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幸福な悪魔達


 サジド達が塀を通り抜けていった。シェリー達も、勝手知ったる中庭を進む彼らに付く。


 一階は、役所として機能しているようだ。


 エレベーターで居住階へ向かう。扉が開くと、抑え気味の電球が、広間を鼈甲色に照らしていた。


 同じ扉の並んだ回廊の奥から、白髪頭の男性が見えた。垂れた目尻と下膨れの輪郭が温厚な印象を与える彼は、サジド達に目を向けると、顔中の皺を深くした。



「おぉ、鈴ちゃん。サジド達も、久しいのう」



 耳の尖った年長者が、若い四人を歓迎する。彼に肩を叩かれた鈴が、破顔して会釈した。ヤナ達も目を細めている。


 彼が、サジドの叔父らしい。この屋敷の所有者だ。



「お友達かね?」



 どこにでもいる気立ての良い年長者にしか見えない男性が、シェリー達に注目した。



「初めまして。私達、中部でヤナさん達と知り合って……」



 シェリー達は、順に彼と挨拶を交わす。


 奇妙な感じを覚えているのは、おそらくサジドらを除く全員だ。


 彼から害意が感じられない。モモカを見て特に反応しないのも、トヌンプェ族らにとって、彼女のような存在はもの珍しくもないからだろう。


 ちょうど昼餉の準備をさせていたところだと言い出して、彼は突然の押しかけ客らを食事に誘った。


* * * * * *


 会食の席に、サジドの叔父を始めとする、彼ら家族が出揃った。

 上座には、彼の両親──…トヌンプェ族の最年長者だという老夫婦もいた。息子に似て垂れ目の彼らに小さな子供がじゃれついて、使用人達が両親の側に戻るよう促している。


 シェリー達は手を合わせて、箸を取った。


 多世帯で暮らす近親者達は、歓談したり、使用人に飲み物の追加や箸休めを所望したりして、なごやかに食事を進めている。


 こうも彩り豊かな食卓は、久し振りだ。


 意地でも美食を認めまいと粘っているらしいショウ達も、咀嚼に時間をかけている。彼らと同じで、シェリーもつい味わってしまう。



「ここは、いやな噂が立ちやすいです。村長のわしが言うのもおかしな話ですが、こんな村を訪ねてこられたシェリーさん達は、勇敢ですなぁ」



 村長の他意ない好奇心が、シェリー達に向かう。使用人に酒をつがせて、彼がグラスを傾ける。


 シェリーは、翡翠と旅を決めた時のことを振り返る。


 初めは、西に棲む悪魔という概念への反発心からだった。科学で証明出来ないものが、あるはずない。戦争を司る恐ろしいものの正体を突き止めたくなった時、偶然にも、モモカが両親の墓のことを知らせてきた。


 耳の尖った大家族の顔に、笑い、そして悲しみが、続けざまに表れた。



「物事を合理的に捉えようとなさる、シェリーさんのような方には感心します。ご覧の通り、我々も、先祖達の発展させた科学の恩恵を受けておりますから」


「ご両親に会いにいらっしゃったなんて、気の毒なことを伺いましたね。お若いのに苦労されて……」



 ここに揃ったトヌンプェ族達から、暗い感情は垣間見えない。シェリー達は表向きサジドの客として席についていて、もてなされこそしても、道中の配達員と同じ扱いを受けるだけの理由が付かないのか。一人だけ黙々と食事を進めている青年がいるが、元々、寡黙なのだろう。



 西を訪ねて、生きて戻った者はいない。


 行く先々で、耳に挟んできた評判。


 そのことについて、シェリーがそれとなく真偽を問うと、男性の一人が顔を上げた。

 若い彼に、さっきの子供が甘えている。サジドを叔父とも呼んでいた。



「彼らは、ここの暮らしを気に入って、村を出たくなくなるようです」



 魚介のマリネを咀嚼していた翡翠が、どういうことだと言わんばかりに眉根を寄せた。


 子供達の口を拭いながら、男性が続ける。



「もっとも例外もあります。彼らは大概、トヌンプェの方針に抗議するか、引き返します。ただ、我々は世間の認知を忌避しています。多くの場合、口封じをさせてもらっています」



 それであんな噂が立って、この地に過敏な人間が増えていたのか──…。


 シェリーの脳裏に、昨夜の配達員の顔が浮かんだ。彼もこの村の異様な部分が目について、トヌンプェ族らの警戒心を煽ったのだろう。



「私はここで暮らしたい。お父さん、お母さん達も……あんなさびれた危ない村より、こっちに来た方が幸せなのに」



 親族らと歓談していた鈴が、シェリー達の話に加わってきた。


 生まれ故郷が違っても、本質は変わらない。人間同士も、結局のところ親身になれる対象は、自身や身近な相手に限る。誰もが有事は赤の他人を見捨てる。今が有事だ。世界は終末だの著しい人口減少だのと言われているのに、それで誰かれ構わず我が身同様に接する方が、自滅行為だ。二兎を追うものは一兎も得ない。


 鈴の理屈に、輝魔が決まり悪そうに顔を伏せた。


 共感、そして狼狽が、彼に見え隠れする。



「あなた達は、本当に争うつもりがないの?」



 嫌悪感を押し殺したように聞こえる囁きが、シェリーの耳に触れた。



「人間は、与えられた人生を、精一杯生きてたかった。あなた達は、すごい文明を進化させた。この先、今より医療も進んで、あなた達は人間と見分けつかなくなって、遠い未来の子供達は、自分が何者か分からなくなることもあるかも知れない。鈴さんみたいに、出身関係なく好きになる人を選ぶことが、これからもっと増えていって、そのうち戦争の記憶も薄れて……」



 目指したものも、本質も違う。そんな両者が同じ地上で手を取り合うのは、不自然だ。どこかで不具合が起きる。


 翡翠はそう言いたいのだろう。もとより彼女は、何があっても彼らを認めないだろう。



「西に住めば、何も恐れなくて済みます。ここくらい、理想が実現したっていいと思いませんか?」



 鈴に家族を見るのと同じ目を向けるトヌンプェ族らが、彼女に続いて口を開く。


 両者の友情、恋愛も、ここではとっくに定着している。役所は結婚や養子縁組を認めていて、混血も多く暮らしている。彼らの幸福度は高い。トヌンプェ族の歴史や気性は、まだ人間の理解を得難いが、必要悪とは考えられないか。人間も、動植物の生命を食らう。意思の確認もなくテリトリーを奪って、食い物にしてきた心当たりはあるだろう。



「私達も、翡翠さんと同じ望みを持っています。ただ普通に暮らしたい。先住民の皆さんに、私達の眷属が何をしてきたかは分かっています。ですから、ここでいただいたものは無駄にしません。あなた達が、例えば食糧を無駄になさらないのと同じように」



 もっともらしく語る女性に、彼女より少し年少の女性が穏やかな目を向けている。どことなく似ている二人だ。さっきから冗談を言い合って、仲が良い。


 ここにいるトヌンプェ族達は、かつて人間が必要としていたものを、当たり前に持っている。未来に大きな不安もなく、特別に不自由もしない日常。住みやすい家、栄養のバランスのとれた食事。…………



「残念ながら、シェリーさんの正解です」



 すっかり赤くなった村長が、使用人に酒を追加させていた。



「ここに本物の悪魔はいません」



 歌うような言葉つきだ。


 彼がまた、ぐいっと、グラスを満たした液体を喉に流し込む。


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