「ミサ。想像してみてくれ、巨大なシロナガスクジラと小さなアリがくっ付いている姿を」
「想像出来たわ」
「そのアリが、クジラに吸収されようとしている。吸収されたアリはどこへ行ってしまうのかな」
「クジラが、この蜂蜜色の隕石を包んでいるもので、アリがあんたなの?」
「そうだ。俺が吸収されれば、隕石は包み込める。だが俺は、たぶんもう俺でいられなくなると思う」
「う、うううっ」
あずさが泣き出してしまった。
「!?」
ミサは黙り込んでしまった。
理解してくれたようだ。
「とうさん、行かないで。行っちゃ嫌だ」
あずさは小声で言った。
大声で叫ぶように言わない方が俺にはこたえた。
どうしよう。俺も行きたくねえ。
思えば、くそみたいな人生だった。
だが、あずさと出会ってからは毎日が楽しかった。
このまま、吸収されなければ、しばらくはあずさと一緒にいられる。
でも、地球は無くなる。無くなってしまえば、二人ともたいして長くは生きられないだろう。共倒れだ。
だが、地球を救えば、少なくともあずさは、天寿をまっとうできるだろう。
どっちを選択するのかは、考えるまでも無い。
でも、出来ればあずさに納得してもらって、笑顔で送り出してもらいたい。わがままなもんだ。
「あずさ、笑顔で見送ってくれないかな」
「……」
あずさは無言で首を振る。
涙が俺の方へ飛んできた。
つらいなー。あずさをこんなに悲しませるなんて。
「俺は、死ぬわけじゃ無い。帰って来られないと、決まったわけじゃ無いんだよ。帰れる可能性があるんだ」
「……」
あずさは首を振る。
こんな言葉でだませるほど、子供じゃ無いよな。
「あずさ、知っているか。とうさんがあずさに一度だけチューした事があることを」
「知ってる」
ゲロゲロ、知らないと思っていたのに知っていたのか。
「いつの日だったか、俺のひざで眠るあずさが、可愛すぎて思わず首の上の脱毛症の所にしてしまったんだ」
「私は嬉しくって、絶対忘れたくないって思ったの。その頃の私はぜんぜん可愛くなかったわ。むしろゾンビみたいで気持ち悪かったと思うけど」
「いや、俺に必死でしがみつき、すがりつくあずさが本当に可愛かった。あずさの脱毛症、そこだけ治っていないよな、何故だろう」
あずさは髪を両手で上に上げると、毛の生えていないところを、見せてくれた。
「うっわ、気持ち悪!!」
ミサが思わず口にした。
「これは!?」
俺は驚いた。
「ふふふ、私にはわかるわ、たぶん、とうさんの唇の形になっているのでしょ」
「俺の口よりだいぶ大きくなっているけど、口の形になっている」
「私の成長と共に大きくなったのかな。私はね、とうさんにキスをされて、目覚めたの。愛されている事を知って、暗い暗い闇の中から目覚めました。だから絶対忘れたくないとずっと思い続けていたの。そしたら神様が毛を生えないようにしてくれたのだと思うわ」
「俺は、完璧美少女に大きな傷をつけてしまったと、ずっと後悔していたんだけどなー」
「うふふ、私は完璧な美少女なんてのぞんでいません。とうさんだけに好きでいてもらえたらそれでいいの」
「そうかーうれしいな。……俺はあずさと出会うまで、楽しい事が何も無かった。俺の方が闇の中に生きていたのかもしれないな。でも、あずさと出会ってからは、あずさの喜ぶ顔を見る事がすごい楽しみだったな。今までで一番喜んでくれたのは、ランドセルを買った時だったな。今でも目に焼き付いているよ。それからも二人でいると楽しい事ばかりだった。貧乏だったけどな」
「うん!!」
「なーあずさ、とびっきりの笑顔が見たいな」
「無理」
「じゃあ、あずさのかわいいスライムを見せて欲しいな」
「とうさんのエッチ!」
だが、あずさは恥ずかしそうに頬を赤くして、スカートをちょびっと持ち上げて、水色のスライムの顔を少しだけのぞかせた。
普段は平気で丸出しにするくせに、こっちがドキドキするわ!
「あずさ。おかしいぞ、そのスライム」
「え、なになに」
あずさは、ガバッとスカートを持ち上げると、振り返ってスライムを見ようとした。
一生懸命スライムを見ようとしている。
君はまだまだ子供だね。
――さよならだ。あずさ
あずさの視線が俺からスライムに移った間に、俺は蜂蜜さんに吸収してもらった。
「うわーーーん!!」
薄れ行く意識の中で泣き声が聞こえる。
ミサの声だ。
いい年した女性が、子供の様に泣いている。
最期に聞こえたのがミサの泣き声かよー。がっかりだぜ。
きっとあずさは、子供の時の様に、口を押さえて泣き声を出さない様にしているのかな。
ひょっとして、久しぶりにパニックになって、暗い目がぎょろぎょろ動いているのかもしれないな。
ふふふ、最期にとびっきりの笑顔は見ておきたかったな。
元気でな。あずさ。
なんだかここち良い。
体温と同じ温度の湯につかっている様だ。
手の感覚も、足の感覚もなくなってきた。
真っ暗闇で、目から何も情報が入ってこない。
体中がぬるま湯に、溶けていく様だ。
もう、何も考える事も出来なくなってきた。