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星の数ほどの希望を集めて


 目覚めると、枕元に翡翠がいた。


 まるでこの世の最後の日にでも遭遇してきた顔だ。目も腫れている。


 シェリーが呼びかけると、翡翠はシーツに突っ伏した。



「良かった……まる一日眠ってたんだよ。起きなかったらどうしようかと思ったよ……!ひく……グスッ……うぇぇぇん……」


「翡翠、落ち着いて。疲れただけ。遠出も家事も、久し振りのことばかりで」



 必死に翡翠をあやしていたシェリーの耳に、賑やかな足音が近付いてきた。


 来斗と繭は、シェリーを見るなりぱっと顔を明るめて、駆け出してきた。



「シェリーお姉ちゃん、もう大丈夫?目、覚めたの?」


「病気なの?あんなに強いのに?死んじゃやだぁ!」



 翡翠に続いて、シェリーは姉弟まであやすことになった。








 シェリーが眠っていた間、翡翠が来斗を励まして、立ち直らせたらしい。



「お母さんは、来斗くんを強い子だと信じているから、安心して旅していられるんじゃないかな?来斗くんが希望を持ち続けて、お父さんと繭お姉ちゃんと仲良く支え合えていければ、お母さんはとっても幸せだと思う。来斗くん達のこと、大事じゃなくなるはずないじゃない」



 モモカに聞いた翡翠の言葉が、シェリーの耳には痛かった。


 家族以上に優先していいものはない。少なくともシェリーにとっては。


 だが、彼らの母親は事情が違う。人助けの旅など嘘だ。実家への帰省中、彼女は通り魔に遭った。犯人は、彼女を殺して、カケルの持たせた手土産を奪い去ったのだという。その事実を知らないのは、まだ幼い来斗だけだ。



「可哀相だけど、あんなに小さな子に耐えられるとは思えない。その代わりになるかは別として、カケルさんや繭ちゃんとは、楽しい日々を送って欲しい」


「カケルくんの子供なら、父親譲りのポジティブ思考で、きっと大丈夫。カケルくんも、明日の休みに畑を耕すんだって、張りきっているし」


「私達も手伝わなくちゃ」


「シェリー、痩せた土を肥やすための薬を試用するチャンスなのですっ」


「そんなものまで作ってたの?!」



 声を上げた翡翠の手前のローテーブルに、シェリーはコーヒーカップを二つ並べた。それからソファに腰を下ろした。


 ドリップしただけのブラックコーヒーに息を吹きかけながら、手前にいる翡翠を盗み見る。

 一昨日より濃いめのそれを飲んだ彼女の反応が、楽しみだ。シェリーはいたずらを仕掛けた子供の気分になる。



「…………!!」



 翡翠は、期待以上のリアクションを見せた。



「何これ?!」


「お子様風味に拗ねていた翡翠に、合わせてみたの」



 カップを手のひらに挟んで水面を見つめる彼女の目が、輝いていく。



「美味しい……それに甘くて、人工甘味料じゃない!まさか砂糖?!」



 正解だ。彼女の好みに近付けるには、欠かせない。砂糖を使えば、ミルクは少量で済む。



「コーヒーって、美味しいね。華やかな香りに、キリッとしたコク。ミルクで薄めてると気付かなかったよ。いいの?砂糖は手に入りにくいんだよ」


「昔は手に入ったのよ。モモカが当時の品質のまま管理してくれていたのだけど、もうそんなにあっても仕方ないから」



 翡翠の顔が急に曇った。


 死期の迫った人間は、散財することがあるという。それが彼女の誤解を招いたのかも知れないが、生命維持装置の中にいた間、栄養接種源として砂糖も用いていたシェリーは、単に必要としなくなっただけだ。








 家事代行最終日は、皆で畑に新たな野菜の種を蒔いた。そして夜、河原へ出かけた。



「今夜はミルキーウェイがよく見えるんだ。天の川とも呼ばれている。ある国々では、お互い夢中になった夫婦が仕事も放って遊びにかまけた罰として、天の川が引き離したのだと語られている。年に一度しか、それも晴れなければ、彼らは会えなくなったんだ」



 カケルの話している途中、くちゅん、と翡翠のくしゃみが混じった。彼女の格好は、この時間に出歩くにしては心許ない。



 ふわ。



「いいよっ。シェリーが風邪ひいたら、本末転倒だし!」


「風邪をひくような格好だという自覚はあるのね。私はご令嬢育ちじゃないから、平気」



 渋々、翡翠がシェリーの白衣に袖を通した。


 今のは皮肉に聞こえただろうか。


 シェリーが翡翠を横目に見ると、二人、目が合った。



「どうしたの?」


「ううん。シェリーが寒くないか、見極められないかなと思って」



 河原に着いた。モモカは家で留守番している。移動基地からここまでの距離が、彼女の行動可能範囲を外れるからだ。



 満天の星が広がっていた。昔は花々も咲く穴場だったと懐かしむカケルは、戦争の爪痕に胸を痛めている様子だ。


 無数の銀の明滅は、死者の数だけ存在しているという説もある。

 ただしシェリーは、そうした非科学的な迷信を信じられた試しがない。この世に科学で証明出来ないものはない。

 だが、星の数だけ存在するものがあるとすれば、死者ではなく、希望ならいいと思う。少なくとも今、友人達と見上げる広大な空に吸い込まれそうな心地になったシェリーは、一瞬だけ、自分のなくした多くの過去を、ほんの些細なものに感じた。こんなことは初めてだ。



「僕、七夕伝説は嫌いだ」


「私も好きじゃない」


「パパとママは怠けてなんかなかったのに、会えなくなったよ。彦星と織姫だって、本当に怠けていたか分からないじゃないか」


「他にお話はないの?もっと幸せなお話が聞きたいよー!」



 来斗と繭が、カケルにまとわりついていた。


 今の話は、それだけ彼らにショックを与えたのだろう。勇者が悪を倒す話や、お姫様が幸せになる話が聞きたい、と父親にせがむ彼ら。



「お姫様が幸せになる話なら……シンデレラ、かしら」


「え?」



 無意識に呟いていたシェリーに、来斗達が振り向いてきた。 


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