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不治の病の薬の在り処


 干し肉と、非常食を解凍したスープは、薬以外の食事が久し振りであるシェリーの胃に過度な負担をかけることなく、ほど良い旨味を味覚に与えた。


 シェリーはモモカも食卓に着かせた。

 彼女は食事が出来ない分、視覚や匂いで味を楽しめる。



「ところで翡翠さん。お住まいは近く?こんな時間まで、帰らなくて平気?」



 食器を片付けていた途中、つとシェリーは気になった。


 すると少しの間を置いて、翡翠がシェリーの洗った食器を拭いながら、口を開いた。



「え、っと、足が、まだ痛くて……。迷惑だったらごめんなさい。当分、一人で出歩くのも怖くて……いたた」



 鎮痛剤ならとっくに効いている頃なのに、それだけ外が怖いのか。


 シェリーは、今しがた鼻歌まで歌っていた翡翠の三文芝居に、頬がゆるむ。もし自分に妹がいれば、こんな時間も日常的に持てたのだろうか。



「好きなだけいてちょうだい。これを機に、お互い楽に話さない?翡翠、の方が、私も呼びやすいというか……」


「やった。じゃあ、シェリー。仲を深めたところで、さっそく私から提案があるんだ」


* * * * * *


 かくて翌朝、シェリー達は連れ立って、隣村へ出かけた。行き先は野戦病院だ。


 シェリーが完成を待っていた注射剤は、製造と投与の記録数を照合すれば、どこかに必ず残っている。そして情報収集するなら、翡翠曰く、こうした施設が打ってつけらしい。


 この何も残らなかった世界で、生きることに積極的になっていいのだろうか。両親との絆も大切に出来ず、彼らを置いて途方もなく遠い世界に超えてきてしまった自分は、その罪さえ贖えないのか。


 ふと気を抜けば、そうした思いがシェリーの足を死へ向かわせそうになる。反面、やはり翡翠とモモカのまごころが、シェリーをこの世に繋ぎ止める。



「戦争が引き起こした医療崩壊後、野戦病院が各地に出来て、負傷者や病人の受け入れ先は回復しました。健康保険証が必要ない分、従来の医療機関と違って、助かる人達もいたようなのです」


「医療体制が持ち直した時、薬は見付からなかったの?交通規制があったって、直接製造所へ行くくらい、何とかなったと思うんだけど。それにシェリーは、世界的な賞にノミネートされていた。そういう人って、昔は優遇されていたんじゃ……」


「注射剤が出来た頃、飢饉は始まっていたのです。貴重な物資は国が管理して、薬も軍事機関から先に回っていたですから……」



 東部の野戦病院は、想像以上に活気があった。医療従事者達の数も十分だ。

 そのため、翡翠の怪我を診せるという名目で専門家に接触する作戦は、首尾良く進んだ。



「お怪我は心配ありません。翡翠さん、ご覧になって下さい。ほとんど塞がっていますよ」



 翡翠が薄目で膝を見た。顎の絆創膏もつけたまま洗顔していた彼女は、当然、今の受診でも、傷から目を逸らせていた。その目が大きく瞠いていく。



「あれ?でも、痛い……ですぅ、……」


「翡翠。怪我が治っても、私はあなたを追い出さないわ。ただ、先生。ここ、不良の肉芽になりませんか。応急処置程度に炎症予防をしただけで、治癒を抑制しないよう、消毒液は控えました。切除は危険と聞きますし、硝酸銀液の持ち合わせもなく」



 カルテを記入していた医師が、手を止めた。慌てた顔を翡翠の膝に近付けた彼が、気まずそうに笑った。



「お恥ずかしい……見落としてしまうところでしたよ。わたしも歳ですかな。お姉さんはお若いですね。同業さん?」


「いいえ。彼女が自分で傷を見るのを怖がるので、今朝も私が確かめただけで……偶然です」


「偶然では気付けませんよ。とは言え、専門職の方でしょう?色んな患者さんを見てきましたから、だいたい分かりますよ。どうです、今からでも手を広げられては」


「出来ることならそうしたいです。医療に携わっていたら、自分の病気も対処出来たかも知れませんから。あの、先生は、この注射剤をご存知ありませんか?」



 シェリーは、モモカに空中ディスプレイを開かせた。例の注射剤に関するデータを、医師の前に投影する。製造地を見る限り、東部にも残っている可能性はある。医療関係者なら記録くらいは見ているはずだ。


 医師が顔つきを変えた。だが彼は、シェリー達の望む答えを持ち合わせていなかった。


 診察室を出ると、翡翠が涙を溜めていた。医者にかかるのが怖かったらしい。もっとも、会計が済む頃には立ち直っていて、彼女はすれ違うスタッフや配達員、年輩の患者達を呼び止めては、シェリーのために聴き込み調査を続けてくれた。



「このー……注射剤ですかー……はいはい、ほぉ、あなたがたも探されている?」


「すぐに必要なんです、ご存じなら、一つだけ手配お願いします」


「参ったなぁ。今は製造していないんですよ。僕も数名の患者さんを診てきましたし、手は尽くしましたよ。ですがどこの製造所も原料が……」


「翡翠、行こう。……お時間取らせてすみません。有り難うございました」



 シェリーは翡翠の腕を引いて、若い医師に一礼してその場を離れた。


 二十人近くに当たっても、手ごたえは同じだ。そうしてこれといった収穫も得られないまま、一同は東の村外れに戻った。


* * * * * * *


 翡翠が寝室に入ったあと、シェリーはモモカと食料庫の整理を始めた。


 昼間の野戦病院で、食料も取引の対価になると分かった。今後のために選別しておくことにしたのだ。



「診察一回に、缶詰一箱……昔の初診料からすれば、ものすごい値上がりだったわ」


「むしろ値下がりしていたのです。周りの患者さん達は、おむすびや野菜、一つか二つだったです」


「翡翠とあんなに苦労して、段ボール運んだのにっ?」



 傷んだ保存食も見付かる中、モモカが戦時中に集めていたというレーションなどは、状態がいい。


 そのモモカが、深いため息をついた。



「騙されたのです。稼ぎの良さそうなシェリーと、身なりのいい翡翠。魔の差す人は、差すのです」


「翡翠はともかく、私は貯金も無効になって、無一文みたいなものなのだけど」



 そうこうする内、残せる食料と廃棄分、シェリー達の目の前に、二つの山が完成した。



 ダダダダダダダ──…



「シェリー!」



 突然、勢い良く扉が開いた。


 今の活発な足音は、寝室から駆けてきた翡翠だったらしい。




「翡翠、また転ぶわよ」


「シェリー、明日、北の村へ行こう!友達から通信があって、彼、薬剤師の友達がいるの!その人が、野戦病院で私達を見かけたって……!」



 それから翡翠が説明を始めた。


 彼女と幼少期から繋がりのある友人に、件の薬剤師を始め、薬科学科の卒業生達との親交に富んだ青年がいる。早い話が、会えば協力を得られるのではないかということだ。



「分かったわ、翡翠。そのカケルさんという人が、注射剤の手がかりを見付けてくれるかも知れないのね」



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