場で留まってくれていた方が捜索には楽だったという本音を覆い隠し、肩を竦めた加古川に追随してムーンイーターは血痕の続く先を追った。

 そこから、絹を裂く悲鳴が聞こえるまでは。



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