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第70話 追い詰められたモルス

 イライザはベッドから降りて、ガウンを着用し身形と整える。

 すぐさま扉の方まで駆け出し、叩くようにノックした。


 ギィっと軋む音と共にゆっくりと扉が開かれる。

 賢者の杖を持つ魔術師の姿をした初老の男が入ってきた。


「――イライザ王妃ではありませんが、こうもチョロイとは。色香に惑わされ先走りすぎましたかな? それとも暗殺稼業は部下に任せっきりで貴方自身は大した暗殺者アサシンではなさそうですね?」


 その男は、大賢者マギウス。


 ロカッタはベッドに倒れ伏せるように蹲る。

 全身を痙攣させながら、辛うじて視線だけを動かすことができていた。


「ぐっ、ふっ……何を言っている、マギウス? 貴様が首謀者なのか……これは立派な反逆だぞ……イライザを唆し、余に対してこのような真似を……許されると思っているのか!?」


 ロカッタの国王らしい台詞でも、マギウスは眉一つ動かさない。


「おとぼけにならないで頂きたい。ちなみに貴方を刺した魔法針は言葉だけ話せるように調整しております。アルタ王子のように肉体と魔力を強化されるようですが、神経を絶たれたら流石の貴方も動くことはできないでしょ?」


 マギウスは歩きだし、ベッドの下に『賢者の杖』を入れる。

 コツっと何かが引っかかり、そのまま引き抜く形で何かを取り出した。


 歪な鞘に収まり禍々しい邪気を放つ両手剣。


 ――『魔剣アンサラー』である。


「やはりな……壁に立て掛けてあるのはフェイク。万一、言及されても誤魔化せるようにするため、わざと設置したのでしょう。飄々としつつ周到で用心深い性格とは本当のようですね。貴方の情報は全てセティ君から聞いていますよ。封じられし異国の魔王……いえ古来より進化遂げたウイルスと呼ぶべきでしょうか?」


 心理戦ならマギウスも負けてはいない。

 彼も嘗て勇者パーティの一人であり、その明晰な頭脳と手腕から『大賢者』の称号を与えられたのだ。


「セティからだと? なるほど……『四柱地獄フォース・ヘルズ』を斃し、俺の正体に辿り着いたのか。では本体である『感染源』の……アトゥムにも勘づいていることだろう……フフフ」


 身体が麻痺し蹲りながらも不敵に微笑むロカッタ、いやモルス。


「何が可笑しいのです?」


「フッ……貴様は俺が詰まれたと勝ち誇っているようだが、実際に詰んでいるのは俺の方だと言うことだ! 尋問目的かは知らぬが喋れるようにしたのは浅はかだったなぁ――者共ッ、出合え! 反逆者だぁ! マギウスが余を殺そうとしているぅぅぅ! 出合えぇぇぇぇ!」


 モルスは絶叫の如く叫び、配下達に助けを求める。

 当然、声は筒抜けであり通常なら近衛兵が飛び込んでくる筈なのだが……。


 寝室はシーンとしており、一向に誰も駆けつける気配すらない。


「ど、どうした!? 何故誰も来ない!? アブノーマルのプレイだと思って変に気を遣っているのか!? んなわけねーだろ! アホなのか奴らは!?」


「……やっぱり惚けていますね、貴方は。城の者達は全員眠ってもらっています。なので、いくら呼んでも誰も来ませんよ」


「なんだと!? あれだけの人数を貴様一人でか!?」


 率直にマギウスは首を横に振るう。


「いえ、唯一の協力者である聖母メルサナ神殿の教皇レイラと神官戦士達によってです。グラーテカが神聖国である以上、象徴たる彼女達なら不審がられず王城に入ることは可能ですからね。おまけに神官戦士達は日頃から鍛えられた手練ればかり。入ってしまえば、この城内を制圧するくらい造作もないでしょ?」


「チッ。んなの知ってたよ、バーカ!」


 モルスの口調が次第にアルタみたいになっていると、嘗ての姉であるイライザは思った。


「……まぁいいでしょう。モルス、貴方がロカッタ陛下の身体を乗っ取った目的はなんですか? グラーテカで何を目論んでいるのです?」


 マギウスの問いに、モルスは奥歯を噛み締め凝視する。


「モブだとばかり思っていたが、意外な活躍を見せる大賢者様に教えてやろう――以前、アルタと契約を交わしたものでな。この神聖国グラーテカをハデスの拠点にするとなぁ!」


「つまり暗殺ギルドの本拠地にすると? その為に国を豊かにしたと言うのですか?」


「そうだ。光と闇は表裏一体だからな。闇市などがいい例だろ?」


「わざわざ孤児院を新設した理由は?」


「全ては俺の『子供達』を新たに育てるためだ。現在で最も適しているのはセティの肉体だが……万一ということもある。保険は常に掛けておくものだよ」


 つまりセティを最強の暗殺者アサシンとして育てたと同様、自分の本体こと次期『感染源』を育成するために、新しく孤児院を建造したと言っている。


「なんという大胆な計画を……それがハデスのボス、モルスという存在か」


「そ、そんなことのために夫の身体を……」


 顔を顰めるマギウスの背後で、イライザは口元を押え震えていた。


「俺の目的は最強の肉体を手に入れることと、ハデスによる裏社会の制覇だ。ちなみに、この肉体ロカッタを痩せさせたのは俺なりの配慮と善意だ。このままでは糖尿病になって数年後には死ぬところだったぞ」


「夫の健康は私が管理いたします! だから今すぐロカッタを返してください!」


「いいよ、別に」


 モルスはあっさり承諾する。


「今度は何を企んでいるのです?」


「フン――マギウス、どうせ強情を張っても貴様が《凍氷魔法》で俺を氷漬けにして封じるつもりだろ?」


「仰る通りです。随分と察しがいいですね?」


俺の・ ・セティなら、貴様にそう入れ知恵するに決まっている……だが、もう少し待ってくれ。もうじきが来る」


「奴だと?」


 バタン!


 その時、部屋の扉が乱暴に開け放たれた。


 部屋に押し入ってくる一人の男。白髪で口髭を蓄えた初老風の貴族。

 まるで屍鬼ゾンビのように、足元をふらつかせながら立ち尽くしている。


 マギウスとイライザは、その姿に驚愕した。


「ムランド!?」


 グラーテカ国を刺させる大臣であり懐刀である、ムランド公爵であった。

 確かレイラ達によって、他の近臣や兵士達と共に眠らされている筈だ。


 そのムランドは白目を向いた状態だったが、不意に眼球が動き瞳孔を露わにする。

 じぃっとマギウスとイライザを見つめ、ニヤリと微笑んだ。


「――もう知っているんだろ? 俺は同時に複数の『感染者モルス』を顕現させることができる。そうなれば《|眠り魔法《スリープ》》を無効化する術くらいは持っている」


 ムランド公爵の身体を乗っ取ったモルスが言ってきた。


「ムランド公爵まで……モルス、貴様ッ!」


「まぁその分、力が分散されることが弱点だ――」


 言い切ったと堂に床を蹴り疾走した、ムランドことモルス。

 マギウスが握りしめる『魔剣アンサラー』に手を伸ばし強引に掴み掛かった。


「大賢者とて格闘戦に向かないようだな? 半分の力でも容易いぞ!」


 言いながらモルスは強烈な膝蹴りをマギウスの腹部に浴びせ、『魔剣』を奪い取る。


「ぐふっ!」


「マギウス!?」


 蹲り悶えるマギウスに、イライザはしゃがみ込み《|回復魔法《ヒーリング》》を施し始める。


 その間モルスは手にした『魔剣アンサラー』を鞘から一瞬だけ引き抜き、刃を確認すると直ぐに鞘に収めた。


「――よし、これで完全に俺が『感染者モルス』だ」


 ムランドの肉体を得たモルスが言い切る。


 そして、


「うっ、ぐぅ……イライザちゃ~ん。ぼくぅ、痺れて動けないよぉ。お腹空いたよぉ……」


 ベッドで蹲るロカッタが呻き声を上げている。

 その口振りは、イライザが良く知る夫の言葉であった。


「ロカッタ!?」


 彼女は駆け寄り、夫の安否を気遣う。


「――安心しろ。ロカッタそいつを『保菌者キャリア』から解放した。今回は色々と楽しませてくれた特別サービスってやつだ。その代わりムランドこの身体は当分借りるぞ、それが条件だ」


 モルスは『魔剣アンサラー』を担ぎ歩き出す。

 窓を開け、ベランダの面格子に身を乗り出した。


「待てぇ、モルス! 逃げる気ですか!?」


 ダメージから回復した、マギウスが賢者の杖を掲げ威嚇する。


 モルスは振り返らず、チラッと視線だけを向けた。


「やってみろよ。貴様ら二人共とて既に感染しているかもしれんぞ。今この肉体を失えば、次のモルスは貴様になるかもしれんな、大賢者マギウス殿」


「ぐっ……貴様ッ!」


「ロカッタを生かしてやったんだ。見逃してくれよ……それに俺には、どうしても行かなければならない所がある。奴が我が『感染源』に近づいているのなら尚更な」


「奴だと? 一対どこへ行こうとしている?」


 マギウス後に、モルスは異常なほど口角を吊り上げる。


「――最愛の息子に会いに行く。それだけだ」


 モルスは飛び降りて闇夜の中へと消え去った。

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