「……で、その後は?」
「そりゃあまぁ…朝までイチャイチャしましたよ」
真顔で言う音無の顔を見ていた彼は、呆れたような羨ましそうな苦笑いを浮かべた。
音無と桐生が休暇を取った翌日。揃って出勤したふたりに無言で詰め寄ったのは、別の部署にいるそれなりに仲のいい社員だった。
昼休みになるとまず音無が経理部の安川に連れて行かれた。行き先は近くにあるラーメン屋だ。そして桐生は同じく経理部の髙野と共に、ランチの美味いイタリアンの店へと向かった…らしい。
どうせなら四人でランチを食べればいいのにと、今日に限って何故か別行動になったことに音無は終始首を傾げていた。
「あの...」
「ん?」
「もしかして知ってたんですか?…俺たちのこと」
「そりゃあな、おまえら見てれば勘のいいやつはすぐ分かるよ。それに…オレにも身に覚えはあるから気にするな…」
安川の言っている「身に覚えがある」というのはなんとなく察せたので、そういう事かと納得してしまった。以前音無と母校への説明会に行った時、高野から安川に惚れていると聞いていた。彼は安川とは同じ部署で仲がいい為、もしかしたら安川自身もそうなのかもしれないと思ったのだ。
それと同時に錆び付いたロボットのように、音無がぎこちなく笑う。
「…もしかして、会社の人みんなにバレてます?」
「それは無いんじゃないか?ほら、おまえのその指輪。誰から貰ったのか噂になってたくらいだけどさ、あの人はつけてないだろ。そこがイコールにならなければ、大丈夫だと思う」
「ああ、なるほど...見てる人は見てる、ってことなんですね」
「まぁ、社内恋愛が禁止されてる訳じゃないし。あまり気にすんなよ」
自分の手元を見て納得せざるを得ない。音無の左手薬指にはシンプルな指輪が嵌められていて、内側には「K to O」と刻印されていたのをつい今朝になって知った。そのまま読めば「桐生と音無」となるが、「キリオからおとへ」とも取れることに気づいた音無は、出勤前だというのに暫く火照った顔を両手で覆い玄関先で蹲っていた。おねこが不思議そうに見上げて鳴いていたのは記憶に新しい。
左手薬指につけられた指輪の意味を知らない程、音無は子供ではない。その理由を桐生に聞けば、音無に寄ってくる悪い虫を追い払う防虫剤のようなものでもあると桐生は言っていた。 確かにこの指輪を見て、音無に対し何かしら思いを抱いている者は躊躇うだろう。貰うばかりのサプライズばかりで申し訳ないと思いつつ、自分からも何かクリスマスプレゼントを渡せれば良かったが、生憎と思い浮かばないまま聖夜を過ごし今日に至る。
何度となく桐生に感謝を伝え、その度嬉しそうにしてはいたものの贈り物をできた訳ではない。 そのため少しばかり後悔の残る週末となってしまったのは否めなかった。
「俺は色々やり残したこともあって…安川さんは髙野先輩といいクリスマス過ごしたんですか?」
「まぁな…オレも目的は果たせなかったけど」
「えっ!?そこんとこ詳しく…」
「はい、中華そばお待ち!アラ珍しいね、イケメンが2人揃って!」
「大将には負けるけどなぁ!そうだろ?」
「あっハイ」
「ふふっ、だってさぁ?あっ、いらっしゃい!相席でお願いね!」
厨房から大将が笑っている声が微かに聞こえ、次いで入口の引き戸を勢い良く開ける音がして、冷たい風が入り込む。引き戸はすぐに閉まり、軽口を叩くような声が聞こえた。
「はぁー、すっかり寒くなったねぇ。へぇへぇ…ちょいと失礼するよ」
テーブルを挟んだ向かいの椅子に座る新たな客を一瞥し、慌ただしく運ばれてきたどんぶりを前にして、湯気の中に顔を突っ込む。割り箸を手にした2人は麺を箸で掴み、数度息を吹き掛けて口に運んだ。いつもと変わらない中華そばの味が口の中に広がっていく。
「あーっ、やっぱりうめぇ…」
「だろ?オニイサン……って、誰かと思ったら安川かよ」
「あっ!岩ちゃん!」
どんぶりから顔を上げた安川が、驚きを含んだ表情で相手を見遣る。どうやら安川と顔見知りらしきサラリーマンと相席になったようで、音無はキョトンと対面に座る人物を眺めた。やや草臥れたスーツにいかにも新品に見えるネクタイを、開封してそのまま着けているような若干ちぐはぐな恰好をした男だった。
「音無が入社するより前に別店に行ってたから知らないか…彼は製造課印刷係の係長で、俺や髙野と同期なんだ。こっちは人事の音無。多分、直接会うのは初めてだよな」
「えっっ!」
音無は箸を止め、安川と『岩ちゃん』と呼ばれたその男を交互に見比べる。入社して以来会ったことがない社員も少なからず居るが、彼の名前は桐生からも聞いていたので半ば「伝説の人」並みに会うことは叶わないと思っていた。明らかに安川の方が若く見えるが、そう言うのも失礼だろうとあえて口を噤む。
「はっはっ、まぁ驚くのも無理はねぇか…別店行きになればそうそう本部に行くことはないからな。はじめまして、安川や髙チャンと同期の岩下だ。年上に見られがちだが、ホントにおれは三十二歳なんだな」
「あっ、あの、ラーメンにうるさい舌を持ってるって噂はかねがね……」
音無は有名人に会うファンのような挙動不審さで、頭を何度も下げた。先客の会計を終え、食器の片付けをしている店のおかみが笑っている。
「あらぁ~すっかり有名人ね!岩ちゃんが新しいお客さんをどんどん呼んでくれるから、確かに助かってるの!店は毎日大忙しよ!」
「だってこの店無くしたくねぇから…つい」
どうやら彼は相当年季の入った常連らしい。オーダーを入れずとも、おかみが「いつもの?」と聞けば頷いただけで注文が通されたようだ。
「それに味がどうのこうの五月蠅くはねぇよ。まぁ、ここの中華そばとラーメンが無いと生きていけないだけだ。麺が伸びるからさっさと食いな」
「それ充分重症じゃん…オレはまぁ、あらかた食い終わったけど」
「あっ、そうですね」
箸を止めていた音無は慌てて食べ進め、蓮華でスープを掬って一口啜る。少し話をしていた程度ではスープが冷めておらず、少し安心しつつ麺を箸で掴んだ。ラーメンと中華そばは別ものなのかと違う疑問が湧いたが、今は目の前の中華そばに集中することにした。
「…そういや岩ちゃん、最近若い子といつも一緒にいるって聞いたけど」
「あぁ?まぁ、あいつも常連になった奴のひとりだからじゃねぇか?」
「えっ、その話もっと詳しく…」
やや食い気味に安川が問い掛けたが、岩下は誤魔化すような笑みを浮かべひらひらと片手を振った。
「ま、機会があればそのうちな。おまえさん…音ちゃんは食べ終えたかい?」
「はいっ、ごちそうさまでした…!」
「そんなに緊張しなさんなよ。さ、食い終わったらお会計して本部に戻りな」
音無が壁掛け時計を見上げると、既に十二時四十分を回っていた。昼休みはあと二十分足らずしか残っておらず、愕然と立ち上がる。
「えっ…てもうこんな時間⁉安川さん、ダッシュ!」
「おおおオレ会計すっからおまえは先に戻れ!」
慌ただしく会計を済ませ、店を飛び出す音無たちを見送って岩下とおかみが苦笑いを浮かべる。ちょうど彼の注文していたいつものメニュー、「中華そば青ネギ山盛りやや辛め」がテーブルの上に置かれた。
「…それじゃあ、いただきます」
× × ×
その一方で。
「…っ…」
「ウッ…うま…」
『東栄商事の美形衆』と密かに謳われている桐生と髙野の二人は、ファミレスのデザートメニューに悶絶していた。
時は音無たちが中華そば昇天軒でオーダーを取っていた頃に遡る。
音無たちと違う店に向かう事になった桐生と髙野は、ランチの美味いイタリアンの店…もといイタリアンをメインに出しているファミリーレストランの一席に座り、テーブルの上に置かれた品々に舌鼓を打っている。
桐生が音無と初めて外食をしたこの店は平日のランチタイムも人気で、殆ど満席状態だったが辛うじて滑り込めたようだ。無事空いていた席に案内され、冷水の入ったグラスとおしぼりが配られた。
「へぇ…こんな場所にファミレスがあったなんて意外でした」
「そうですね。私もつい…数か月前に来て知りました」
あの日の音無の挙動を思い出し、つい口元に出てしまいそうになり慌てて咳払いした桐生を、髙野は何処か眩しいものでも見つめるように目を細めた。
「……そう言えば、先日の説明会の時に音無から聞いたことがあって」
「えっ?な、何を…」
あからさまに狼狽える桐生の表情に僅かに笑みを漏らし、髙野がメニュー表を手に取る。
「…詳細はオーダーしてからにしましょうか」
「ああ、はい。…そうですね」
桐生が別のメニュー表をすかさず手に取って読むが、上下逆さになっていることに気づいておらず、冷水を口に含んだ髙野は危うく噴き出すところだった。
「…桐生さん、狼狽えすぎです……」
「え?いや、あっ!その…」
「そんな緊張しないでくださいよ。俺たちはむしろ、尊敬しているんです」
髙野は一足先にメニュー表に書かれた番号を、テーブルの傍らにあるタッチパネルに入力し注文を進める。どうやら最近導入されたオーダーシステムらしく、店内を忙しく歩くのはスタッフだけでなく給仕するためのロボットもあちらこちらを器用に走り回っていた。
隣のテーブルにたどり着いたロボットが『おまたせにゃん~!』と自動音声を鳴らしている。
「…猫様がいる…」
「えっ?」
「あ、いえ。可愛らしい声が聞こえまして」
「ああ、給仕ロボの『ネコにゃん』ですね。別の店舗で見かけたことありますよ」
「一家に一台欲しくないですか?」
「どうなんでしょう…?まぁ、あれば便利でしょうけど狭い場所だと窮屈じゃないですか?と言うか急に元気になりましたね」
必死に笑うのを堪えながらも、髙野がようやくオーダーを出し終える。次いで桐生がタッチパネルを操作し、難しい表情で画面をスクロールしていった。
「…今日はなんとなくナポリタンが食べたい…」
「奇遇ですね!俺もナポリタン頼みました」
「たまに食べたくなりますよね」
ようやく桐生もオーダーを終えると、タッチパネルの画面表示に『待っててにゃん!』と書かれたメッセージと共に可愛らしいネコのキャラクターがよちよちと横に歩いていく。
その画面を見た桐生はついにテーブルの縁へ額を打ち付けるように突っ伏し、呼吸を整えようと深く息を吸った。眼鏡をぶつけてしまわないよう無意識にセーブしたのか、額だけが鈍い音を立てている。
(おい!聞いていないぞ!なんで四ヶ月も来なかっただけでこんなに進化しているんだ…!)
「…あの…桐生さんっ…面白すぎますって…」
とうとう笑いを堪え切れなくなった髙野が口元に手を当て、くすくすと笑い出した。我に返った桐生は慌てて顔を上げ、額を指先で擦り恥ずかしそうに俯いてしまう。
「…大変失礼しました…その、私は…猫がとても好きでして」
「でしょうね」
猫の給仕ロボットを見る目がややぎらついている桐生を目の当たりにし、どうやら猫が好きなのだろうと推理していた髙野はうんうんと頷いた。
「…音無から聞いたってのは…その、少し聞きにくいんですけど」
本題に入る髙野の言葉に顔を上げた桐生は、普段職場にいる彼と何ら変わらない無の表情を顔に貼り付けていた。髙野はここ最近、桐生係長の表情筋がよく動いていると同僚たちが話していたことを思い出し、確かにかつての彼に比べるとかなり表情豊かになったようにじている。恐らく、彼の部下である音無美影の影響だろうと察知した。
「…あいつ、桐生係長が好きって言ってたんですけど…どうやって告白されましたか?」
「えっ」
思わず声を上げてしまった桐生は、冷グラスを片手に掴み一気に呷るように水を飲み干した。
「…このことは、内密にすると約束してくださいますか」
「ええ…俺と安川はとっくに察してましたけれど」
「うう」
僅かに呻き声を漏らし、桐生は頭を抱えた。普通に接するように心掛けていたが、一体何処でバレてしまったのだろうかと頭を抱える。しかし観念したようにぽつぽつと話し始めた。
「……その。ストレートに『好きだから』と言われて…」
「シチュエーションは⁉」
「退勤後、帰宅する時でした。駅のホームで電車を待っていた私を追い掛けて…音無さんが走って落とし物を届けに来てくれた時に。返事はその時、出せずにいたのですが」
ひそひそと声を抑えて話しているが、誰に聞かれているとも分からないので辺りを素早く伺った。幸いにも周りにサラリーマンっぽいグループはおらず、桐生はホッと胸を撫で下ろす。一方髙野は恥ずかしそうに俯いてしまい、真っ赤に染まった端正な顔を両手で覆ってしまった。
「そっ、それ以上は刺激が強すぎるのでいいです…!」
今度は髙野が冷グラスを掴んで水を飲み干した。それと同時に、あの給仕ロボットが二人の座っている席にやって来る。流石ファミレスと言うだけあって、オーダーしてから到着するまでの時間はかなり早いようだ。
『ナポリタンふたつとシーザーサラダ、お待たせにゃ~!』
「お疲れ様でした…っ!」
給仕ロボットのあまりの可愛らしさにひとり悶絶している桐生をよそに、冷静になった髙野がロボットに内蔵されているテーブルから湯気の立つパスタ皿をふたつを手に取り、それぞれの前に置く。そしてシーザーサラダの入ったボウルと取り皿を、テーブルの中央に設置した。 給仕ロボットが『おみずはセルフサービスでおねがいしますにゃん』と言い残し、尻尾(?)のようなパーツを振って去ると、立ち上がった髙野がセルフドリンクコーナーから水の入ったピッチャーを持って来て、それぞれ空になったグラスに注いだ。
「ほら、食べましょう。サラダは取り分けますよ」
「ありがとうございます…」
取り皿を手にした髙野は、シーザーサラダを器用に半分ずつ取り分けてナポリタンの皿の横に置いた。そして物憂げな表情でぽつりと事の顛末を伝える。
「……俺も実は…好きな奴がいまして。そいつにどう伝えようか悩んでいたんです。そしたら彼に、いろいろアドバイスを聞いたので、桐生さんからも何か聞けるかなと」
「もしかして。意中の方は、安川主任ですか」
「んぐ」
フォークにサラダの野菜を刺しながら「なんでバレたんだ」と小声で呟く。桐生は何も言わず、ただ口元に笑みを浮かべナポリタンをフォークに巻きつけ口に運んだ。
「ん…おいしい…」
「サラダも美味しいですね」
眉目秀麗な二人の男がナポリタンを食べている様子は人目を惹き付けたが、本人たちはその自覚がなく食事を続けている。その後、合間合間に恋愛相談をすることになったふたりはランチを食べ終えた後、デザートと飲み物を堪能するまでファミレスに残っていた。午後の始業時刻十五分前に気づいて会計をし、帰社するまで穏やかな昼休みを過ごすことになった。