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第35話 狡猾な王妃の過ち

 神聖国グラーテカ。

 その名の通り、大陸中から信仰される聖母メルサナ神を祀る国として栄えている大国だ。


 約一年ほど前になる、

 領土内に存在し、妖精族の王国として繁栄していた『聖なる深き森』にガルヴォロンという多頭の黒竜が住み着き災厄を齎した。


 ガルヴォロンは他のドラゴンを洗脳し操る能力を持ち、その力を持ってグラーテカと隣国ウォアナ王国を含む各周辺国を支配しようと目論んでいたようだ。

 その圧倒的な猛威により、ガルヴォロンは『魔王級』と認定され、グラーテカを中心に討伐隊として「勇者パーティ」が結成された。


 ――勇者アルタ率いる婚約者達で構成されたパーティである。


 しかし、アルタの素行を知る者達から賛否の声が別れていたのは言うまでもない。

 アルタを勇者として神託を与えた、聖母メルサナ神殿の教皇ですら国王からの依頼で渋々神託を与えたようなものだ。

 元々婚約話も同盟上や領土内での事情として、苦渋を強いられやむを得ずに愛娘らを差し出したにすぎない。


 したがってアルタがやらかした件「偽物勇者を雇っていた」件を知らされた時、婚約者達の両親は手を叩いて喜んだそうだ。

 そして娘達を咎めることなくあっさりと破棄を受け入れ、逆に国王であるアルロスに苦情を入れた経過がある。


 アルロス王は面目が潰され同時に「偽物勇者」の正体が暗殺組織一員で最高ランクの暗殺者アサシンであり、アルタが不当に解雇させたことで組織から恨みを買っていることを知り、息子を勘当させたのであった。


 確かにアルタは最低な愚か者である。そこに救いはないだろう。


 だが一概にアルタだけが悪いと言えるのか?

 言葉巧みに彼を誘導し追放に追い込み、まんまと神聖国グラーテカを手に入れた者。

 現王妃であり事実上の女王となった者。


 イライザ・フォン・ユウケイン


 元勇者アルタの実姉である。


「……イライザちゃ~ん。重鎮共がボクゥの指示に従わないよ~。どうしょう?」


 一室にて、現国王であるロタッカが泣き言をいっている。

 嘗て蛮族の王子であり貿易上の友好の証として婿養子入りを果たし、神聖国グラーテカの王族入りをした男。

 見た目は決して良いとは言えず、ぶくぶくと太った恰幅で身長も妻のイライザより半分ほどでかなり低い。

 性格は無害であるが気弱で小心者であり、決して国王に向かないことから側近達から密かに「玉の輿王」あるいは「豚王」、さらに「ミラクル・ザ・ピッグ」と呼ばれている。


 対して妻のイライザの方は評価が違っていた。

 容姿端麗であり聡明で人望も厚い。

 また陰で頼りない夫を献身的に支える姿から、身内から他国に渡り「影の女王」として認知され慕われている。


「わかりました、ロタッカ。わたくしが咎めましょう。貴方は国王として毅然と振る舞うのですよ」


「うん、わかった~。ボクゥ、おやつ食べに行く~」


 いやお前、さっきも食べていたろ……っと、イライザは思ったが口に出さず放置することにした。


 もう夫のことなどどうでも良かった。

 とっくの前に愛情など冷めている。

 否、愛情など最初っからあったのだろうか?

 ただ政略結婚でロタッカの妻となっただけのこと。


 イライザ自身、これまでに異性と恋などしたことは一度もない。

 そもそも女性として生まれた自分を不幸だと呪ってさえいた。


 原因は実の弟、アルタにある。

 弟は無能にもかかわらず男として生まれただけで正統な後継者として注目を浴び、ずっと周囲にちやほやされていた。

 父や母もアルタを溺愛し、一方の自分は政略結婚の道具としてしか見てもらえない。


 たかが性が違うだけで……憎い、なんて憎たらしいのだろう。


 わたくしが男として生まれてさえいれば……そう思い何度、血が滲むまで唇を嚙みしめたことか。


 自分が王族である以上、この負のスパイラルから抜け出すことはできない。いずれ見知らぬ他国へ嫁ぐと諦めていた。


 したがって、ロタッカを夫として迎えた時は正直ホッとしたのを今でも覚えている。

 彼は食欲以外は無欲であり、気が弱い性格もあって自分の言う事には100%従う。


 見た目などどうでもいい。寧ろ美しい容貌を誇る自分とのアンバランスな夫婦ぶりから、自国民や重鎮達には微笑ましく見えるらしい。

 どいつも単純思考で笑みが零れてしまう。所詮はアルタ同様、上辺しか見えないマヌケな者達よ。


(滑稽、実に滑稽……)


 イライザにとってロカッタは恰好の傀儡である。


 夫を立て助言し国政を操る。また側近であれば自分で赴き指示を与えることもできる。


 皆、ロカッタは軽視するが自分の言う事には従う。彼女こそが正統な王族であり、退位した国王のアルロスからもそう命じられているからだ。


(愉快、実に愉快……)


 長きに渡る雪辱を晴らし、神聖国グラーテカを思うがままとなった今、イライザは絶好調だ。


 だが決して表にしてはならない。あくまで自分は不甲斐ない夫と支える健気な王妃であり良妻を演じなければならない。

 幼い頃から良き王女、良き姉として演じ続けてきた彼女にとって世間体に対する処世術も長けており容易いことだ。


 それに夫であるロカッタ。あの贅沢を極めたような体系だ。いずれ糖尿病で死ぬかもしれない。

 別にそれならそれで構わない。その時こそ自分が「女王」として君臨すればいいだけのこと。


 もう正当な王家は自分だけなのだから……なんなら法を変えても良い。今のわたくしなら誰も反対しない筈だ。


 そう思っていた時である。



「イライザ様」


 一人の男が近づいてくる。

 煌びやかな鎧を纏った騎士。


 秀麗な顔立ちをした、二十代半ばくらいの青年である。


 名前はユウーロ・ホワイト。

 王妃の身辺警護をしている聖騎士の一人だった。


 男は、窓際で立つイライザの背後で跪く。


「ユウーロですか。何用でしょう?」


「ハッ。ムランド公爵様が政務について是非、イライザ様にご相談があると謁見をご希望されております」


「……はぁ。大臣なのですから国王に直接言えば良いものを……わかりました、まず先約がありますので、それが終わってから謁見に応じましょう」


 溜息を吐きながら内心では「だろうな」とほくそ笑む。


 無論、大臣や重鎮らの謁見など本来の王妃の役割では決してない。大抵の王妃は貴族で構成される婦人部や社交界の取りまとめ役がもっぱらである。


 しかし重鎮らは知っている。夫のロカッタ王は無能で話にならない。全ての采配は優秀なイライザ王妃が握っていると。

 だから国王を飛び越え、わざわざ王妃に謁見など申し出ているのだ。


 イライザは悠然とその場を離れようとすると、背後からふわっと優しい温もりに包まれる。

 聖騎士のユウーロが背後から抱きついてきたのだ。


「おやめなさい、ユウーロ。誰かに見られでもしたらどうするのです?」


「申し訳ございません……イライザ様。つい貴女のことが愛しくて……我慢できなくてつい」


 以前からユウーロとは身辺警護を通して男女の関係となってしまっている。

 決して恋に落ちたからではない。


 ユウーロの端正な容姿と聖騎士としての立ち振る舞いから、宮廷婦人達の間でも「イケメン」と称され人気が高かった。


 男性は夫のロカッタしか知らないイライザは、イケメンとはどんなものなのか知りたくて一度だけ情を交わしてみたが。


 雰囲気だけで特別大したことはない。

 まだ言う事を聞くロカッタの方が遥かにマシだと思った。

 少なくても夫はこのような暴走などしない。食い気以外は……。


 だがユウーロは違った。

 たった一度だけにもかかわらず、彼はすっかりイライザを心酔し夢中になっている。


 イライザとしては当に冷めており、寧ろなんとか解消したいとすら思っていた。


「されどです。わたくしを求めたいのなら、まずは聖騎士として忠義を見せてください」


「も、申し訳ございません」


 ユウーロはイライザから離れ再び跪いた。彼女は周囲を見渡し誰もいないことを確認する。


 しかし、この男にも困ったものだ。


 たった一度の過ちでいとも簡単に足元を掬われてしまう。

 男女の権利は平等と謳われても、社会的には男性側が優遇されているが今の時代。

 一夫多妻がいい例だと言える。特に王族や貴族なら尚更だ。


 いくら温厚とて夫に知られるのは流石に不味い。

 ましてや側近や世間に知られるものなら、イライザとて確実に終わるだろう。


(このままズルズルと長引かせるわけにはいきません。どうしましょうか……)


 イライザはユウーロを疎ましく感じどう対処するべきか考えていた。

 万一は「強引に……」などとと開き直るべきか。あるいは暗殺者アサシンを雇い処分するべきか。

 しかし政略は狡猾になれても、それなりの良心と倫理観を彼女は持っている。


 そこだけが唯一、アルタとの違いであった。


「王妃ッ、失礼します!」


 今度は別の聖騎士が駆けつけて来る。


「何事です?」


「そ、それが……あのアルタ王子が密かにグラーテカ領土に戻って来ているという報告が入っております!」


「なんですって! あの間抜けの阿呆が!?」


 思わぬ知らせに、イライザ王妃は口を滑らした。

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