「多分この学校エリアは、そのまんま紫原奈津子と桃瀬霞がいた学校を模してるんだと、思う」
化け物の足音が遠ざかったところで、えりいと織葉はトイレを出た。化け物が向かったのと反対方向に早歩きで向かい、階段を上へ登ることにする。
自分達がいたのは二階。この建物は恐らく四階建てか五階建てのはずだ。その道中、えりいは自分がビジョンで見た記憶と知識など、織葉が知らないであろう情報を提供することにする。
「昔はもっとたくさん生徒がいて、その名残で一年二組とかのプレートが残ったままになってるけど……実際はもう当時の時点で、小学生クラスが二つ、中学生クラスが二つ……くらいになっちゃってたみたい。それ以外はみんな空き部屋か、倉庫か、特別教室になってたって」
「まあ……三十年前とはいえ、この校舎はボロボロすぎる。当時でも、木造校舎は地方の一部にしか残っていなかっただろう。耐震構造の問題もあるし、相当老朽化も進んでたんじゃないか?」
「多分。だから、使いたくても使えない部屋もいろいろあったんじゃないかな……」
ならさっさと校舎を鉄筋コンクリートで建て替えろよ、という話なのだが。当時の村には、そこまでの予算はなかった、ということなのかもしれない。こういうのって、もっと広く県とか国からの援助を受けることはできないものなのだろうか。生憎、えりいはそのへんの知識がないのでまったく分からないところだが。
「四階には、中学生クラスが一つあったけど……それ以外の教室はほとんど使われてなかった。つまり……ドアが、たくさんあったってこと」
怪物は一体だけなのかもしれない。なんとかえりいと織葉は無事、四階に到着することに成功する。
階段は、東西に長い長方形の校舎の西と東に一個ずつある形状。トイレは各階一つずつで、自分達が登った東階段の真横にあるようだ。
まだ上に階段が続いているということは、五階、もしくは屋上に上がれるということなのだろうか。
「この四階にある全てのドアを使って、扉鬼、の遊びが行われた。最初から桃瀬霞を鬼にして、いじめっ子たちを逃げ役にして」
扉鬼のルールをおさらいしよう。
まず、“印”をつけるためのシールのようなものを用意する。特定の空間の中からたくさんのドアがあるトイレ、学校などでドアの内側に鬼が印をつけておき、印がついたドアを開けた者を次の鬼とするルール。
つまり、鬼が交代するたび、印の場所も変更される。鬼となった者は印を剥がして別のドアの内側につけなおし、次に誰かが扉を開けるまで逃げ役たちを追いかけまわさなければいけない。
最もたくさん本物の扉を見つけて開けた者が優勝となる。
逃げ役たちは鬼に捕まると身動きが取れなくなるので、鬼から逃げながら鬼が印をつけた“本物の扉”を探し回らなければいけない、というわけだ。
「黒須澪の話によると。この扉鬼を悪用して、いじめに使っていた。だから扉鬼の元となった幽霊……紫原奈津子は、この扉鬼を使った呪いを生み出してしまったんだと」
「そうだったな」
「この扉鬼のゲームは一見すると面白そうではあるんだけど……逃げ役がいつまでも逃げてばっかりで、印を探そうとしなくなってしまったら、永遠に終わらなくなってしまうゲームでもあるんだよね」
唯一奈津子の味方だった霞。彼女の存在が、どれほど奈津子にとって救いであり支えであったかは言うまでもない。
同時に正義感の強い霞もこの村のいじめに辟易し、自分の力で変えてやろうと模索していたようだった。
「奈津子ちゃんと幼い頃から仲良しで……お姉ちゃんみたいな存在だった、霞ちゃん。十五歳の彼女は正義感が強くて、見た目だけなら私にちょっと似てたかも」
「俺もそれは見た。だからえりいが引っ張られたんだろうな」
「うん。で……そんな彼女は奈津子ちゃんを助けるため、いじめっ子たちから酷い写真を取り返すために交渉を持ちかけた。それが、よく奈津子ちゃんがいじめられるために使われていた、扉鬼という遊びを用いたものだった」
対決、のあと。案の定、えりいが恐れていたことが起きたのである。
最初から霞が鬼でスタート。霞は、教室のドアの一つの内側に印のシールを貼った。そして、最初はそのシールのドアが見つからないように守りながら、子供達を追いかけていたのである。
ところが。いじめっこたちは最初から、ゲームをまともに終わらせる気がない。霞をからかい、時に石を投げるような酷い真似をしながら逃げまどうばかり。
印がついたドアを誰かが見つけなければ、鬼は交代しない。ゲームは終わらない。そして誰も印を見つけていないから、優勝者も決まらない。
陸上部に所属していた霞はそれなりに体力がある方だったが、それでも多勢に無勢。彼らを全員捕まえようと必死になって追いかけ続けたのだが――。
「あいつら、最初から“お前が扉鬼で勝ったら”じゃなくて“自分達を満足させたら”なんて条件で勝負してるんだよね。……ううん、最初から、勝負なんてまともにするつもりなかったんだと思う」
えりいはぎゅ、と拳を握りしめた。
「だから、霞ちゃんは……子供達が満足するまで遊びに付き合わないといけなかった。逃げるとか、降参なんてできなかった……何としてでも、大事な奈津子ちゃんの写真を取り返したかったから」
「それで、桃瀬霞は……」
「うん、死んだ。……疲れ果てて倒れたところで、あのガキどもは彼女をほったらかしにして家に帰ったの。奈津子ちゃんを、次の虐め場所に強引に連行した上でね。……その時間、先生たちもあまり職員室に残ってなかったし、そもそも先生達がいる職員室は二階だから……四階で何が起きてるのか、把握してなかったんだと思う。あるいは、把握しててもスルーしたかもだけど」
この時季節は、夏休みの前だった。そして、当時のこの学校にクーラーなんて気が利いたものはない。水も飲まずにひたすら走らされた霞は倒れてそのまま――熱中症になって、死んでしまったのだ。
一体どれほど奈津子が絶望し、ショックを受けたかと思うと胸が痛い。霞の頑張りが報われず、写真も戻ってこなかったから尚更に。
霞が死んだ以降のことはえりいもビジョンで見ることはできなかったが、それでも想像はつく。きっと奈津子は霞の両親からも責められて、ますます家族とともに村で孤立することになったのだろう。
恨んでも仕方ない。恨まない方が、おかしい。
ならば、奈津子の未練は。霞を救えなかったこと――霞が印をつけたドアを誰も見つけず、彼女が死んでしまったことではなかろうか。
「私の見たビジョンだと、どのドアに印をつけたかまでははっきりとわからなかったんだけ、ど……うわっ!?」
東階段の真横。試しに女子トイレのドアを開けてみたところ、中から物凄い熱風が噴き出してきた。慌ててえりいはドアを閉める。向こうに見えたのは、トイレの洗面所が、個室が、炎に包まれて燃え盛っている光景だった。
「おいえりい、慎重に開けろ!罠がたくさんあるのを忘れたのか!?」
「ご、ごめん……」
えりいは慌てて頭を下げる。まさか、あそこまで露骨にやばい罠があろうとは。入っていたら間違いなく、一瞬にして炭屑にされてしまっていたことだろう。
「よ、よく考えたら、さすがにトイレのドアはなかった、気がする」
そもそも。“本物のドア”には鍵がかかっているはずなのだ。ドアが開く時点でホンモノではないのは明白である。
「……鍵かかってないドアは全部外れなんだし、全部開けていくのも効率的じゃない?織葉」
えりいが提案すると、織葉はこめかみを押さえてまあ、と呻いた。
「……開けたらすぐ閉めろよ、いいな」
彼が危惧した通りだった。東側から順に、女子トイレ、男子トイレ、美術準備室とプレートが書かれた部屋、美術室、4-3の教室――などと開けていったが。どれもこれも、開けた途端罠だとわかるようなものばかりだったのである。中で歯車がちきちき回っていたり、底なし沼のようなものが床一面に広がっていたり、蜂の羽音がしていたり。
罠のレパートリー多すぎでしょ、とえりいが呆れ始めた時だった。6-1と書かれたプレートのついたスライドドア。そこに手をかけた時、鍵がかかった手ごたえと共に再びえりいの脳裏にビジョンが叩きつけられたのである。
今度は今までよりも黒く、濁った、ドロドロとした風景が。
***
『かみさま、かみさま、かみさまぁ……』
薄暗い神社の中。傷だらけの体で、あたしは神様にお祈りをした。
蛇の頭に、十本の手が生えた神様。村の人が邪神と呼んだ、でもあたしにとっては大事な友達である神様に、あたしはお願いしたのだ。
『あたしの命をあげます。これからあたし、学校から飛び降りて命を絶ちます。だからお願い。あたしに……あたしから霞ちゃんを奪った奴らに復讐する力をください。霞ちゃんより、あたしより、うんと苦しい死に方をさせて、地獄に突き落としてください。お願いします、お願いします……』
ぽろぽろと零れる涙。
わかっている。優しい霞はこんなこと、望むはずもないということくらいは。きっと、あたしにはおばあちゃんになってから、天国に来てほしかっただろうことくらいは。
それでもあたしは――こんな恨みと苦しみを抱えて、霞のことを忘れて大人になるなんてできないから。
『永遠の悪夢に閉じ込めて、殺してやる。霞ちゃんが、散々あの学校の中を走らされて、笑いものにされて、苦しんでいったより百万倍辛い苦しみを……!』
いじめっこたちだけじゃない。
あたし達一族をいじめて、霞を見殺しにした村の奴ら全員が憎い。いじめっこたちを死なせたら、今度は見捨てた村の奴らのうち、村の外に逃がすあたしの家族以外の全員を呪い殺してやる。
『神様、お願い。どうか、力を貸して……!』
あたしの望みは、達成された。
神様はあたしの願いを聞いてくれて、あたしが望んだ通りにいじめっ子たちを苦しめて苦しめて苦しめて殺してくれたから。
霞にもう一度会えたら、とそう願ったけれど。それは叶わぬ願いだ。あたしは地獄に行って、霞は間違いなく天国に行く。それが唯一の未練だけれど、それだけは諦めよう。
諦めて、全部が終わったのならもういいと眠りにつこう。そう思っていた。
思っていたのだけれど。
『こんにちは、紫原奈津子さん。……ねえ、あなた……本当は、世界全てが憎いのではなくて?』
あの人、が。