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第14話 吐き捨てた道は行き止まり

「ノイジーシャウト!」


 マイク越しに放たれた高周波が魔素を帯び、合図で射線から逸れた前線の二人が抑えていたゴブリンを襲う。

 前線で刃を重ねていた二体は不快さと全身を包み込む激痛に動きを止め、一歩引いた位置で弓を構えていたゴブリンもまた得物を取り零す。

 それでも直撃とは言い難い距離が幸いしたのか。奥歯を噛み締めると再度弦を引き絞り、鏃の先に不快感の元凶たる女性を捉えた。

 半瞬後に矢が空を切る、しかして肝心の一撃が放たれる瞬間は永遠に訪れない。


「が……!」

「残念」


 体勢を立て直すよりも早く、マリーの一射が後方で弓を構えていたゴブリンの眉間を貫いたのだから。

 更にフトゥーとセージがそれぞれの得物で武具を構えていたゴブリンを討ち取り、残るは魔鉱石とかつて冒険者が用いていた遺品たる武具。


「すげぇ多芸っぷり……これで三級とか嘘でしょムーンイーターさん。同じ階級のレイヴンにも見習って欲しいもんだぜ」

「あくまで私の本業はアイドルだから。ダンジョンに本腰を入れる訳にもいかないから」

「兼業故の都合か……こうして肩を並べると勿体なく感じるな」


 冒険者が本職であるセージの複雑な表情は、彼女が転職しても大成するだろうと確信。そして彼女が表舞台を去れば、どれ程のファンが悲しみに暮れるか想像に難くないが故のものか。

 事実、セージ率いるパーティは既に第二〇階層にまで足を踏み入れていた。

 音による探索に加えて音魔法の多彩なサポートは絶大であり、普段であればまず接近しない深部への侵入をも容易とする程。

 何故一世を風靡するアイドルが自分達に目をつけたのかこそ分からずとも、今確かに掲げられている戦果は事実。セージはかつてない進行具合に身震いを隠し切れなかった。

 時として接敵を回避し、時として先手を打って撃破する中、一行は一回り大きな空間へと到着する。


「ほえー、すげぇデッカイ穴ですねー」


 呑気に呟き、フトゥーが覗き込む。

 光届かぬ深淵へと通じる穴は、神宿ダンジョン各所に点在する。地球の深部を目指して常に成長を続ける特徴柄、流動的に姿を変える中にあって、数階層を貫く穴は不変。

 内部へ突入する冒険者からすれば、こうして常に存在し続ける穴は一種の目印としての機能を果たしていた。

 セージは懐から地図を取り出し、現在地との照合を図る。


「ここに穴があるってことは、今はここら辺……かな。随分深くまで潜ったもんだな」


 幸いにもムーンイーターの活躍によって、回復薬は充分に備蓄されている。後一、二階層潜る分には不足がないのではと思わせる程に。

 しかし、二〇階層の時点で既に未知の領域。

 勢いのままに進行するには些かの不安を覚えるのもまた事実であった。

 疑似的とはいえダンジョン内では生態系が確立しており、特定階層から急激に魔物の質が変わる、というのもよく耳にする。セージ達に対処できない存在を、今まで順調だったにしても即席のパーティでどこまでやれるか。


「……」


 パーティのリーダーが頭を悩ませる中、ムーンイーターの視線は先の道や穴にではなく、進んできた道中へと注がれていた。

 ここまで道程を振り返っていたのではない。

 かといって怖気づいて踵を返したいのかと問われれば、それもまた否。

 常に衆目の前に姿を晒し、人々を魅せてきたが故に研ぎ澄まされた確かな感覚。肌へ無遠慮に突き刺さる視線を覚えたからこそ。


「ねぇ、そろそろ出てきたらどうかな?」

「?」

「……」


 大した警戒心も抱かず、まるで平時でもそうしていたかのように口を開く。

 遅れてセージ達も彼女の視線に追随し、来た道を覗いた。

 返事はない。だが、ムーンイーターは確信を以って更に声をかける。


「今はアイドルじゃなくて冒険者ムーンイーターとしてここにいるんだ。あまり悠長にファンサービスしてる場合じゃないんだよね」


 手元の両刃剣を何度か回転させ、切先を注ぐ。

 彼女の動きに合わせ、セージ達も武器を構えて臨戦態勢を取る。すると流石に耐え切れなくなったのか、一人の男が姿を現した。


「愛しの恋人相手に酷いなぁ、皐月。そんな怖いものを向けないでよ」


 やや小太りの体型にチェック模様のシャツ、黒を基調としたズボンと一昔前のオタク像をそのまま出力したが如き人物。場違いに馴れ馴れしい態度も相まって、とてもではないが魔物が蔓延るダンジョンを踏破可能な状態ではない。

 荷物を収納するリュックこそ背負っているが、そこに有用なアイテムも用意されていないだろうことは、僅かに顔を覗かせるポスターからも明白であった。


「不倫した覚えはないね。私は舞台に恋してるって、この前のインタビューでも答えてるけど」

「照れ隠しは止めようよ皐月。だって互いに愛し合ってなければ、ここに来る前に僕は魔物に食い殺されてるじゃないか」


 守ってくれたんだろ、と問いかける男との会話は、僅か数回のやり取りで意思疎通は不可能と断じるに充分であった。

 おそらく重度の妄想癖が追っかけをやってる間に相思相愛だと勘違いしてストーカーへと転じたパターン。しかも全ての事象を自身にとって都合良く解釈する便利な頭つきである。

 ダンジョン内での犯罪行為に対し、冒険者は一時的な捕縛権と行使時のダンジョン外へ移送する義務が存在する。

 幸いにもセージ達を含めれば四人対一人の状況、単なるストーカー程度に遅れを取る理由はない。

 ムーンイーターは側に立つリーダーへ目配せすると意図を察したのか、頷く形で了承が取られる。


「大人しくしててね。ここまで関心を持ってくれるファンを切り刻むのは忍びない」

「なぁ、なんでそんなに他人行儀なんだよ皐月。いつも通り名前を呼んでくれよ……?」

「名前? 顔を合わせたのも始めてだけど?」


 首を傾げつつ、着実に距離を詰める。

 一足で踏み込み、一刀の下で無力化するには些か距離があった。だからこそ応答の間に間合いを詰め、射程圏内へと落とし込む。

 着実な戦術であり、背後に弓を構えたマリーも存在する以上、これ以上ない最適解。

 誤算があったとすれば。


「……やっぱり噂は本当だったんだな、皐月」


 物悲しい調子で語る男と問答を繰り広げてしまったこと。


「君が他人から貰ったプレゼントを雑に扱ってるってのは!!!」


 信じていた、愛し合っていた相手からの手酷い裏切り。

 将来を誓い合った仲の許されざる翻意に対し、失意の底へと沈殿する前に湧き上がる激情に従い、男が叫ぶ。

 火山の噴火にも似た魂の咆哮に応じたのは、近づく尻軽女へと振るわれる爪牙。

 男の背後から飛び出してきた影の奇襲に、ムーンイーターは剣を盾にしてやり過ごす。が、物々しい衝撃は一撃で女性の身体を弾き、靴が数メートルに渡る深い轍を刻む。


「確かに僕はプレゼントしたんだぞ、君の誕生日にッ。君が欲しいっていったコートに写真を忍ばせてッ。一度でも着れば気づくだろう場所に!!!」


 男の訴えに意識を傾ける余裕はない。

 何故ならば彼を守るかのように立ち塞がり、唸り声を上げる存在こそがセージ一行には脅威だったのだから。

 漆黒の毛並を携えた一流のマンハンター、二足で立つ狼が両の爪を鋭利に研ぎ澄まして彼らを睥睨する。血走った眼は一行を品定めするようにも、或いは誰から狩るべきかを吟味するようにぎらついた。

 漏れ出る吐息に、飢餓が乗る。


「ウ、ウェア、ウルフ……なんで、あんな男を守るように……!」


 戦慄に声を漏らしたのはフトゥー。

 ウェアウルフに限らず、ダンジョン内の魔物が人間に利することなどあり得ない。魔物とはあくまでダンジョンが生み出した防衛機構に過ぎず、如何に生態系を形成しようとも侵入してきた人類の撃滅を第一義に置くのが当然。

 脅威度の高い武装した面々を優先して襲うならばまだしも、男の指示に従って行動するなど前提が崩壊していると言わざるを得ない。

 大剣を握る手から力が抜けつつある中、間一髪の所でセージからの叱責が飛ぶ。


「考えるのは後だ、まずはウェアウルフを撃破する!」

「お、おう……!」


 動揺しつつも柄を握り直したのと、ウェアウルフが動いたのはほぼ同時。

 折り曲げられた膝を発条代わりにし、二メートルの体躯が飛ぶ。巨躯を飛ばす衝撃で地面が抉れて爆心地の如き後を残すと、唸り声がムーンイーターの眼前にまで迫っていた。

 空を薙ぎ払う右腕を剣で受け流し、返す刃は左で遮られる。

 鍔競り合う形になるも、切り上げの姿勢では力も然して入らない。


「今の、内に……!」


 不利な状況と分かりつつも足を止めた意図を汲み取ったマリーが弓の照準をウェアウルフに合わせる。が、横目で自身を捉える鏃を発見したのか、一息で飛び退かれて矢を穿つことは叶わない。

 着地と同時に身を低く屈めた獣は爆発的加速で距離を詰めると、すれ違い様に一閃。

 鈍い音を洞窟内に響かせ、寸前の所でセージは胴を抉られる事態を回避した。


「早いッ」


 振り返って背後を見れば、ウェアウルフは左手で地面を抉って急速旋回し、三足で再度加速。次は動きの鈍いフトゥーへと狙いを定めていた。

 鈍い剣閃の音が仲間の無事をこそ告げるものの、二足の狼に翻弄されているのは明白。

 ほくそ笑むストーカーを凝視するも、戦場を自在に駆け回る魔物は眼光から主の危機を察知したのか。肉袋に牙を突き立てんと大口を開けて迫る。

 いっそカウンター狙いで刺突の構えを取るも、寸前の所で顎が閉じられて両刃剣に噛みつかれた。


「クッ……だけど!」


 如何なる膂力か。軽々と上体を起こされるとムーンイーターの足は地面から離れ、ウェアウルフを真上から見下ろす形になる。今得物を手放せば、無防備に直地するまでの間に肢体を間違いなく噛み千切られる。

 背筋の凍る未来図を前に、しかして舞台を駆ける偶像としての誇りがマイクへ顔を近づけさせた。


「この距離なら、避けられないでしょッ……ノイジーシャウト!」


 零距離で敢行されるダンジョンライブ。

 指向性を持った高周波が得物を通じて繋がっているウェアウルフへ直撃。苦悶の表情を浮かべて頭を抱えるも、元凶へ噛みついたままでは音を塞ぐことさえままならない。

 ならば音の出所であるムーンイーターを切り離そうと、乱雑に首を振るう。

 砂塵舞う嵐の中にも等しい苛烈さで全身をシェイクされるも、火事場の馬鹿力とばかりに固く握り締めて抵抗の意思を示す。

 アンコールを加味して三時間少々、合間に話すネタを考えつつ汗の舞い散るダンスを披露し続けてきた日々。それも観客に一筋をも不安を抱かせないために涼しい顔で踊り続けるために繰り返してきた数多ものトレーニング。

 人々を魅了してきたダンスを支える肢体が、五臓を無茶苦茶にされる嵐の中でも一層激しく死の音程を轟かせる。


「これで、沈めェッ!!!」


 果たして耐え切れなくなったのは、人を喰らう獣。

 見開かれた目から血涙が流れ、身体の各部から血を滲ませる人狼が口を開く。苦悶の声を漏らし、よろめく身体が地面を掴む。

 それは同時に、ムーンイーターの身体が中空へ放り出されたことを意味し──


「セージ、追撃を……!」

「ムーンイーターッ、後ろだ!」

「えッ……?」


 あまりにも意識を敵対する人狼へと注いでいた女性は、仲間からの指摘で漸く背後に迫る光景へと目を配った。

 底なしの闇。あらゆる光の届かぬ深淵。

 神宿ダンジョン各地に存在する大穴が、哀れにも中空で動けぬ彼女を呑み込まんと大口を開けて待ち構えていた。


「こ、の……!」


 無論のこと、ただ座して落下する訳にもいかない。

 咄嗟に両刃剣を振るって何処かに刃を突き立てようとするも、空を切る切先は地面を掴み切れず。

 徐々に視界から戦いの光景が失われ、無骨な岩肌ばかりが埋め尽くす。

 否応なく意識するのは、死。

 回避する術のない、まな板の上の鯛にも等しい感覚が抵抗の一切を拒絶する。ともすれば柄を掴む握力をも喪失しかねない状況下。


「危ないッ!」


 不意に飛び込んできた、場違い極まる容姿の女子高生だけが彼女の意識を辛うじて繋ぎ止めた。

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