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第72話

 織葉とえりいが、扉鬼の世界で再会していたまさにその頃。

 大郷は白い大理石エリアに戻ってきており、そこで胡桃沢星羅の様子をうかがっていた。

 大きな本棚のようなものがいくつも並んでいる場所である。本棚の影に隠れて星羅と大貴の様子をうかがっていたところ、状況が動いていたのだった。

 奥に並んだ二つの扉のうち片方から、蓮子が姿を現したのである。どうやらここで待ち合わせをしていた、ということらしい。


――この白い大理石エリアは、空間もかなり安定している。彼女たちは、少なくともこのエリアでは待ち合わせができるくらいマッピングできている、ということでしょうか。


 彼女らの本拠地をもう一度確かめてみたい。ノートの情報が増えているかもしれない――大郷はつらつらとそんなことを思う。

 だが、それ以上に気になるのは。大きな血まみれの短剣のようなものを持った蓮子の表情が、随分と暗く沈んでいるということだ。


「相談って、なあに?」


 星羅は優しく蓮子に問いかける。


「貴女は、私達の、みんなの救済のために本当に頑張ってくれているわ。悩みがあるなら聞かせて頂戴。私にできることなら、何でもするから」

「星羅はん……」


 どうやら、彼女と大貴を呼び出したのは蓮子の方だったらしい。蓮子は青ざめた顔でしばし視線をさ迷わせた後――ぽつり、と呟いた。


「うちは……星羅はんに、ほんまに感謝しとる。彩音はんを失って、もし星羅はんに出会えなかったらうち……うち、どうしたらいいかわからんかったから。この怖い夢の中で絶望するだけ絶望して、そのまま鬼に殺されてしまってたかもしれん」

「そんな、気にしなくていいのよ。私は、一人でも多くのみんなを救いたいだけ。困っている人を見たら、ほっとけないの。特に、貴女のような若い子の助けになりたいって思っていたから……」

「それは……ほんまに、そうなんか?」


 低く、沈んだ声で。蓮子は長身の星羅を見上げた。


「うち、今日……知ってしもたん。白根翔真くん……あの子、亡くなっとたんやな。あの子が待ち合わせの場所からいなくなっとったから最初は逃げたんかと思ってたけど……そうやなかったんやな。ニュースで見るに、学校帰りに、現実で死んどる可能性が高い」

「そうみたいね。とても残念だわ」

「ほんまにそう思ってますか?このタイミングで、他殺か自殺かもわからん形であの子が死ぬってやっぱおかしなことやないですか。星羅はん、大貴はん、なんか知っとるんやないの!?」


 この流れはまずい。大郷は冷や汗をかいた。

 どうやら、蓮子は二人に疑念を抱きつつあるらしい。だが、それを彼女らに直接ぶつけるとなると――。


「何が言いたい?」


 案の定、大貴が剣呑な声を出した。


「まさか、おれ達が殺したとでも言うつもりじゃないだろうな?」

「……っ」


 大柄な成人男性に威圧されてびびらない人間はそうそういない。ただでさえ蓮子は女子高校生として見ても小柄な方だ。びくり、と肩を震わせる少女は明らかに怯えている。

 だが、彼女も覚悟した上でここに二人を呼んだはずだ。で、あるならば。


「……その証拠はないし、あんたらが関係ないって言うなら……信じたい気持ちも、ある。でも……うち、友達に聞いてしもてん。その時は反発したけどやっぱり……あの言葉が、どうしても、耳について離れんねん」


 あんな、とくしゃりと顔を歪める蓮子。


「彩音はんのことを知る友達が、言うとったんや。うちがやっとることは間違っとる、って」

「それは、貴女と彩音さんと一緒に扉鬼の世界に来たっていう女の子のことかしら」

「せや。その子を仲間に誘おうと思って話をしたんや。したら……こんな悪夢を強要するような怪異が、扉鬼が、うちらの望みを都合よく叶えてくれるはずあらへんって言うねん……」

「それは、その子に何の能力もないからじゃなくて?私は違うわ、本物の霊能力者だもの。扉鬼がちゃんと願いを叶えてくれる怪異だってこと、わかって……」

「仮にそうやとしても!……うちらが殺した人が復活できるなんて保証ほんまにあるんやろか!?もし、もし……たくさん人を殺して、その果てに彩音はんが復活できても……彩音はんはほんまにそれを喜ぶんやろかって。だって、自分のことじゃなくて、家族の幸せを考えて扉鬼に挑戦した人なんやから……」


 大郷は、黙って彼女らの話を聞き続けていた。

 蓮子が言っている“友達の女の子”はえりいのことだろう。あの時は、説得はまるで通じなかったと言っていた。むしろ殴られそうになった、と。でも。

 時間を置いて――同時に翔真の事件を知って、冷静に考えて。蓮子も、何かに気付いたということなのだろうか。自分が取り返しのつかないことをしてしまっていることを。そして、自分が助けたかった親友が本当に願っていたことがなんであるかということを。


「うち、彩音はんを……死んだ後まで、裏切りたくない。でも、彩音はんに会うのを、諦めたない気持ちもほんまで……」


 目にいっぱい涙を浮かべて、蓮子は星羅に訴えかけた。


「星羅はん!教えてください。あんさんをうち……ほんまに信じていいんですか?ほんまにあんさんは、みんなを救うつもりで、こないなこと……っが!」


 彼女の台詞は不自然に途切れた。一歩前に出た大貴が、思いっきり蓮子の胸倉を掴んだからだ。


「うぐ、ぐっ……な、なにするん……!?」


 やや首が締まっているのだろう、蓮子が苦し気に呻きながら足をばたつかせる。小柄な蓮子に対して、大貴は2メートル越えの巨漢だ。簡単にその体は持ちあがり、宙ぶらりんとなってしまう。


「おい、星羅。もういいだろう。こいつは星羅のやり方を疑っている。潮時だ。手駒としてはそれなりに優秀だったが、不確定要素をいつまでも遺しておく必要もあるまい」

「あら、気が利くじゃないの大貴。私も今、お願いしようと思っていたところよ」


 からん、と蓮子の足元に血まみれの短剣が落ちる。必死で大郷の体を蹴ろうとする蓮子を、星羅はにやにやと笑いながら見上げた。


「残念だわ、蓮子さん。貴女のこと、結構好きだったのに。黙って私たちの言う通りにしていれば、もうしばらくは生き残ることができたのにね……」

「な、なん、で、こんなっ……」

「みんなを救うため?うふふふふ、はははははははははははは、そんなの、嘘に決まってるじゃない!私はね、最初から……みんながそうやってもがき苦しみ、死んでいく様を特等席で見物したくてここにいるんだもの!」

「な、なん、やて……!?」

「そのお友達が言ってることは正しいということよ。人をこんな悪夢に閉じ込めて苦しめるような怪異が、誰かの願いを叶えてくれるなんてサービス、あるはずもないでしょお?」


 横顔でもわかる。にたああ、と笑う星羅の顔は――この世のものとは思えぬほど、醜悪な様相であることが。


「小さな頃からなの。人が痛がったり、苦しんだり、そういう顔を見るのがすっごく好きでね。その傷口から血がどくどく溢れてくるのも、苦しくて苦しくて涎垂らしてのたうち回っておしっことウンチ垂れ流しになるのも全身がびくびくとエビみたいに痙攣するのもぜーんぶ……たまらない快感なのよね。貴女にはわからないようで本当に残念。目の前で人が苦しみ抜いて死んでいく……その様を見るのは、セックスの何百倍もキモチイイ快感なのに」


 狂った声で、狂った言葉を、楽しい映画でも見たかのように溌剌と語る。

 それが、異常でなくてなんだというのか。


「人が何を望んでいるのか、何が弱みなのか、少し話せばぜーんぶわかる。だから私は、小さな頃から“そういうこと”を繰り返してきたわ。まさに、天国から地獄。その人が一番喜ぶことをしておいて地獄に突き落とした時の絶望的な表情……ああ、たまらなく素敵、素敵、素敵!今の貴女がまさにそうよ、蓮子さん。その顔、もっとよく見せて頂戴?」

「ああ、ううっ……」

「ああ、大貴、まだ殺さないで。気絶なんかさせたらつまらないしね。……冥途の土産に教えてあげましょう、実はね」


 彼女はうっとりとした顔で、蓮子に耳打ちをした。

 小さな声だったが、聴力の良い大郷が聞き取るには十分だった。そう。




「この扉鬼を、本物の鬼にしたのは……この私なの」




 蓮子の目が見開かれる。凍り付いたその顔に満足したのか、星羅は心の底から満足したような笑い声を上げた。


「元々は、小さな村で生まれた呪いだった。黒戸村っていう村で、いじめを苦にして自殺した女の子が……死んだあと怨霊となって、自分を追い詰めて殺した者達を悪夢に連れ込んで殺したの。私は占い師だけれど、霊能力者としてもホンモノだから……彼女の強い力はすぐに分かってね。村が滅んだあと、その跡地に残っていた彼女の霊に会いに行ったのよ」


 やはり、と大郷は呻く。占い師カルナ――藍田清尾らを利用して、復讐したいと願う者達に扉鬼のおまじないを広めていた占い師。同時に、恐らく地方の怨霊でしかなく、当初は村を滅ぼして終わっていたであろう紫原奈津子を、本物の“扉鬼”にしてしまった人物。


「彼女は復讐を果たして、成仏できないまでも眠りにつこうとしていた。だから私は言ってやったの。本当にそれで満足?もっともっと、世界全てに復讐してやりたくはない?貴女を見捨てたのが本当に村の人間だけだと思ってるの……って。うふふふふふ、ちょっと私がくすぐってあげれば簡単だったわ。彼女の呪いとルールを整えて、私はネットを使って扉鬼を広めた。……この素晴らしい悪夢の世界で、もっともっとたくさんの人が苦しむように!それを楽しめるように!」

「あ、あんたがっ……あんたのせいで、彩音はんは……!」

「あら、そんな言い方する権利が、貴女にあって?おまじないを信じて積極的に参加したのも、私の言うことを鵜呑みにして何人もここで人を殺したのも貴女じゃないの」

「……っ!」


 そう切り返されては、反論する術もないのだろう。悔し気に歪んだ蓮子の頬を、涙が伝っていく。


「この世界は恐ろしいところだけれど、しっかり法則を理解していればえんえんと怪物から逃げ続けることは可能。私はいつまでも、このスリリングな世界でみんなが苦しむ姿を見物することができる。……目的は、それだけ。世界が滅ぼうが、誰が死のうが、私にはどうでもいいことだわ」


 本当に、最悪だとしか言いようがない。大郷は、すり足で本棚の後ろを移動し始めた。どっちみち、この部屋に出るためには彼女等が陣取っている前を通過する他ないのだ。

 だがそれ以上に。このままでは、蓮子の命が危ない。なんとか助ける方法はないものか。彼女は確かに罪を犯したがそれはあくまで、親友を救うため。殺すことで他の人をも救えると信じていたからなのだから。


「あ、悪魔……」


 蓮子は泣きながら罵倒する。


「悪魔や……あんたらは、ほんまもんの悪魔や……!」

「そう思いたければそう思えばいい。……おれみたいに、その悪魔に殺されることを望んでいる人間もいるわけだしな」


 ふん、と大貴が鼻を鳴らす。そして、ちらりと恋人を振り返った。


「なあ、星羅。そろそろいいか?どういう殺し方を望むかはお前に任せるが、これ以上サービスしてやる必要もないだろう」

「ま、そうね。じゃあ……」


 星羅は考えた末、とんでもないことを言った。


「その子のお腹を潰して殺すっていうの、挑戦してみない?丁度ロープは持ってるから試してみましょ。ひょうたん攻めっていう拷問があってね、内臓をロープで潰してじっくり殺していくのよ。きっととっても苦しくて痛いわ。その子もいい顔で啼いてくれるはず。貴方の怪力なら一人でもロープをひっぱれそうだし」

「承知した」

「や、いやや、やめ、やめて!」


 棚に隠してあったのか、ロープを取り出してゆっくりと蓮子に近づく星羅。暴れ、泣き叫ぶ蓮子。黙って蓮子の胸倉を掴んで押さえつけている大貴。

 チャンスは今しかない。


――絶対に……そのようなこと、させない!


 大郷は意を決して、本棚の影から飛び出したのだった。


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