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第66話

 返事が、ない。まるで屍のようだ。

 こっちは一世一代の告白をしたつもりだというのに、何でうんともすんとも何も言わないのか。

 えりいは恐る恐る目を開けた。すると――織葉は相変わらずそこにいたが、初めて見るような顔で完全に固まってしまっている。目をまんまるにしているだけではない。口までぽかーんとおむすび型に開けて、まるで呆けた子供のような表情になってしまっている。


「織葉?」

「……」

「あの、もしもし?」

「……」

「お・り・ば・さ・ん?もしもーし?」


 声をかけても反応がない。目の前でひらひらと手を振ったところで、ようやく織葉の首がかくん、と傾いた。


「…………えっと」


 脳みそがまるで追いついておりません。そんな顔のまま、彼が言った言葉は。


「からかっているつもりなら、やめてほしい。本気で傷つくから」

「は?殴りますよ?喧嘩売っていやがりますか?こっちはマジで勇気出して言ったんですが?は?」

「いや、その、だって……」


 なんだこのムードもへったくれもない空気は。思わずドスがきいた声を出してしまうと、織葉はへなへなと壁際に座り込んで言うのだ。


「だって、え?えりいは……俺のことは、お兄ちゃんみたいに思ってるんだろうな、と……。実際俺も、えりいの兄貴分気取ってた自覚ある、し」


 うおおおおおおおおおおおおい!と天を仰ぎたくなった。つまりあれだ。えりいが「きっと彼にとって自分は妹みたいなもんなんだろうな」と思っていたのと、まったく同じことを織葉も思っていたというわけだ。

 そりゃあ、勘違いされるような行動や言動を取っていたのはお互い様かもしれないが。だからといって、もう高校生なのにその認識は残念がすぎるではないか!いや自分もそう思っていたけれど、勘違いされても仕方ないのはわかってはいるけれども!


「……この間、織葉の双子のおねーちゃんの……夏葉さんだっけ?あの人と抱き合って時誤解したって言ったじゃん。それで私も不機嫌になったって。なんであれで気づかないのさ……」


 とっくにバレて、誤魔化されていると思っていたのに。まさか本当に気づいていなかったというのか、彼は。


「あれは、俺がえりいに隠し事をしたから怒ってるんだと思ってた」


 織葉はあっさりとのたまう。


「えりいに内緒で彼女を作った上、それがえりいが認める人間じゃなかったから嫌だったのかと。それに、兄弟とか友達同士だって嫉妬はするもんだろう?」

「そりゃ友達でも嫉妬することはあるかもしれないけど!普通あれで気づくだろー!?」

「わからない。えりいが、俺のことをそういう風に思ってくれてるなんてまったく思ってなかったし、だから諦めようとしてたのに」

「諦めようとしてたってあんた……ええ?」


 今、それっと爆弾が落ちたような。今度はえりいが固まる番だった。

 織葉は壁際で体育座りをしたまま、しょんぼりしたように地面にのの字を書き始めた。イケメンかたなしである。そのくせちょっと可愛いのが悔しい。


「どうせえりいが俺以外の人を好きになるなら、相応しい男以外近づけてなるものかと思ってたんだ。だから今年別のクラスになって、えりいの周りを見ていられなくなって残念だった。同じクラスになれますようにって祈祷までしたのに」

「したんかい!」

「去年えりいを見て“あの子ちょっといいよな”って言った男子は無言で男子トイレに連れていって圧力かけたりしたし、一緒に電車に乗った時は常に痴漢が来ないように警戒したし、えりいのお尻触ろうとした奴は触る前に足踏んずけてやったし……」

「まてまてまてまてまてまてまてまて」


 どうしよう、ツッコミがまったく追いつかない。というか、情報量が多すぎて何がなんだかさっぱりわからない。まさか、織葉がそんなことをしていたなんてどうして想像できるだろう?


「つ、つまり?」

「俺もえりいのことが好きだからだが?幼稚園の時から」

「マジ?」

「こんなことで嘘つかない」


 むっすー、と織葉は顔を上げて、幼い子供のように頬を膨らませた。


「この件が片付いたら俺から告白するつもりだったのに……悔しい」


 嘘を、ついているようには見えない。

 そもそも織葉は隠し事も嘘も極端に苦手だと知っている。


「ま、マジかあ……」


 なんだそれ、とえりいは天を仰いで――気づけば笑ってしまっていた。


「あ、はははははははは、あははははっ!あーそっか、なんだあ、なんだそれ、あはははははっ」

「そんなに笑わなくても!」

「いや、だって、ねえ?おかしいじゃん。私もほんとバカだし……ははははっ」


 最初から、嫉妬なんてする意味はなかったじゃないか。どうしてもっと早く伝えていなかったのだろう。とっくの昔に両想いだったのに。それこそもっと早く、彼氏彼女として堂々と歩くこともできたはずだというのに。


「えりいはおかしい。そもそも、高校生にもなって幼馴染だからって……好きでもない女の子と二人だけで登下校したがると思ってるのか」

「そ、それもそうか、うん。ていうか、私もそうだってば。なんで君も気づかないかなっ……」

「だから、それは、えっと……わ、笑いすぎだえりい!」

「あはははははは!そうだね、お互い様!」


 暫く、お腹を抱えて大爆笑してしまった。そして、ちょっとだけ寂しい気持ちになった。

 今日、ちゃんと想いを伝えて良かった。良かったけれど、もっと早く伝えていたらと思わずにはいられない。

 そうしたらもっともっと、二人の時間を濃密に積み上げていくこともできたかもしれないというのに。タイムリミットが迫っているかもしれない今になって、何故。


「……えりい」


 やがて。

 お尻をはたきながら織葉が立ち上がった。


「両想いだったのは、嬉しいけど。それはそれとして……どうしてだ?」

「どうしてって?」

「なんで急に、言う気になった?」


 それは、突っ込まれるかもしれないと思っていた。同時に、織葉にはやっぱり嘘なんてつけないな、とも。


「決まってる。……後悔したくなかったからだよ」


 今夜死ぬ可能性は、高い。

 今夜生き延びられても、その次はわからない。だからこそ。


「いつ死ぬかわかんないから。それでも、頑張って生き抜く力が欲しいなって思って。私、臆病だから」

「えりいは、臆病じゃない。臆病な人間は、銀座蓮子を真正面から止めようなんてしない」

「ありがと。……うん、大丈夫だよ、織葉。むしろ、おかげさまで元気が出た。私は、まだまだ戦えるよ」


 それは自分自身にも言い聞かせている言葉だった。

 強くあらねばならない。目の前のこの人を泣かせたりなんてしないためにも。




 ***




 胡桃沢星羅らの襲撃に警戒していたが、幸い、今すぐえりいを襲ってくるつもりはないようだ。

 彼女は気づいていまい。毎日えりいを迎えに行くたび、彼女を自宅まで送り届けるたび、織葉がこっそり安堵の息を吐いていることなど。


「じゃあね、織葉」

「ああ。また明日」


 マンションの中であっても心配なので、一応部屋の前まで送っていくことにしている。手を振って、彼女は部屋の中に消えるのを見届けた後――織葉は踵を返してエレベーターホールへ向かった。そのまま、早足で階段を降りていく。

 一階のホールまで降りたところで、スマホを取り出した。LINEアプリを開いて、母親あてにメッセージを打ちこむ。


『ごめん、家の近くまで来たけど忘れ物に気付いた。学校まで取りに戻ります』


 忘れ物。ないわけではない。結局えりいの絵を入れるために鞄がいっぱいになってしまって、本来持って帰る予定だった教科書の類を置いていくことになったのだから。

 とはいえ、あれは何よりも大事なえりいの絵を持って帰るためなのだから特に問題はない。そもそもえりいにははっきり言わなかったが、織葉の場合授業を聞いていれば一通り理解できるのであまり予習や復習が必要ないのだ。

 学校の課題も作文のような面倒なものでない限り、朝来てから授業が始まるまでの時間で片付けてしまえば済む。休み時間に終わらせてもいいし、なんならこっそり他の授業中に終わらせることもまあできなくはない。

 だからこれは、方便。

 否、忘れ物はあるけれど、それは学校に忘れてきたものではない。


『え、今から取りに戻るの?暗くなるけど大丈夫?』


 すぐに既読がついて返信が来た。


『大丈夫。ご飯遅くなって悪いけど、先にお風呂とか入ってて』


 嘘ついてすみません、と思いつつ。彼女に扉鬼の話をしていない以上、これはどうしようもない。

 何よりえりいの命がかかっている。四の五の構ってはいられないのだ。今日の夜までに、行動を開始しなければ。

 織葉はLINEアプリを閉じると、そのまま今度はアドレス帳を呼び出した。連絡する相手は――茜屋大郷。


「すみません、大郷さんですか?お忙しいでしょうに、申し訳ありません」


 マンションを出て、電話をしながら歩く。歩いていく先は、駅。向かうところは茜屋駅――茜屋神社。


「相談したことがあります。緊急なので、すみませんけどスケジュールを開けて頂けませんか。今から茜屋神社に直接向かいます。……そうです、俺一人です」


 えりいはなんとかはぐらかそうとしていたが、自分の目は誤魔化せない。誤魔化せるはずがない。

 一体何年彼女を傍で見てきたと思っているのか。急に絵を描いてきたこと、急に告白してきたこと。何からなにまで、あまりにも不自然だ。


「多分、今夜がもう危ない」


 ぎり、と拳を握りしめる織葉。


「えりいを助けるために、力を貸してほしいんです」


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