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未練なき世界に生きる理由


「何してるの?!……くっ、……」


「シェリー!」


「…──っ、はぁ、あと少し……ひ、すい……」



 今度こそ翡翠を捕まえて、間一髪で、シェリーは彼女の転落を防いだ。



「姉御!」



 翡翠の重みに引きずられかけたシェリーを、ショウが抱える。筋肉質な青年の腕に引き戻されながら、シェリーは彼女を力の限り引き上げる。



「はぁっ、はぁ……」


「離して!やだっ、あ、どこ行っちゃったか見えない……でも今なら……きっとまだ見付かるから!」



 駄々をこねる子供を引きずるようにして、シェリーはショウと、ようやっとの思いで翡翠を足場に引き上げた。


 廃屋は、既にそうと呼べないくらい崩れ落ちていた。



「何で止めたの!埋まっちゃったら、もう二度とないかも知れないのにっ!」



 地面にへたり込んだ翡翠の強い目が、シェリーを見上げていた。

 いつも何かあれば泣く彼女とは、別人だ。それでいて今にも泣き出しそうに赤い目をした彼女の指が、シェリーの白衣の裾を掴んで震えている。



「あなたこそあんな無茶……。無事に着地出来る高さじゃないと分かるでしょう」


「怪我は治る。でもシェリーはあれがないと治らない」


「翡翠」



 シェリーは、彼女の側に膝をつく。聞き分けのない子供に言い聞かせる調子で続ける。



「こぼれたミルクに、泣く必要はない。なくなったものはなくなったんだから」


「何でそこまで平気な顔をするのよ!」



 翡翠が癇癪を起こしたような声を上げた。顔は真っ青だ。ともすればロボットに遭遇した時より酷い。


 シェリーにしてみれば、彼女にこそ胸の内を問いたい。何故、そこまで必死になれるのか。自分のために必死になって、彼女が危険を冒すのでは意味がない。



「もう、どうでもいいかなって。生きる理由もないし」


「…………!!」



 翡翠の目が真新しい涙を生んだ。


 悲しませたいのではない。彼女の思いを無駄にしないため、シェリーだって生きようとした。生きる理由はなくても死にたいだけの動機もない。それなら生きてみようと思った。だが、それは周りを巻き込んでまで実現したい望みではない。もとより、シェリーは時代のイレギュラーだ。いてもいなくても良かったと思う。



「やだ!!!」



 翡翠の手が、シェリーの腕をがしりと掴んだ。純粋さを絵に描いたように無邪気な目が、痛切な訴えを浮かべている。



「何もかも消えるんだよ。いなくなっちゃったら、後悔しても絶対にやり直せなくなるんだよ」


「そうよ、だからもう……」


「良くない!分からないの?シェリーなら分かるはずだよ……それは、私は家族とかじゃないけど、でも……私にとっては……」


「──……」


「私はあなたに生きていて欲しい!」



 それは、もし万が一のあり得ない奇跡が起きて、両親に再び会えるとすれば、シェリーが彼らにぶつけたい思いだ。生きて待っていて欲しかった。生きていて欲しい。どうあっても伝えられなくなった本心を、今もシェリーはさまよわせている。翡翠には、その感情のやり場があるのだ。対象が、出逢ってまもない友人というだけの違いで。

 シェリーの世界は、両親を中心に回っているべきだった。それが彼らへの償いだった。だが実際、目覚めて恩に報いたかったのは、彼らのみに限らなかった。そこにはモモカも含んでいたし、助手達もいた。血縁を超えた繋がりがあってもいいと思う。シェリーは、翡翠との関わりも深めていた。



「……分かったわ。翡翠。でも、こんなとこから飛び降りないで。あなたの通信機で、モモカに救助を呼ばせてくれる?」


「うん」


「下へ降りたら、探すの手伝って。きっと動き回らなければいけないから、怪我なんてしている場合じゃないわよ」


「うん!」




 まもなくして、レンツォが戻ってきた。悲壮感をまとった彼は、いつにも増して顔色が悪い。だが、モモカから梯子が運搬されてきた。それを使って、全員で、まだ階段の残った階下へ向かった。


* * * * * * *


 一同は、日暮れ前から探索を始めた。ショウはあわよくば父親の薬剤も見付かるかも知れないと言って捜索に加わり、レンツォも彼に付いていた。


 建物ごと崩壊しただけに、どこに何が埋まったか、吹き飛ばされたか、見当つかなくなっていた。やっとそれらしいものが見当たれば、似ているだけだったり、割れた注射器まで出てきたりした。素人目にも危険と分かる薬品まで転がっていて、うっかり触れかけた時はひやりとした。



「皆さん、夕飯の準備が出来たのです。腹ごしらえするのです」


「有り難う、モモカ。ショウとレンツォも、入って」



 モモカと翡翠が移動基地に戻っていくと、シェリーは彼らに呼びかけた。


 二人は、せっせと瓦礫を掘り返していた。



「お構いなく。オレら、これがあるんで」



 二人がポケットから出したのは、スティック型の非常食だ。


 確かに、栄養価は高いだろう。シェリーとて注射剤が見付かるまではレーションくらいで済ませておきたいが、時間を惜しんで身体を壊せば、例のごとく翡翠まで巻き込むのは目に見えている。そしてショウ達も、今は協力者だ。



「今後に取っておきなさい。組織を抜けるなら、当分、食料も無駄に出来ないでしょう」


「オレらなら草でも食えるんで」


「なら、私もそうする。食べ物が尽きた時のために、野草の食べ方を教えて」



 シェリーが瓦礫に戻っていくと、二人が慌てて前言撤回した。

 一緒に腹を壊さないでくれ。そうしたことを言いながら、彼らはシェリーを移動基地に押し返した。


* * * * * * *


 シェリー達が注射剤の探索を進める傍らで、モモカはエネルギー資源の収集もしていた。この辺りは、まだ有用なものが残っているらしい。彼女の仕事が捗ったお陰で、四人は夜も電灯を点けて作業が出来るようになり、夜風が冷えれば、温かいお茶も淹れられた。


 食事と睡眠を挟みながら、探索を始めてまる一日が経とうとしていた。

 四人と一匹の友情も、徐々に深まっていた。初めから理解り合えていれば、建物の崩壊も避けられたのではないかと考えられるが、後悔してもあとの祭りだ。



「ないっ、ないっ。こんなに探しているのに……」


「モモカ。お前、ネットとか専門分野だろ?位置情報掴めないのかよ」


「コンピューターは、魔法ではないのです……」


「おお?!」


「見付かったのか?!」


「いや、その……肝斑の薬って、低リスクだし売れやすそうだなと……」


「バカ、オレ達はそういうのやめるんだろ!」


「もちろんです!でも、お金は必要じゃありません?特に追手が来たりしたら、遠くへ逃げられるだけの資金は持っていたいです」



 シェリー達が瓦礫を調べている後方で、ショウ達が論争を始めていた。

 レンツォの懸念はもっとだ。勝手に抜けた彼らを組織が放っておくはずはなく、最悪、ここまで捜索の手が迫るかも知れない。


 結局、ここでの結束は期限付きだ。注射剤が見付かれば──…いや、それまでに五人、解散もあり得る。ショウ達だけではない。翡翠もいつまで一緒にいるのか。家にも帰らず、こうも長い間、彼女は移動基地に泊まり込んでいて、平気なのか。…………



 ガサガサガサガサ。



「翡翠」



 シェリーは、すぐ隣でシャベルを動かす翡翠を制した。また手指の傷に無頓着になって、夢中になっていた彼女。あとで痛い思いをするからと、何度言っても、すぐに気を付けなくなる。


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