『……そうですか』
夕方。
えりいは織葉の家のリビングにいた。今日、織葉の母は仕事で遅くなるのがわかっている。オンライン会議をするにはもってのほかだったというわけだ。
織葉のパソコンに大郷の顔が映し出されている。えりいの今日の報告を聞いて、渋面を作っている。
「俺は、えりいの言葉は何も間違ってないと思う。これ以上、銀座蓮子に罪を重ねさせるべきじゃない」
えりいの隣に座る織葉が、きっぱりとそう言った。
「翔真が死んでしまった以上、話がどこから漏れたのか?で彼に疑いがかかるから……というのは気にしなくて良くなってしまったしな。ただ、えりいが堂々と敵対を表明したことで、今後は銀座蓮子……およびその後ろにいる胡桃沢星羅らも敵になることが決定したのが問題だ」
『でしょうね。今後は、現実世界で襲ってくる可能性もあるでしょう。少なくとも、既に一人殺しているわけですから』
ただ、と大郷は続ける。
『仮にえりいさんがこのままのらりくらりと銀座さんをかわし続けていても、協力すると表明しても、結局は狙われた可能性もあると思いますよ』
え、とえりいは困惑して、大郷と織葉の顔を交互に見る。織葉は驚いていない、ということは予想できていたということだろう。
「どういうこと、織葉」
「胡桃沢星羅個人の能力、だろうな」
苦虫をかみつぶしたような顔で首を横に振る織葉。
「そもそも、翔真は星羅らに離反する意志を見せていなかった。確かに最初、少し反抗的な態度を取ってしまったようだが……まだ交渉する余地があると思ったからこそ、星羅は翔真に対して脅しじみた言葉を発したはずだ」
『一晩猶予を与えて、次に会った時に答えを聞かせてくれと言っていましたしね』
「それなのに、翔真が何も答えを言っていないのに裏切者と決めつけて処刑したのは何故か。俺は、この三人の誰かが情報を漏らしたとはまったく思ってないし、状況的にも考えにくい。ならば、彼が神社に出入りするのを偶然目撃した何者かがリークしたか、胡桃沢の能力で茜屋神社への出入りを知ったと考えるのが妥当だ」
「ま、待って待って織葉。それでなんで裏切り行為ってなるの?」
わけがわからない。
神社の社務所に盗聴器でも仕掛けられていたというのならまだしも、流石に大郷の存在を認識していないであろう人間がそんなことをするとは思えない。
というか、フィクションの世界と違って、素人が簡単に盗聴器なんぞを設置できるとも思えないのだが。
「えりいには話したよな?扉鬼をなんとかするために、俺が祓ってくれる神社仏閣を探して回って、その結果茜屋神社に辿り着いたことを」
確かに、そういうことを話していたような気はするが。
『扉鬼の性質上、扉鬼のことを詳しく知る人間を増やすのは危険。そう考え、わたくしは知り合いの神社仏閣全てに協力を要請し、わたくしのところに情報を集約してくださるようにお願いしてます。万が一扉鬼について相談してくる人がいたら、わたくしの方へ回してくれるように……とも』
「あ、それで織葉が、茜屋神社に辿り着いたんでしたね」
『ええ。裏を返せば……わたくしの神社が“扉鬼を狩る総本山”であることは少し調べればわかるんです。扉鬼についてよその神社仏閣で相談すると、必ずわたくしのところに行きつきますから。……さて、ではえりいさんに質問です。扉鬼の呪いを受けている少年がわたくしのところに出入りしているとなれば、胡桃沢さん達はどう解釈するでしょう?』
「あ……あー……」
なるほど、そういうことか。
えりいはこめかみに手を当てて呻く。
「扉鬼を除霊するために、神社を頼ってるってことになるね。……扉鬼の力を使って願いを叶えようとしているなら、出口を見つける前に除霊なんて考えない。実際、紺野さんは自分が脱出するまで除霊しないでって私達に頼んできたわけだし。つまり、茜屋神社に頼った時点で自分達の提案に乗る気がない。もしくは、自分達の言葉を信じてない……って判断になるのか」
そして、さっき織葉は“偶然翔真が神社に出入りするのを目撃した人物がいて、そいつがリークした可能性もある”とは言ったが。
彼本人も、大郷も分かっているだろう。それよりも、占い師であり本物の霊能力者である胡桃沢星羅の能力と考えた方が自然だ、ということは。
「勿論、神社に相談したから即裏切者と決めつけるのは本来早計だ」
織葉が話を続ける。
「にも拘らず、連中は早々に翔真を始末した。しかも現実世界で、だ。ここから読み取れることはなんだ?」
「見せしめだって、織葉は言ってたよね」
「ああ。でも見せしめってのはつまり、“見せつける相手がいる”から意味があることなんだ。そして、夢の中での殺人より遥かにリスクがあるのは事実。いくら溺死は他殺、自殺、事故で見分けがつきにくいといってもだ。それなのに、夢の中で殺さなかった。その日の晩には翔真と会うことになっていたにもかかわらず」
「夢の中ではもう逃げられてると思ったからじゃ?」
「それもなくはないかもしれないが、もう一つ重要な意味上がると思わないか」
なんだか、名探偵のロールプレイングでもさせられているような気分だ。しかも題材が、親しくなった少年の死なのだからけして気分が良いものではない。
しかし、えりいは薄々気づいていた。織葉も大郷も、わざとえりいに考えさせようとしているのだと。――それは、考えることに、考え続けることに意味があるがゆえに。
いざという時、考え続けることができる者だけが生き残ると知っているがゆえに。
ならばこれは、感謝するべきことには違いなくて。
「……彼女達は翔真くんが、一人で自分達に逆らうとは思ってなかった。茜屋神社に頼るように入れ知恵した人物、仲間がいると確信していたってことか」
よくよく考えれば、翔真はまだ小学生。小四の子供としてみればかなり賢いように見えたとはいえ、一人で考察・行動するには限界があっただろう。他に仲間がいるに違いない、と思うのは自然な流れなのかもしれない。
その仲間へ、警告の意味をこめて翔真を殺害した。そして。
「現実世界で殺した……というのは。自分達はいざとなったら、リスクを冒してでも現実世界で人を殺すと、それくらいのことはやってのける覚悟があるから歯向かうなと……そういうこと?」
「と、俺は思ってる」
『わたくしも同じ意見です。ゆえに、当面えりいさんは学校から一人で帰るべきではありません。少し手間がかかるかもしれませんが、織葉君と一緒に、なるべく人気の多い道を通って帰るのをおすすめします』
「……なるほど。銀座さんにどうこう言われる以前に、私が茜屋神社に出入りしたのにも気づかれてる可能性が高いですもんね。そして、そういったことを簡単に能力で知ることができるのかもしれない、と」
『さすがに二人以上殺すのはリスクが高いですし、さすがにもう一度同じ手を打ってくる可能性は低いとは思いますが、低いだけでゼロではないですからね』
「……ですね」
本当に、嫌なことばかり起きる。
前向きに事態を解決しようと動いているつもりなのに、状況はどんどん悪化していく気しかしない。
よく考えれば、蓮子を怒らせてしまったのも別の意味でまずかったのかもしれなかった。彼女がもし星羅に事の真偽を問いただすようなことがあれば、今度は蓮子が粛清対象になる可能性もあるではないか。
「……そういえば」
ふと、頭に引っ掛かってきたことがあった。胡桃沢星羅のことだ。
彼女が占い師カルナと同一人物であるかどうかはまだ確定していない。が、もしそうだった場合、彼女の目的はなんなのだろう。
「胡桃沢星羅が、占い師カルナと同じ人間だったら。占い師カルナは扉鬼のおまじないの真実を偽って、困っている人達を利用して広めようとしていましたよね」
『ええ。そうでしたよね、織葉君?』
「ああ。藍田清尾が復讐のおまじないだと聞いて、占い師カルナからその話を聞き、さらに藍田清尾からいじめっ子の灰島樹利亜に話が伝わって……最終的に灰島樹利亜が爆発的にネットで広めてしまったという流れだが」
「なんか、矛盾してない?胡桃沢星羅は扉鬼に“仲間になった者が脱出する”ことで、扉鬼に巻き込まれた人間全員を救おうとしている。そのために仲間になってない人間を皆殺しにしようとしている……ってそういう名目で銀座さんたちを誘ったんだよね?つまり、最終的には扉鬼を浄化しようとしているとも受け取れるし、巻き込まれる人全員を助けようとしているとも受け取れる。でも占い師カルナは……」
そうだ。
二人が同一人物ならば、何かがおかしい。
占い師カルナは逆に多くの人に周知させることで、被害を広めようとしているようにしか見えないからだ。
いや、そもそも胡桃沢星羅本人の行動も妙ではないか?
「大郷さん。……扉鬼を解決するために、神社仏閣を頼った人って……みんな大郷さんのところに来るようにしてあるんですよね?」
『基本的には、です。が、当然ですが物理的に遠い場所に暮らしてらっしゃる方にこちらに来いというのは酷ですから、他の拠点としている神社で話を聞かせてもらうか、あるいはオンライン通話で話を聞く形にしていますね。それに、既に亡くなってしまった方も多数に及んでいますから、現在被害者で動いている人は少ないです』
「その人たちの名前は把握されてますか?胡桃沢星羅が神社に来たことは?」
『……さすがに、その名前があったら気づいてますね』
ああそういうことですか、と頷く大郷。
『胡桃沢星羅が本当に扉鬼から皆を救いたいだけなら、神社仏閣を頼らないのは妙です。自分なりの信念はあるにせよ、情報を得たいと思うのは普通ですしね。それをしないとしたら、わざわざ自分の足で訪れなくても情報を得る方法があるか、あるいは……実は、扉鬼を浄化・解決したいなんて一切思ってないか』
沈黙が落ちた。全員、嫌な想像をしてしまったからだ。
さっきは、占い師カルナと胡桃沢星羅は行動が矛盾しているし別人の可能性が高そうだと思ったのだ。
が、もし占い師カルナとしての行動の方が本質であるならば。
「ひょっとして……胡桃沢星羅は、みんなを助けるつもりなんて微塵もないんじゃ」
現状。占い師カルナが“いじめで亡くなった少女・黒戸村の紫原奈津子”の霊を利用して扉鬼を作った人間とは確定していない。
だがもし――もしカルナが本当に扉鬼を作り上げた本人で、胡桃沢星羅と同一人物であるならば。
自分で作った怨霊を、自分で消す理由は――まったく、ない。
「……世の中にはいるんだよな。人を人とも思わない、真のクズ野郎って」
織葉が吐き捨てる。
「胡桃沢がそう言う人間でないことを、切に願うね、俺は」
「織葉……」
生きた人も、霊も利用しているかもしれない女。
彼女は一体最後に、何を望むというのだろう?