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第71話

「……マジ?」


 確かに、黒須澪は織葉を探している印象ではあった。だがしかしまさか、自分がなかなか会えなかった澪をあっさりと織葉が見つけてしまうなんて。

 えりいは織葉の話を聞いて、思わずぽかん、と口を開けてしまっていた。そんなえりいを見て、ぷっ、と織葉が噴き出す。


「口。おむすび型になってる」

「ひゃわっ!?」

「可愛い」

「か、か、可愛いって言わないでよ、もう!そんなことで言われても嬉しくないし!」


 ほっとしたのと恥ずかしいので、じわ、と涙が滲んでくる。思わずごまかすように瞼をごしごしと擦った。

 まさか本当に、織葉が助けに来てくれるなんて思ってもみなかった。もう絶対、自分は助からないと思ったというのに。彼との永遠の別れを覚悟していたというのに。


「織葉、うう、ううっ……」


 嬉しい、悲しい、恥ずかしい、悔しい、辛い、安心。色々な感情で、もう胸の奥から破裂してしまいそうになっている。ごしごし、ごしごし、と何度瞼をこすっても後から後から涙が溢れてきてしまう。


「ごめん、織葉……ほんと、ごめん」

「何で謝る」

「だって……わた、わた、私っ……!私が一人でなんとかできてれば、織葉を、扉鬼の世界に引っ張り込むことなかったもん……!一人でなんとかできてたら、織葉も危ない目に遭わずに済んだのに……!」


 結局、守られてばっかり。どこまでも織葉を危険に巻き込んでしまっている。あまりにも悔しくてたまらない。同時に。


「そう思うのにぃ……ううう、悔しい、悔しいよ。い、今、す、すっごく……安心してて。嬉しいって、思っちゃってて。ずっと、一人で、一人だけで頑張んなきゃいけないの、つら、つらくてええ……!」


 涙が溢れて止まらない。頭がガンガンする。嗚咽と一緒に、鼻水まで漏れてきてしまう。きっと今、世界最高に汚くて不細工な顔をしているはずだ。


「あ、ありが、と……助けにきてくれて。ごめん、ほんと……ありがとう……」

「ああ」


 織葉はもう一度、えりいの背中に手を回した。

 もう二度と、この手に触れることなどないと思っていた。もう会うことも、その笑顔を見ることも、言葉一つかわすことさえできないと思っていたのに。

 彼は今、ここにいる。命を賭けて、自分のために扉鬼の世界に入ってきてくれた。それがどれほど得難い幸福なのかは言うまでもなくて。


「ありがとう、生きていてくれて。よく頑張ったな、えりい」

「う、うううううっ……あああああああああ!」


 えりいは暫く、彼の胸に縋り付いて泣いていた。そんな場合ではないということを、わかっていながらも。




 ***




 少し落ち着いてきたところで、えりいは自分の状況を彼に話した。同時に、織葉からもさらに詳しく話を聞くことにする。

 というのも、彼がたった一晩でえりいのところまで辿り着けた事実にかなりの違和感があるからだ。

 扉鬼の世界は六つ以上のエリアに分かれている。そして、最初にどこにリスポーンするかは完全にランダムで、灰色のコンクリートエリアが恐らく最も多い。いきなり運悪く赤いエリアにダイブしちゃいました、なんてことも無いとは言い切れないが。

 そもそもえりいは、自分が今どういう危険に見舞われているのかの詳細を織葉に話していない。怪物に追いかけられていて危なそう、というのは薄々バレただろうけれども、赤いエリアにいるなんて確証はどこにもなかったはずである。仮になんらかの理由でそこに確信を持ったところで、エリアのどのへんかなんてえりい本人にもわかっていないのだ。一体どうやって自分の位置を知ったというのだろう?

 澪の力を借りてここまで来た、というところまでは聞いたけれど。


「その、黒須澪、さん?あの人に、テレポートでもさせて貰ったの?」

「ああ。赤いエリアまでは転移させてもらった。そこから先は、俺が自分の力でえりいのところまで辿り着いた。怪物と、地震をかわしながらな」

「ど、どうやって!?」


 えりいのいた部屋のドアの前にテレポートしてきました、というわけではないのか。それに、外は怪物がうようよしているというのに。


「さっきえりいに話した通り。この空間はメンタルハザードが起きている。中に入った人間のうち、霊的耐性がない者はしばらくすると幻覚や幻聴を見るようになる。えりいが見たという大量の怪物の群れと……屋敷の庭エリアで死んだ男性のアンデット。あれは、えりいの恐怖心や罪悪感が生み出した幻覚だろう」

「幻……あれが?」

「ああ」


 はっとしてえりいはもう一度ドアを見た。織葉の後ろ、彼が鍵をかけてくれてから向こう側をまったく意識していなかったのである。

 不思議なことに、あれだけ聞こえていたうめき声などが全然聞こえない。腐った臭いもしない。ドアのすぐ傍まで、少なくともあの死体は近づいてきていたはずだというのに。

 無論怪物はある程度うろついているようで、ドアの前をのし、のし、のし、と横切る音だけはする。とはいえ走っていないということは、追跡モードではなくなっているということだろうか。


「この赤いエリアは危険でありバケモノだらけになってはいるが、バケモノたちは軒並み地震に弱い。頻繁に起きる地震のたびに派手に転倒する上、そこで標的を見失う。その都度そいつらの視界から外れて先へ進むようにすれば、追跡をかわすことは不可能じゃない」


 織葉はあっさりととんでもないことを宣う。確かに、津波のように押し寄せる怪物の群れではなく怪物単体がちらほらいるだけならば、理論上かわすことも不可能ではないかもしれないが。


「その上で……俺ならば、大郷さんから貰った鈴をもっと有効活用することもできるからな」


 織葉が制服のポケットから取り出したのは、鈴。あ、とえりいは声を上げた。最近使う機会がなくてすっかり忘れていたものだ。罠を判別するために役立つし、直感が鋭くなるというのは知っていたけれど。


「俺ならば、同じエリアに鈴を持っている人間がいれば探知できる。おおよその方向がわかるくらいだけどな」

「す、すっご……」

「特に、えりいに対しては思い入れが強い自覚もある。……今日、えりいが俺に告白してくれたおかげで余計絆が強まっているとも言える。近くにいればすぐわかるだろう、という自覚があった」

「ほ、本当にそれで……」


 あれ?とえりいは首を傾げる。

 いくら方向がわかっても、ドアの鍵が開かなければ意味がないはず。どうして織葉は、えりいが閉じこもっている部屋の鍵を開けることができたのだろうか。


「鍵は、これで開けた」


 織葉は鈴を胸ポケットに戻すと、今度はズボンのポケットから小さな鍵を取り出した。掌サイズの、真っ黒な色に金色の目玉のような模様がついている不気味な鍵である。

 なんとなく澪の見た目に似ているような。


「これが、黒須澪が俺にくれたもう一つの“手助け”だ」

「この鍵で開けたの?」

「ああ。どんな鍵でも開ける、あるいは空間にある見えない“隙間”をこじ開けられる……そういう鍵だ。ただし使えるのは二度だけ。一度目は、この部屋のドアを開けるのに使った。だからもう一度は、ここから別のエリアに飛ぶのに使う」

「じゃあ……ここから脱出できるの?学校エリアにも行けるかな!?」

「……いや」


 ここから脱出はできるが、と織葉。


「学校エリアに直接飛ぶことはできない。行けるのはその隣の……青いエリアまでだ。学校エリアは、扉鬼の元となった少女の霊本体がいる場所。澪本人だけなら近づけるが、俺達人間をこの鍵で飛ばすまでは難しいらしい。少女の霊……紫原奈津子のガードがそれほどまでに堅いそうなんだ。青いエリアまで行ったら、そこから先は俺達が自分で教室エリアへの入口を探さなければいけない」


 やはり、そこまで簡単にはいかないらしい。いや、それでもこのデッドゾーンから脱出できるだけ御の字というものである。


――そんな便利な鍵があるなら、最初に会った時に渡してくれればいいのに。


 えりいは思わず不貞腐れてしまう。澪の、どこか面白がっているような笑顔が浮かんでは消えていった。ひょっとして彼は、“織葉だからこそ”鍵を渡す気になったのだろうか。澪がこの空間に呼びたかった“彼”とやらが織葉である可能性は高いのだから。


「実は、奈津子とは澪も会ったことがあるらしい」


 鍵をえりいの目の前に掲げながら言う織葉。


「扉鬼という物語を止めるよう、説得はしてみたそうだ。しかし、少女の意思はあまりにも堅かった。説得できるとしたら、彼女に年が近い子供や若者だけだろう、と。特に、女子の方がいいのではないか、と言っていた」

「そこで、強制的に滅ぼそうとはしなかったんだ……」

「彼にも思うところがあったんだろう。そして、浄霊ではなく強制的な除霊を選ばなかったのは正解だと俺も思う。その場合、この空間が完全に崩壊し、囚われている人間全ての意識が奈落に引きずり込まれる可能性もあるからな。いわば、大きくて邪魔な石を無理やりどけたら土砂崩れが起きて全部なくなってしまう、ようなものだ。もちろん、浄霊したところでそうなる可能性もゼロではないが」

「うっげ」


 それは確かに困る。えりいはべー、と舌を出した。

 だが、それで納得はした。なるほど確かに、この怪異を穏便に浄化したいならば、人間の手が必要だろう。澪本人はいつでも好きなようにこの夢から脱出できるのだろうが、自分達はそうもいかないのだから。


「この鍵を使えば、とりあえず俺達は青いエリアに行ける。ただし……」


 ちらり、と織葉が背後を振り返った。


「この鍵での移動は、いわばチートスキルを使うようなもの。ゲームでチートをしたらどうなると思う?」

「運営に、垢BANされるよね……」

「そういうことだ。俺たちは扉鬼に目をつけられ、怪物に狙われやすくなる。だから、ここから先は短期決戦になると思ってくれ」


 ぐらぐらぐら、と再び地面が揺れ始めた。えりいは慌ててベッドにしがみつく。

 短期決戦。やはりそろそろ、決着をつけなければいけない時が来ているということか。


「青いエリアに入ったら、二人でなるべく早く学校エリアを探そう。えりいが言う通り、“学校にありそうな家具や道具”が鍵になっている可能性が高い。そしてその学校のエリアには紫原奈津子の霊と……本物の扉があるはずだ。実は、本物の鍵、についても俺は目星をつけている」


 言いながら織葉はポケットからもう一つ何かを取りだした。長い紐がついたそれを、黙ってえりいの首にかける。よく見れば、赤いお守りのようなものだった。


「大郷さんにもらったんだ」


 地面が揺れる。壁に罅割れができ、真っ黒な闇がそこから覗く。この部屋も、あまり長くはもつまい。


「えりいをきっと守ってくれる。……さあ、一緒に行こう。二人ならきっと、なんとかなるさ」


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