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滅んだ過去、ねじれた未来

「モモカ。翡翠さんが物心ついた頃、戦争は自然収束したのよね?なのにロボットが人間を襲っているのは、どこかからまだ攻撃を受けているんじゃないの?」


「分からないのです。ロボットの生態は、モモカのコンピューターでも解き明かせなかったのです。バグによる暴走か、誰かが遠隔操作しているか……」


「じゃあ、村について訊くわ。翡翠さんを襲ったような人達を、警察は取り締まらないの?」


「国家機関は、とっくに解体しましたです。それをいいことに、無法地帯です。市場や福祉はありますが、恩恵を受けている人間は、ほんのひと握りです。食べていくために、多くは略奪も余儀なくされているです」…………



 シェリーは、モモカから押さえておくべき情報を引き出していた。まずはこの世界に適応する必要がある。


 目覚めた先に、待ち焦がれた未来はなかった。こんな世界に関わらなくても、どのみちシェリーはあと一ヶ月で、両親のあとを追える。


 だが、問題はモモカだ。途方もなく長い間、彼女はシェリーに尽力してくれていた。主人が自暴自棄になれば、彼女の千年はどうなるのか。



「分かった。こうなったからには何とかしていくしかない。まずは薬を見付けないと」


「シェリーはモモカを責めないのです?モモカの判断で、シェリーはお父様達と会えなくなってしまったのです。病体のまま目を覚ましたのです」


「モモカは、私が必要とした人工知能。そんなあなたの最適解は、私にとってベストだったんだわ。千年間、お疲れ様。よく今まで守ってくれた」


「シェリーさん、……」


「外の空気を吸ってくる。どんな様子か、実際に見ておきたいし」



 アイロンして壁に吊るしてあった白衣を羽織ると、シェリーはエントランスへ向かった。


* * * * * *


 扉を出ると、荒れた土地が続いていた。シェリーの知る現実とは似ても似つかない。


 本当に何も残らなかったのだと思い知る。結局、ありとあらゆる科学をもってしても、人間は無敵になれないのだ。



 科学はシェリーの生きる手段、武器だった。


 熟年の学者達も一目置く学識は、ずば抜けていた。有識者らは、シェリーを最も有望な博士と評価していた。



「太古の卑金属を原子レベルに分解すれば、数百分の一の確率で、考古学では未発見の電子、陽子数が浮き上がってくる。それこそが超古代の遺物。今とは環境が違ったんでしょう。量産出来れば、高強度の部品や機械の製作が可能になります」


「応用すれば、仮眠所のセキュリティも強化出来るでしょう。空き巣のプロもお手上げの扉や、……そうだ。シェリー先輩、人工知能の感情教育は進捗されているんですよね?その子に作動手順を覚えてもらって、侵入者を撃退する機能を何か装備してみませんか?」


「シェリー先輩がモモカと呼んでるAIっすね。彼女、覚えてくれるかなぁ。モモカちゃんは先輩に似て、頭は良くても戦闘不向きなタイプっすよ」



 研究所を持って二年経つ頃、シェリーの助手を志望する若輩者達はあとを絶えなかった。彼らと結成したチームは、国や学会の奨励支援を受けながら、急成長した。

 中でもシェリー達が特化したのは、超古代文明の科学テクノロジーの究明、実用化だ。車輪付きの仮眠所が移動基地と呼べるまでに進化したのも、実験がてら修繕を重ねた結果だ。そうして人工知能が不審者の接近を感知して対処するというシステムは、多くの住居に採用されて、卑金属の強度を指定して複製するという技術も、一定数の需要があった。


 一般社会に寄り添う科学は、シェリーに巨額の富を舞い込ませた。



「……もしもし。はい。ああ、お母さん。…──急に電話なんて、話はそれだけ?来週帰るから。…………。仕方ないでしょう、食卓が寂しいなら、今度、ハウスキーパーさんに相伴も頼んでおくから。私は手が離せないの。用があるなら今度、……ええ、また。帰るってば」



 通話を切ると、つとシェリーは視線を感じた。



「今日のところは、俺達で引き継ぎます。シェリー先輩は、家族サービス……もといご両親を安心させて差し上げてきて下さい」


「そういうわけにはいかないわ。実験が済んだら、次の論文に向けてレジュメも着手しないと。あなた達こそ帰ってないでしょう、身体を壊したら元も子もないのに」


「苦学生時代から、慣れてますんで。にしても、働きながら専門まで出たのに、独学のシェリー先輩には敵わないなんてなぁ。才能の差って、あるんすね。今月の評論も見ましたよ。彗星のごとく現れた、稀代の才能。その活躍は、後世まで人類の生活を照らす。まるで女神だ、と」


「有り難う。私の研究は、みんなの才能に支えられている。それに評価は有り難いけれど、女神というのはやめて欲しい」


「またまたー」



 シェリーの否定を謙遜とでも解釈したのか、一歳下の助手は笑った。


 だが、全ての努力、成功は、貧困を脱するためだった。シェリーにとって、世間の未来や生活などは二の次だ。


 シェリーの実家は、貧困層の中でも底辺だった。

 一日の食事がパン一つと川の水だったこともある。そんな日は、硬くなって冷えたそれを三等分して、各々更に二つに分けて、朝夕ひと欠片ずつ腹に収めた。それすら父親が頭を下げて、市場で安く譲ってもらってきたものだったのだと知れば、シェリーは食欲がないと言って、ひと切れ食べ残したそれを彼の皿に移したりもした。そうした嘘を見抜いた母親が、今度は彼女のパン端を育ち盛りの娘の皿に置く──…。


 空腹は耐えられた。シェリーが耐え難かったのは、近隣住民達が彼らに向ける白い目や、上流層の人々による心ない差別だ。


 どれだけ家が火の車でも、両親は、苦境を社会や誰かの責任にしなかった。他人を恨まず、ただただ家族を思い遣る彼ら。シェリーには、ことあるごとに娘に謝る二人を責める理由もなかった。一方で、優しい彼らをこうも追いつめた上流層には思うところがあった。


 誰も文句がつけられないくらいの地位に昇って、世間を見返す。両親を何不自由なく生活させたい。思いつめた顔で娘に謝る父と母の姿など、いつか遠い日の思い出話にするのだ。


 人間は、相手のステイタスによって態度を変える。


 幼少期から、それを嫌というほど実感してきたシェリーは、両親に何の憂慮もない暮らしをさせたいという思いを原動力に、科学の道に進んだのだった。


 十代の頃も、シェリー自身は幸せだった。貧しくても愛情に包まれていた。しかし金銭面で余裕が出来て、大きな邸宅、定期的に掃除を引き受けてくれる家事代行業者を得て、ちょっとした嗜好品まで買えるようになった両親は、シェリーがずっと見たかった笑顔を絶やさなくなった。研究所から帰れば、父親が趣味で釣った魚を、母親が色とりどりの野菜を添えて、あらゆる料理に仕上げて待っている。とりとめない冗談も交わしながら、シェリーは彼らに仕事のことを話して、彼らは娘に村で見てきた珍しいものの話などを聞かせる。


 絵に描いたように穏やかな日々が、しばらく続いた。


 だが、シェリーは幸福を維持するだけにとどまらず、更なる高みを目指した。家族のために博士の地位に就いたのに、気が付くと、随分、彼らから遠ざかっていた。


* * * * * * *


 こうまでして究めたシェリーの最後の仕事が、世間に出ることはなかった。


 治療法のない病。そして、それを待つための冷凍睡眠。


 十数年も研究所を空けることになったシェリーにとって、両親の他に、助手達の当面の生活も気がかりだった。研究データを託そうとしたシェリーに、彼らは現場復帰を待つと言って、受け取らなかった。


 かくて親孝行のチャンスを永遠になくしたシェリーは、かつての仲間も守れなかった。この先、何のために生きればいいのか。努力が何になるのだろう。


 注射剤が手に入らなかったのは、せめてもの救いだったのかも知れない。放っておけば、シェリーはそう遠くない未来に、あの世で今度こそ両親に会える。それも悪くないと思う。



 つと、風が木々を揺らすのにまぎれて、微かなどよめきがシェリーの耳に触れた。


 音の出どころを探す。


 すぐ前方の並木の向こうを、ロボットの群れが横切った。



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