「…美影…おいてくな」
自分の寝言で目が醒めてしまい、あれからどれぐらい経ったのだろうかと重くなった頭をフル回転させる。眠りにつくまでのやり取りを思い出して、全部聞かれてなければいいのにと叶わない願いを抱く。羞恥心と情けなさで、すぐにでも消えてしまいたくなった。
妙にあたたかい胸の辺りに目を凝らし、そこに置かれている音無の手と絡められた自分の指先に一瞬身じろいだ。身体を起こそうとして、その横にある熱源に気付く。ふわふわと温かいそれは、おねこ様の小さく丸まった体だ。
「っ…こんなところで…窮屈では…?」
片方の目を微かに開く姿に、撫でろと言われたような気がして、起こしてしまわないようにその身体へ触れてみる。恐る恐るその背中に触れると、おねこ様はしびび、と足を伸ばしたがすぐに元の状態に戻ってしまった。眠そうに欠伸して、おれを一瞥した後に再び目を瞑ってしまう。猫らしい猫だなと思わず笑い、おねこ様の額を指先で撫でさせていただいた。喉を鳴らし漏れ出る音は、リラックスしている証拠だと思いたい。
「…おねこさまの言う通りに」
猫好きは猫のドレイになっても構わないと言うが、言い得て妙だなと納得する。
ふと、横で寝息を立てているもう一人の猫ドレイである音無の寝顔を見遣る。かなり顔の血色は良くなっているが、消耗しているのは見て取れた。随分無理をさせてしまったようで、申し訳なさが募る。だが、先程のは…大いにいただけない。ようやく、想いを打ち明けたと思いきや……。起きたら叱ってやらねばと思った。
音無が書いている小説が、もしも恋愛モノだったらあんなキスシーンの描写なのだろうか。読んで欲しいと言われたことは未だに憶えているので、是非とも目にしたいと思った。
「…私はつまらない男なのに…何故ですか?」
本当はそう返すつもりだった、告白への返答。呟いた言葉に答えはなく、穏やかな寝息が続いている。
彼をモデルにした主人公の小説を書き始めてから、かれこれ2年になる。その間、すぐ近くで音無を見てきたが何故彼が自分を慕うのか、好きだと思うのか未だに分からない。上司としてならまだ分かるものの、恋愛対象として好いていたことをつい先日知ったばかりだ。故に、驚きが隠せないでいた。
おれが中途採用として入社した東栄商事は、云わば印刷屋と呼ばれる業種だ。それまでの経験と経歴では書類の時点で落とされるだろうと半ば諦めていた。しかし内定を貰った時、経理部の主任級待遇で配属されることとなる。社会経験の豊富さと課題論文、そして何よりも利用者であったことが多いに評価されたのだと、後に聞いた。
商社系の会社に勤めるのも業務内容も初めてのことだらけだったが、それなりにパソコン操作に慣れていたからなのか周りからは意外にも重宝された。ここが終着点だと、そうなればいいと思いつつ日々の業務を黙々とこなしていた。有能な部下にも恵まれ、幸先のいいスタートを切れた。
三年前に音無が新入職員として人事部に配属されて、ほぼ同じタイミングで俺も人事部へと異動することになった。人事異動の名前を見た瞬間、もしかしてあの時の大学生かと気づいてはいたが、ほんの数分の出来事だったためにうろ覚えだった。退職した前任者の後を引き継いで音無の教育係になり、何時の間にか自分の部下として仕事をこなすようになった彼の長所も欠点も全て見てきた。気がつけば側にいて、まるで大型犬のように着いて回る姿から、いつからか目が離せずつい視線で追ってしまう。
そして無意識のうちに、眼鏡のフレームで彼の姿を隠して誤魔化すように接していた。
彼の顔を、直視するのが……眩しいと思うようになってから。
× × ×
ぼんやりと浮上する意識の中で、桐生の吐息がすぐ近くから聞こえる。
寝込みを襲うようなことをしてはいけない、と再度必死に自分へと言い聞かせ、音無は自分の燻っている欲を出そうとはせず、その時を待つことにした。実際、待てるかどうかは分からず、むしろ自信がないとさえ思う。キスですらようやく初体験を終えたばかりなのだ。自分の書いている小説で筆が止まっている場所も、主人公と恋人が初めて夜を共にする場面だった。故に、まだ彼には見せることが叶っていない。
「…長い期間片想いだったのに、急展開な恋もアリ…ですよね?」
ひと眠りして、起きた時には日曜日になっているだろう。まだ休みで良かったと、音無は深く息を吸って吐き出した。
穏やかな寝息を立てる憧れの上司、大好きな同人作家、そして恋人になろうとしている桐生光の身体をなぞる。
大事なタイミングで萎れかけた自分の心が恨めしい。できることなら、告白するところから巻き戻ってもう一度やり直したいと思った。カッコ良くリードしたいつもりでも、現実はそう簡単にはいかないのは良く分かっていた。
「光さん…好き」
シャツがはだけた胸元を指先でなぞる。眠る前に散々触れていた為か、敏感であろう薄紅色の先端は天井を向いていた。
先程までの反応を見るに、桐生はここが弱いようだと音無は学習している。案の定、穏やかな寝息が急に荒くなり口元に笑みが浮かんでいる。
「…やめろよ、…っふ…くすぐったい」
「光さん」
「ん…なに、」
ぼんやりと自分を見つめる桐生の視線は、やはり艶があると音無は息を呑む。
「やっぱり…あなたを抱きたい」
「なっ、…あぁっ…⁉」
散々摘まれた乳首を今度は唇で咥えると、前歯で甘噛みして何度も舌先で突いては音を立てる。桐生は必死に奥歯を噛み締め、喉奥で掠れた声を出さぬようにと鼻で息を吐き出した。
「光さん、我慢しないで…声、もっと聞かせて」
「…美影、おいっ…っ、」
「はぁっ…やば……」
「っ…それ以上は…う…あぁっ」
「ね、桐生さん、乳首弄られてきもちいいですか?もしかして、普段から自分で弄ってたりして…」
「…ン……っ!」
桐生のカーゴパンツの上から股間を弄り、肥大し始めた桐生のそれを指先で撫でる。桐生の身体が大きくしなり、甲高い声が出てしまうのを必死に止めようと自分の手の甲で唇を押さえつけた。桐生の指先が自分の柔らかい肌に食い込む感触に音無は背筋をぞわりと震わせて、胸元から唇を離し桐生の顔の真正面に顔を向け、熱の籠った吐息を吐き出す。
音無が上体を起こし、天幕が張られたカーゴパンツで窮屈そうな桐生の先端を指先でくすぐる。先端が些か湿ってきている気がして、音無は人生で初めて他人のズボンのベルトを緩めた。ウエストのボタンを外してファスナーを降ろし、はぁ、と息を大きく深呼吸する。それでも指先の動きを止めることはできず、突き破る勢いで勃起したそれを、窮屈そうな下着から解放してやる。桐生の下着と先端は先走りで滑り、羞恥心の為か目元も潤んでいる。
桐生は寝起きで頭の中を真っ白にしながら、されるがまま抵抗もせずに音無を見上げた。
「おまえ…いい加減に……」
「ね、光さん、どう呼んでほしい?桐生さん…?キリオかな?それとも…」
音無の目元が悪戯を思いついた子供のように鋭くなり、桐生の耳元でその名前を囁いた。
「…來斗?」
「っ…!」
「あぁ…もう我慢できないって顔してる…かわいい…」
「んっ…駄目だ、みるな、やめ、ッッ…!」
音無の親指の腹に弱点を思い切り扱かれると桐生の腰が大きく跳ねて、我慢できそうにない声を出した。ベッドが軋み、荒い呼吸を繰り返して逃れようとするが、亀頭を擦り上げられ一際甲高い声を漏らす。
「むり、ダメだって…っ!!」
「いいよ…ねぇ、…気持ちいい…?」
「美影っ──」
ふぅ、と桐生の乳首に息を吹き掛けると、桐生は音無の手の中で盛大に果ててしまった。おねこが驚いて目を丸くし、桐生をじっと見ている。音無が手の平に散っている桐生の放った白濁を見つめ、匂いを嗅いだ後舌先で舐めた。そして不思議そうな顔をしてティッシュで拭い、桐生をじっと見ている。桐生はくぐもった声しか出せず、常に音無のペースに身体ごと預けてしまっていて、恥かしさで音無の顔が見れなくなっていた。
「ふふ…、光さんのエッチな匂いがする…」
「馬鹿っ……誰の所為だと…」
「俺が光さんをいじめたくなったのは、かっこよすぎるあなたの所為だから」
にこにこと笑顔を浮かべ、桐生の下半身を丁寧に後始末する。桐生の下着とズボン、シャツまで全て脱がせてベッドの下に落とし、音無自身もトランクス一枚だけの姿になり、満足そうに再び桐生の身体に重なり布団を被った。
「っ…俺もかなりヤバいけど、本番はまた今度がいいですよね…」
「…そうだな…起きたら今に見ていろよ…」
桐生は瞼を閉じると、重だるい眠気に引き摺られるように再び寝息を立てる。少しずつ聞こえてくる桐生の穏やかな呼吸音を確認すれば、音無は呆然と彼の言葉を反芻する。我に返り自分の傍若無人な振る舞いを思い出し、頭に血が昇るようだった。
(そうだな、ってことは…もしかして、その…ヤッちゃうのか⁉)
音無は桐生の身体から慌てて降りて横に寝転がる。桐生の片手を握り、自分の顔まで持ち上げて指先にキスを落とした。実のところキスの相手は桐生が初めてで、成就した恋愛の経験も皆無だ。そのため、その先をどうすれば良いのか分からない。予備知識としてはあるものの、現実は小説で読んできた甘酸っぱい恋模様とは違い、悩みや挫折の繰り返しだった。高校生の時に告白された女子と付き合った時は、誰に対しても同じ態度なのかと激怒された挙句自然消滅して、自分からアタックしてきた恋は見事に全て砕けてしまっている。そして、ようやく実った恋の相手を前にするとどうにも調子が狂ってしまう。
桐生に対して言った『本番』など強がって言ってみただけで、実際それがどのようなものなのか体感したことは一度もなかった。桐生の過去は分からないが、彼にとっても自分が初めての相手であればいいのにと淡い期待を抱いている。
「っ…あんなの見たら、寝れなくなるじゃないですか……」
恍惚とした桐生の表情が頭の中に焼き付いて、音無は自身の昂る熱をどうにか放出しようと右手を伸ばす。
理想の上司でもある恋人を前にして、熱をぶり返してしまわないようにするのは極めて困難だと、音無は思い知った。