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第61話

『ここ一週間ばかり、青いエリアへの入口を探し続けていますが、到達できない現状にあります。それどころか、胡桃沢星羅の仲間が増えているらしく、招待者が招待者を殺す場面に遭遇することもしばしば』


 つまり、招待者と遭遇すること自体が危険になりつつあります、と大郷。


『我々に残された時間は、そう多くはないのかもしれません。……実はもう一つ、情報があります。青いエリアへ最も到達することが難しいとされる屋敷エリアで……黒須澪を目撃したという情報が入りました。彼は今、あのあたりにいるかもしれません。接触に成功すれば、力を貸してくれる可能性もあるかと思います』


 黒須澪。

 明らかにヤバイ人外なのだろうが、少なくとも扉鬼をなんとかしたいという目的は一致している。この状況下においては、唯一信頼できる味方かもしれない。少なくとも、絶対的に胡桃沢星羅に取り込まれる人間ではないだろう。


「……よし」


 その夜、えりいは灰色のコンクリートエリアで目を覚ました。自分が最初に扉鬼世界で目覚めたエリアである。灰色の廊下をまっすぐ歩き続けていたところだが、えりいは進行方向とは逆へ踵を返した。

 実は、昨日の夜に屋敷エリアからこのコンクリートエリアに移動したばかりだったのである。来た道を戻って、曲がり角突き当りのドアを抜ければ屋敷エリアへ戻れるはずだ。

 青いエリアへ到着する方法、最終的には学校エリアに到着する方法が見つかっていない以上、自分達より多くの情報を持っているであろう黒須澪に頼るのは悪い選択ではあるまい。

 勿論、彼にこちらと会う意思がなければ、あっさり別のエリアに移動して逃げられるような気がしないでもないが。


――そもそもだ。私が最初に黒須澪に出会ったのは……青のエリアだったはず。


 実は、えりいが灰色のコンクリートエリアを中心に探していた理由はそれである。灰色の通路のドアを開けたら、最終的に青いエリアに到達したのを覚えているからだ。人間、以前うまくいったことはもう一度試したくなるもの。あそこからもう一度行ける可能性があると踏んで探索を続けていたのだった。

 そして、黒須澪と出会ったのもあの青いエリア。

 他の招待者たちの様子を見ても、青いエリアそのものに到着できる人間が少ないような印象を受ける。にも拘らず、初日で自分はあの場所に到達し、しかもそこに隠れていた澪に遭遇したのだ。

 ただの強運、だなんて言うつもりはなかった。

 必ず、なんらかの理由があるはずである。つまり、澪の方から、もしくは扉鬼そのものにも自分は呼ばれていたのではないか。それはきっと、何か理由があるはずで。


――だったら。向こうが望んでくれさえすれば、きっと会える。そして……。


 もし、澪が“本当にこの空間に招きたい人間”が織葉ならば。彼もまた、えりいに接触する動機があるはずなのだ。


「よし」


 来た道を戻れば、すぐに屋敷へとつながるドアへ到達できた。一本道だったので怪物に遭遇したらどうしようかと思ったが、幸い杞憂だったらしい。あちこちが錆びた、黒い鋼鉄製のドアを開ける。来た場所がまったく別の空間に変わってしまっていたら面倒だったが、幸い今回はそのようなことはなかったらしい。

 赤いカーペット、月明かりがさしこむ窓、埃が積もった絵画。美女と野獣のお城の内装のような廊下がそこには存在している。


「よーし……」


 もう一度小さく頷くと、えりいは探索を開始した。


『怪物は、獲物を追いかけていない時はゆっくりと歩いていることが多いです。よって、接近を知る最大のヒントは音にあります。音を殺して歩くことはありません。ゆっくり、のしのし歩くような足音が聞こえたら近くにいるので、できるだけ早くどこかへ隠れるか、逃げた方が無難です』


 それは全エリア共通ですよ、と大郷は言っていた。えりいは耳に手を当ててすましてみる。少なくとも、巨人が歩くような大きな音は聞こえない。今日は庭の風が強いのか、時折風の音と窓を揺らす音が聞こえるのみである。


――屋敷エリアは、他と違って二体くらいうろうろしてるっぽいんだっけ。慎重に、慎重に進まないと。


 他のエリアと比べて広くなさそうというのもある。天井や、床下の音にも耳をすませるべきだろう。今のところ、ここが屋敷の中の一階にあたるらしい?ということくらいしかわかっていない(窓の景色からの考察だ)。

 少し歩いたところでドアを見つけた。屋敷の風景にそぐわない、学校にでもありそうなスライドドアである。学校っぽいもの、が見つかったらヒントになるかもしれないと言ったのはえりいだ。耳を押し当て、特に何も聞こえない様子なのでそっと右に引き開けてみた。


『罠も音をヒントにして探知すること。あとは、鈴を持っているでしょうから直感も研ぎ澄まされてるはずですし、困った時は勘に従ってくださいね。それと、ドアを開けた直後矢が飛んでくる、とかそういうことは基本的にないようです。あくまで、罠は部屋の中だけで完結していて、廊下に飛び出してくることはほとんどないと思われます。開けた後で、じっくり中を覗いて観察するのもありです』


 ゆっくりと開いた先、えりいは目を見開いた。部屋があると思いきや、そこも廊下だったからだ。しかもまっすぐではなく、緩やかに右側にカーブしているように見える。なんともおかしな構造だ。こちら側と違って窓がなく、壁に松明のようなものが掲げられているのみなので正直暗い。カーブしているので、廊下の先に何があるのかもわからない。


「うーん……」


 えりいはポケットのスマホのライト機能を使って、奥の方を照らしてみた。角度が悪くて、入口からでは本当に何も見えない。ここに入るべきか否か――そう思った時、微かにその音が聞こえたのだった。


 どすん、どすん、どすん。


「げ」


 まだ、かなり遠い。よく聞こえたな、と自画自賛したくなる程度には。

 それでも確かに、この通路の奥から音が聞こえる。それも、ゆっくりと近づいてきているような。


――こ、ここはナシナシナシナシ!入ったらあかん!


 えりいはすぐにスライドドアを閉めた。今の音が聞こえたのも鈴のおかげなのだろうか。

 罠はなさそうだったが、怪物に鉢合わせたら一巻の終わりである。


――このドア、ほんとに全部一つずつ確認しないといけないの?きっつ……。


 なるべく早く澪に出会えますように。そして開けた途端怪物とコンニチワとか、そういうことがありませんように。

 えりいとしては、そう祈るしかないのが実情だった。




 ***




――なにこれ。


 廊下を進み、T字路を右に折れ、見つけた階段を上ってみた矢先のことだった。

 さっきまで感じなかった妙な臭いを、鼻孔が嗅ぎ取るようになったのである。


――気持ち悪い。そうだ、この臭いは、血の。


 あの屋敷の庭で、真っ二つになった人に遭遇した時。あの時嗅いだ臭いと同じ。えりいが口元を押さえて、廊下を覗き込んだその時だった。


「!」


 誰かが、通路に座り込んでいるのが見えた。ぶつぶつぶつぶつ、と何かを呟き続けている。なんだろう、と思って一歩近づいた時。

 雲間から月が顔を出したのか、その人物の姿がはっきり見えた。長いぼさぼさの髪。紫色のロングスカートに似た色の上着。ちょっとぽっこりお腹が出た高齢の女性。彼女は不自然に体をぐらぐらと揺らして、ひたすら唱え続けている。


「こんなのおかしいあたしはなにもわるいことなんてしてないのだから、どうしてこんなことになったのかだれかおしえてころしにきたやつがわるいのよあたしはわるくないのちゃんとろくにはなしもきかなかったからころしころしころしたちがうせいとうぼうえいだわ、あたしはわるいことなんてしてないこいつらがわるいのよこどもなのにあたしをうやまうようすもみせないくてそれどころかころそうとするからそうなにもわるくないあたしはあたしはあたしあたしあたしあたしわるくないだからこんなのまちがって、そうこれはわるいゆめだからげんじつじゃないんだから」


 彼女の足元に、何かが倒れている。

 否、何かが落ちている、とでも言えばいいのか。何故ならその者達は、人間の姿を保ってはいなかったのだから。

 だってそうだろう。人間が、あんなに小さいはずがない。

 あんな肉と肉がばらばらになって、繋がっていないはずがない。

 黒い髪の毛が生えた首と胴体が別のところに落ちているはずがない。

 腕が、足が、あんなおかしなところにあるはずが。


――う、うそ、うそ……。


 それは、人間のバラバラ死体だった。

 老婆は、何人かもわからないそのバラバラ死体の前で座り込み、ぶつぶつぶつぶつと意味不明なことを呟き続けているのである。

 よく見ればその体には、ぽつりぽつりとどす黒い染みが飛び散っているではないか。それがなんなのかなど、言うまでもなく明らかで。


――殺そうとした?正当防衛?……あの転がってる人達が、おばあさんを殺そうとしたから、返り討ちにしたってこと?


 よくわからないが、嫌な予感しかしない。えりいはゆっくり後退ろうとした。そして。

 この時、気づいていなかったのだ。赤いカーペットでわかりづらかったと言えばいいか。血は、えりいがいる階段の付近までべったりと飛び散っていたのである。そう。

 濡れたカーペットを踏む、ぐちゅり、という音が――えりいの足元から。


「ひっ」


 がばり、と老婆の顔がこちらを見た。彼女は恐怖に引きつった目でえりいの方を見つめる。


「あ、あ、あ、あなたも、そ、そうなのね?」

「え」

「あなたも、ああ、あ、あたしを、こ、ころそう、と?いや、いやよ、いやいやいやしにたくない!あたしは、しにたくない!」


 彼女は何か、重そうな四角くて黄色いものを持ち上げた。それが、何故ここにあるかもわからない工具――チェーンソーだと気づいたのは、ういいいいいいいいいいん!と嫌な音を立てて歯が回転をし始めてからである。

 理解できてしまった。あの死体が、あんなにバラバラだった理由。彼女はどこかで見つけてきたその電動ノコギリの刃で、生きたまま人をバラバラにしてしまったのだ!


「しにたくない」


 一体、その細腕のどこにそんな力があったのだろう。彼女はチェーンソーを持ち上げ、えりいに襲い掛かってきた。


「しにたくないの、あたしは、あたしはあああああああああああ!」

「いやああああああああああっ!?」


 駄目だ、話が通じる状態じゃない。

 えりいは悲鳴を上げて、階段を駆け下り始めたのだった。


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