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絶症の科学者は千年先の未来に目覚める


 移動基地の奥へと進むと、翡翠がこれまで見たことのなかったような光景が広がっていた。


 まるでSF映画のワンシーンだ。


 ありとあらゆる電子機器やコンピューター、いかにも先鋭的な設備が、非日常空間を作り出している。


 ここ数百年、人々は困窮している。僅かな食糧のために争う始末だ。

 そうした中、これだけのものを維持しているモモカの主人は、ただ者ではないのだろう。


 しばらく息を呑んでいた。それから翡翠は、ある一点に目を向けた時、思わず腰を抜かしかけた。



「ひッ……」



 それは、大人一人が収まるより、ひと周りはあるカプセルだ。室内ほぼ全ての機器に繋がっていて、巨大な装置や集積回路が支えている。霜のかかったガラスの小窓に目を凝らすと、そこには、二十代半ばと見られる女性が横たわっていた。



「し、し、……!!」


「死人ではないのです。冷凍睡眠、コールド・スリープはご存じです?」


「ということは、彼女が……」


「モモカを作ったご主人様、ドクターシェリーなのです」



 ようやく翡翠は納得がいった。彼女が研究職の人間なら、ここにある全ての辻褄が合う。


* * * * * * *


 名声を欲しいままにした。科学者として、シェリーは順風満歩な人生だった。努力の分だけ結果が出せた。それでいっそう、シェリーは寸暇も惜しんで仕事に打ち込んだ。両親と会話している余裕もなかった。


 二十代半ばで、不治の病が見付かった。古代言語によるAIのプログラミングをテストしていた最中だった。前触れなく意識を失くして、目が覚めると病室にいた。


 シェリーは、自分が過労と診断されるのだろうと思った。搬送先に呼び出された父親、母親の泣き顔を見て、ことの重大さを知った。



「研究室にこもりっきりで、もう何日よ。お願い、帰ってきて。私達と一緒に過ごして」


「お父さんのせいだ、親らしいことが何も出来なかったために、お前に苦労をかけていた。本当にすまない。償っても償いきれないが、せめて家族で静かな田舎へでも出かけて、少し休もう」



 シェリーは、まだ彼らが自分を愛してくれていた事実に衝撃を受けた。親を顧みず仕事に没頭していた娘など、可愛げがない。そう諦めていたから。


 貧しい家計を立て直して、親孝行したつもりでいた。その結果、彼らを貧困より深い絶望に突き落としたのだ。たった一ヶ月という最期の時を彼らのために使うだけでは、自分に注がれてきた愛情は返しきれない。


 突然の余命宣告は、シェリーがそれまでの二十数年を見つめ直すきっかけになった。本当に大切なものがこぼれ落ちていくのにも気付かず、突き進んできた人生だった。


 両親との時間を取り戻したい。そのために、もう一度、生きるチャンスに賭けた。


* * * * * * *


 …──毎日、必ずお前の顔を見に来る。お父さん達は、一日だってシェリーの親でなくなることはないからな。



 麻酔がシェリーを眠らせるまで、現場に立ち会ってくれた両親は、娘に話しかけていた。冷凍睡眠の施術を引き継いだのは、当時シェリーが信頼していた助手達だ。そしてモモカ。


 彼らの姿が、昨日のことのように思い出される。



 …──十数年なんて、あっという間よ。シェリー。かけがえのない娘を失うかも知れなかったことを思えば、お母さんは、救われるための試練だと思っている。



 それが、最後に耳にした母親の声だ。


 彼女自身が自分に言い聞かせているようでもあったそれを最後に、シェリーは深い眠りに落ちた。






 あれからどのくらい経ったのだろう。




「…──なの、…………んな、ことして……」


「…………は、あとなのです。これ以上、生命維持装置の……出来ないと判断し──……」



 ほんの一瞬眠っていただけの感覚だった。


 にわかに眠りが薄れた時、シェリーは覚えのある声を聞いた。


 モモカと、薬の手配が整い次第、生命維持装置の解除を頼んでおいた助手達か。それにしては幼い声だ。



「…──有り難うなのです、……のお陰で助かったのです。人間の手がなければ、仮死状態にしていた各臓器の再生も、カプセル内の氷結の除去も、こうは順調にいかなったのです」


「モモカちゃんの言う通り、本当にすごい研究者だったんだ。テレビで観た冷凍睡眠より、ずっとシンプルっていうか、……人間って、解凍で生気が戻るんだ。それに、綺麗──…」


「……超古代の技術を…………、それに……カプセルはただの冷凍庫ではなく、気体の設定も──…人間の感覚から、……容姿端麗とも──…」


「そうだけど、そうじゃなくて……さっきまで氷点下で保存されていたなんて、…………損傷もなくて……」



 会話は、断片的に聞き取れるだけだ。


 五体は、まだほとんど痺れている。ただ彼女達の会話から、シェリーは自分の冷凍睡眠の成功を確信した。


 だとすれば、あまりに呆気なかった。不治の病と診断された自分を救う治療薬の開発は、当時から数えて十数年後と見込まれていたが、予定が繰り上がったのだろうか。


* * * * * * *


 モモカ達の会話に耳を澄ましている内に、シェリーは再び眠りに落ちた。


 それから次に意識が戻ると、さっきより寝心地の良い場所に移されていた。彼女達の声も近い。



「…──を、支えてあげて…………は天寿を……。ですから、…──さんが、…………」


「それは、……助けてもらった恩返しはしたいけど…………」


「…………に、ここにいれば、さっきのように……。……」



 もし夢なら、いくら耳を澄ましたところで、目が覚めれば何の情報価値もないではないか。


 ふと、思い直したシェリーは、途中からほとんど彼女達の会話を聞き流していた。過度な睡眠のあと特有の倦怠感も、引きずっている。モモカの物騒な発言も、特に深く考えなかった。


 検査の麻酔薬が弱まるにつれて、ようやく、シェリーは眠っているのがもどかしくなった。



「ん……」



「シェリー!」



 ぽふ。


 寝返りを打つや、シェリーに被さっていたブランケットが、飛び乗ってきたモモカの重みを受けた。もっとも、精密機械を内蔵した彼女の身体はぬいぐるみで、大した衝撃にならない。



「モモカなのです!おはようです!」



 薄目を開けると、枕元にモモカがいた。構って欲しがるペットの仕草で、主人にすり寄る彼女。



「おは──…」



 喉の渇きが、長い眠りを証明していた。返事の代わりに、シェリーは彼女の頭を撫でた。


 彼女の肩越しにソファを覗くと、見ず知らずの少女がシェリー達に目を向けていた。


 二つに結った黒髪に、黒目がちな目が印象的な少女は、顎と膝に生傷がある。



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