あっという間の九十分、スイーツバイキングを堪能した後に言われた桐生さんからのサプライズ。ホテルの予約なんて何時の間にしていたのだろうと思っていたのも束の間、俺たちは一度俺の部屋に戻りおねこをキャリーケースに入れ、下着の着替えを持って再びこのホテルにやって来た。
その客室はクリスマスのイルミネーションやツリーが置かれ、おまけに猫の遊び道具まで置かれている。ペットの頭に乗せられるサンタ帽子もあって、寝ているおねこに被せてやったら暖かいからか目を細めてウーンと喉を鳴らした。とても可愛い。
「……」
そして部屋の窓から見える景色は、とてもじゃないが今まで見たことのない高い所からの眺めだった。嵌め殺しとは言えどあまりの高さに目が眩みそうになりつつ、室内の調度品を見渡す。
桐生さんから『クリスマスプレゼント』と言われてやって来たのは、スイーツバイキングに行った高層ホテルの二十二階にある角部屋だ。ペットも一緒に泊まれる客室、おまけにキングサイズのベッドが置かれている部屋で、一泊二食つきでペットのごはんとおやつまでついてくるプランだという。浴室には大人二人が余裕で入れる大きな浴槽が置かれており、薔薇の花びらが浮いていた。二人でどれだけの値段がかかるのか聞いても、桐生さんは決して教えてくれなかった。
「こんな豪華な部屋…逆に落ち着かなくなりません?」
「そうか?」
桐生さんは一足先にこの部屋に馴染み、ジャケットを脱いで金色の彫刻で縁どられた豪華な椅子に座って足を組んでいる。それがまた様になっているのでずるい。ストールを巻いたままではいるけれど、シャツのはだけた腹部から覗かせる白い肌の至る所に鬱血痕が残り、それが自分の所業なのだと自覚させられてぐうの音も出なかった。
(やべ…目のやり場に困るってこういう事だなよなぁ…)
「…もしかして、こういうの…嫌だったか?」
「いえ!決してそういうのじゃなくて…ただ、その…」
「ん?」
「…何というか場違いな気がして…こんなに良いホテル、泊ったことないですもん」
「ふふっ…それはおれも同じだから安心しろ。予約するとき、指先が震えてたから」
「えっ!」
「もしかしてサプライズとか嫌だったら、どうしようって考えたけど…おまえが喜んでくれると良いなってことしか頭になかったから」
「ひかるさん…」
「…気に入ってくれたら、嬉しい…」
口の中が急に甘酸っぱくなってきた。そう言えば、デートはしたことあるけどここまで豪華なものは今までしたことがない。もしかして桐生さんなりに悩んだ末の決断だったのだろうか。
おねこは部屋に入り、キャリーケースから出た瞬間すぐ部屋中を探検して回っていた。今は抗菌防臭のペット用マットレスの上に乗って丸まっている。どうやら気に入っているようで、時おりゴロゴロと喉を鳴らしている音が聞こえるくらいだ。そんなおねこの頭を優しく撫でながら、桐生さんが微笑んでいる横顔はあまりにも俺の理想をぶっちぎっていた。
「ありがとうございます…俺を選んでくれて」
「え?」
「桐生さんの相手に、というか...好きでいてくれて…俺、本当に嬉しくて」
言葉にならず、しどろもどろになってしまう。この気持ちをどう伝えればいいのか、自分でもよく分からない。
最初は本当に不安で、心配ばかりで、おねこ頼みに縋るくらい怖かった。男同士の恋愛とか、俺の一方的な『好き』という感情を受け入れて貰えなかったらどうしようとばかり考えてしまう日々を過ごした。それが今やどうだ?まさか一目惚れした上司が憧れの作家で、両想いで、同棲の話まで出ていて、今こうして高級ホテルで聖夜を迎えようとしている。これまで玉砕だらけの俺の恋愛が結実し、大好きなヒトとこうして同じ時間を過ごせていることが奇跡なのではないかとすら思えてしまう。
この気持ちをうまく言葉にできれば、もっとストレートに伝えることができればいいのにと歯痒くなって口籠る俺を、桐生さんは「おいで」と手招きして自分の膝の上に向かい合わせで俺を座らせた。
「おれもだよ。美影がおれを好いてくれて、生田キリオを求めて貰えて、桐生光を選んだのが嬉しかった」
「光さん…」
「今でも怖くなるんだ。何度も夢じゃないって確かめて…隣で眠っている美影の寝顔を見るだけで、涙が出そうになるくらい」
「えぇっ?そんなに?」
「そんなにだよ」
鼻の奥がツンと痛くなった。大袈裟だなぁ、と笑って誤魔化そうとして失敗した。目尻から涙が零れるのを抑えきれなかった。
「…桐生さん...俺、滅茶苦茶幸せなんです」
「うん」
「自分で書いた小説を読んで貰えて褒められた時、今その瞬間死んでもいいとすら思えました…でも、やっぱりまだまだやりたいことが沢山あって」
桐生さんの声は何処までも優しく、俺の心に染み込んでくる。
「そうだな。今、おまえに死なれたら…おねこ様と俺が一番困る」
「はは…!俺ももっともっと、光さんのことを知りたい。昔のことも、生田キリオのことも、職場に来て俺と知り合うまでのことも」
「ふ…本当に随分と欲張りな奴だ」
「ええ。最初にお願いした時から変わってないですよ」
昼休みに初めて無防備な桐生さんを見たこと。業後にチョコレートを差し入れしたこと。途中まで一緒に帰ったこと。地面に落ちた原稿用紙の文字を目で追ったこと。スマホの連絡先を殴り書きしたこと。
ぜんぶ昨日のことのように思い出せてしまう。もう、随分と時間が経過しているのに色褪せずに思い出せる。それと同時に、諦めなくて良かったと心から思った。
「…そんな欲張りな奴に、もうひとつプレゼントがある」
光さんが俺の目元を指先で拭うと、その手をおもむろにズボンのポケットに突っ込んだ。
次に出て来た指先には、何かちいさいものを持っている。
「は…え…?」
「すまん…。こういう時、なんて言えばいいのか分からないんだ」
そう言いながら、光さんは俺の左手を手に取って…。
薬指に、銀色の指輪をはめた。驚くほど、サイズはピッタリだ。
「!」
「今まで…こういうの、渡したことなかっただろ。少し、早過ぎな気もするけど初めてのクリスマスプレゼントだから…受け取ってくれるか?」
光さんの顔は真っ赤に染まって、とても恥ずかしそうだった。俺はもう頭の中も心の中もぐちゃぐちゃで、あ、とかう、とかしか言えず、ひたすら首を縦に振った。
「も…もしかして、これ」
「ああ。おれも同じの…着けてるから」
そう言って光さんが襟元に巻いていたストールを外せば、嫌でも首元に掛けているネックレスチェーンが目に入る。先端には俺と同じ、銀色の指輪が通っていた。
「うっ…!うぅっ…そんなの、気づく訳ないじゃないですか…!」
「指に着けてたら、おまえにすぐバレるからな。それに…おまえのはおれがつけてやりたかったんだ」
どこまでもかっこ良すぎて敵わない。俺はきっとこの先も、桐生光には勝てっこないのだろう。悔しいけど、それで良いような気さえしてくる。この先年を取って、おっさんになって、じいちゃんになってもずっと…この人には逆らうことができない気がする。それこそ、最後まで隣に並んで笑い合っていたいと思える人だから。
「ぎりゅう“ざん」
「おまえ声凄い事になってるぞ」
笑いながら俺の髪を撫で、目元にキスしてくれる光さんを強く抱きしめる。耳元で愛してます、と囁いたら「おれもだ」と返ってきて、俺の背中に両手の指が食い込む感触を感じた。
そして、視線の先に見えた景色に思わず声を上げてしまう。
「あっ!」
「…どうした?」
「雪です!外!」
桐生さんは窓のある背面を振り返ろうとせず、俺の顔をじっと見ていた。
「メリークリスマス、美影」
「…うん…メリークリスマス…光」
光の両手が俺の後頭部に添えられて、そのまま唇が重なり合った。