神宿区古都。
古くは流行の最先端を行く都市部として人々の活気に溢れていたビル街も、今では無惨にも倒壊して腸を晒す屍が列挙されるばかり。
ダンジョン発生に数年の間を置いて出現した魔物達は、幾つかが外部の街へ侵攻を開始。空気中の魔素濃度に著しい差があるためか、地上に根を張り災禍をもたらすことこそなかった。
が、生物の域を超越した異常な生態は僅か数分から十数分の極短期間でも出現した周辺の文明圏を破壊し尽くすには充分であった。
故に混乱が落ち着き、都市の再開発計画が浮上した際にはダンジョンと隣接している古都周辺は見送られ、川を挟んだ先に新たな都市部を建設する手筈となった。そして古都には危険性から在住する者は殆んど存在しないとも。
これが、伊織が社会の授業で習った内容。
ならば、眼前に広がっている光景はいったい何なのか。
「わぁ……です」
感嘆符の後に取って付けた語尾を乗せる伊織の視界に広がるのは、古都の一角。
英数字で一〇八と描かれた看板が横に倒れた地点を中心に、戦後の闇市を彷彿とさせる出店が辺り狭しと連なっていた。ボロ切れで簡易的な屋根を展開できていればいい方で、商品に傷がつかないよう足場へビニールシートを張っただけの手抜きも両の指では数え切れない程に並んでいる。
どこか饐えた臭いが鼻腔を刺激する空間に充満するのは、ある種の活気。
不法侵入防止のために常駐している冒険者ギルドの関係者ではなく、万が一のために交代で待機している自衛隊でもなく。
今日を生きるために商いを行っている人々の煌めきが、伊織の視界を埋め尽くしていた。
「何見惚れてんだ、さっさと行くぞ」
「あ、待って下さい……です!」
ぶっきらぼうに呟く加古川の後を追う少女。
彼女自身、替えが効かなかったばかりに制服が昨日のままであり、洗濯にも出していない。故に臭いの観点で不安があったが、少なくとも現状ならば問題にはなるまい。
尤も、華のJKを自称する身としては周りがやってるからセーフというのも憚れたが。
人混みは酷く、少し気を離せば先を行く若干小柄な少年を見失いかねない不安がつき纏った。が、右の義腕が殊更目立ったのもあってか、彼の姿を視界から離すことなく目的地にまで到達できた。
「ここが、目的地……です?」
「そうだよ」
二人の前に立っているのは、窓という窓が叩き割られたかつてコンビニと呼ばれた廃墟。当時の一押し商品を宣伝するポップは風化し、看板には赤のスプレーで元々の店名を塗り潰す形で『レネス整備店』と描かれている。
外から店内の様子を伺えない内装具合も重なり、表情に引きつったものを見せる伊織を尻目に加古川は歩を進めた。
直前。
「二度と面ァ見せんなヘタクソォッ!」
「ッ……!」
店内から轟く怒号に伊織は両腕を掲げたオーバーリアクションを取り、加古川もまた頬を引きつらせる。そして乱暴な金属音と連なる崩落を置き、入口から飛び出してくるのは三人組の冒険者。
「な、なんだってんだよ。優秀な整備士って噂で来たのに……!」
「言われなくとも二度と来ねぇよ、こんな店ッ!」
「バーカ、潰れろババア!」
好き好きに捨て台詞を残して走り去っていく三人組。
するとその内一つが余程許し難かったのか、床を叩く音を反響させながら一人の女性が姿を現した。
「誰が馬鹿だってェッ。じゃあテメェらは
荒々しく金のポニーテールを揺らし、去る背中を凝視する碧の瞳は鋭利に研ぎ澄まされている。普段は美人に該当するだろう整った顔立ちには眉間の皺を筆頭とした怒の感情が前面に押し出され、灰のツナギを纏う体躯は赤鬼を連想させる長身長。手には作業由来の傷とは思えない朱を滲ませたスパナを握り、蓄積したフラストレーションが歯軋りを鳴らした。
元来古都へ抱いている恐怖心の擬人化染みた暴威に萎縮する伊織は、すぐ側に立つ女性と視線を合わせられず、ふと視線を下げた相手に先制を許す。
「あ゛ぁ゛。何もんだよ、テメェは?」
「ヒッ……あ、あの、その……」
「あのとかそのじゃ分かんねぇよ。もっとハッキリ言えや」
「あんまビビらすんじゃねぇよ、レネス」
話しかけられたことで加速度的に萎縮する伊織を見てられなくなったのか、顔をしかめた加古川が二人の間に割り込んできた。
すると、レネスと呼ばれた女性から先程までの激しい怒気が即座に霧散し、代わりに怪しく頬を吊り上げる。一人の整備士としてか、視線は彼の右半身から伸びる義腕に釘付けであった。
「んだよ。お前の女か、加古川?」
「ちげぇよ恋愛脳が……こいつは付き添い。本命はこっち」
掲げる義手は、僅かに軋みを上げていた。
「……」
店内に招かれた伊織は、整備室の手前に設置されたベンチに腰を下ろしていた。隣には義腕を外した見慣れない姿の加古川が、無心で正面を見つめている。
つられて少女も、桜の瞳を店内へと移す。
天井から吊り下げられたチェーンや立てかけられた大剣などの大柄な武具、あるいは全身甲冑。中には拭い切れぬ血痕や刃毀れが目につくものもあるが、如何なる環境で入手したかは想像の羽を羽ばたかせるに留めるべきか。
とてもではないが、コンビニを原形にしたとは思えない充実ぶりを見せていた。棚に点在している魔鉱石の煌めきもまた、都市部に居を構える一等店にも見劣りしない。
外の喧騒と時計の針が時を刻む音の二種類に支配され、どれだけの時間が経過したか。
整備室の扉が開き、中からレネスが頭を掻きながら姿を見せた。
「テメェ、最後にメンテしたのはいつだよ。加古川?」
「…………一週間前」
レネスからの質問に視線を逸らして答える加古川。その頬には気温に由来しない一筋の汗が流れていた。
「嘘つけや。んな小マメにメンテして、あんなに螺子がガタガタになるかよッ」
「仕方ねぇだろ、こっちにも色々事情があんだよ」
「商売道具の手入れを蔑ろにする事情ってなんだよ、遠まわしな自殺かボケが」
「道具大事にして破産したら元も子もねぇだろ。それで金稼ぐテメェは良くてもよ」
「ちょちょちょっと、二人とも喧嘩は駄目ですよ!」
急速に悪化する空気に割り込み、伊織は眉間に皺を寄せた二人の表情を交互に見遣る。
第三者に割り込まれて気分が削がれたのか、レネスは加古川から視線を逸らすと左手の電卓を叩く。
「……ともかく、不調の原因はメンテ不足による細かなパーツの緩みだ。それが微妙にだが、動きに違和感を与えてんだろうな。
簡単な見積もりだが、全体的なオーバーホールともなれば……こんなところか」
レネスは小気味よく弾いた電卓の見積もりを加古川へと見せる。
表示された数字は少年の顎を外し、目を点にするには充分な破壊力を秘めていた。
「……なぁ、これ値段盛ってねぇか?」
十数秒たっぷりと時間を置き、漸く口にした言葉は彼が抱いた驚愕の一端を垣間見せる。
遅れて割り込む形で覗き見た伊織もまた、素人故に法外な値段を請求しているのかと疑惑を深めるに足るだけの〇が画面に並んでいた。
一方の女性は自身の腕を買い叩くのかと疑わせる言葉に、奥歯を鳴らす。
「あ゛ぁ゛。テメェ、このレネス・ビューラーを安く見てんのかッ」
「いやそうは言ってねぇが……いや、だがこれは……」
「んだよ。道具のメンテも怠るくらい働いてんだ、この程度の値段で済むなら安い買い物だろうがッ」
「ケチってる訳じゃ、ねぇけど……」
レネスの主張に泳ぐ漆黒の瞳は、隣に座る伊織の元へと漂流する。
それで少女は一つの仮定へと到達する。してしまう。
「なんだ、女にせびるつもりか。別に私としては、誰が払うの部分はどうでもいいけどよォ。それともソイツに貢ぎまくってるから金が足りねぇとでも?」
レネスの主張は半分当たっている。故に頬を引きつらせる加古川とは別に、伊織は血の気を急速に引かせていった。
昨日のダンジョンで彼女を助けた結果、資金が足りなくなったのではないか。
なおも詰められる少年の横で一人、伊織は浮かんだ自責の念を募らせていた。