目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第58話

 元々銀座蓮子という少女は、ニコニコと笑みを浮かべていることが多い。友達も多いし、かろやかに冗談交じりで、関西弁じみた言葉遣いで話すのが基本だ。だから少し胡散臭く見られることもあるのだろうが、大抵のクラスメート達は彼女に好感を持つのだと思われる。思いつめることが多かったであろう彩音もきっと、そんな蓮子の笑顔と性格に救われていたことだろう。

 しかし今、えりいははっきりと理解したのだった。

 蓮子の笑顔は、単に皆を安心させるためとか、ポジティブな気持ちを表現するためではない。――他人に対する、一種の仮面。笑うことで相手を油断させ、同時に自分の本心を悟らされないようにするための武器なのだと気づかされた。

 何故なら真っすぐに見た彼女の目は――そう目だけが、笑っていなかったのだから。

 その奥底には冷たい、憎悪に近い炎が宿っていることが見えたのだから。


「あ、あの、えっと……」


 まさか、放課後の部活の時間まで蓮子が押しかけてくるとは。彼女もテニス部の活動があるはずなのに、それをサボってまで来たというのか。

 動揺するえりいの肩を、舞がポン、と叩いた。そして。


「えっと、あんたは金沢さんのクラスメートってことであってるか?銀座蓮子さんって人?話なら、あたしも一緒に聞く。それでいいならどうぞ」

「これ、うちと金沢はんの問題やから、おかまいなく」

「あんたはおかまいなくでも、こっちはかまうの。今部活の時間だよ。あたしは部長として、部員たちを監督する責任があるわけ。たとえば、部活の時間中に、ヤンキーな生徒に絡まれて嫌な思いをしないように……とかね?」

「うちはヤンキーちゃう。そんな疑いかけられるのは心外なんやけど」

「ヤンキーだとは思ってないけど、ある意味ヤンキーよりやばい人かもしれないなーとは思ってさ。だって、目がちっとも笑ってない。親しい友達に話しかけたいって子には見えないね」

「…………」


 蓮子が笑顔を消して、舞を無言で睨みつける。が、舞はどこ吹く風とばかりに鼻で笑い飛ばしてみせた。強いわこの人、とえりいは斜め上の感想を抱いてしまう。

 実際、蓮子の様子からして、ろくな用件でないのは確かだ。二人きりで話すのは避けた方がいいかもしれない。が、だからといって余計な人を巻き込むのは申し訳ないし、向こうも何も知らない人間の前でべらべら喋りたいとは思っていないだろう。


「……隣の準備室、人いないからどうぞ?」


 やがて舞が、笑顔のままくいくい、と親指で隣の部屋をさしてみせた。


「もちろん、あたしも同席するんで、そのつもりでね」




 ***




 彼女の強引な対応は正解だったのかもしれない。

 というか、蓮子がここで“じゃあ部活が終わったあとで話そう”と言われてしまったら、えりいも回避が難しかったからだ。舞の“部長だから”という理由も使えなくなってしまう。

 同時に、美術準備室に人はいないが、隣の部屋には人がいるわけである。大きな騒ぎでも起きれば、すぐに隣から人が駆けつけてくるだろう。もっと言えば、美術準備室の隣は理科室で、今日も化学部が活動しているはずである。


「……あんさんがいたら話しづらいんやけど」


 部屋に入って早々、蓮子が渋い顔で舞に告げる。言外に“邪魔だからどっか行って”の意だろう。


「あたしも扉鬼の夢に入ってる。そう言ってもまだ話せない話なわけ?」


 先手を打ったのは舞だ。え、と一瞬思ったえりいだったがすぐに気づいた。親から扉鬼の危険度を嫌になるほど聞かされている舞が、儀式を試しているはずがない。これは、蓮子に話させるための方便だろう。


「……まあええわ。事情が分かってるなら話は通じるやろし」


 幸い、蓮子は舞の言葉を疑わなかったようだ。実際、彼女は人前で扉鬼の話をしたがらないのは、頭がおかしくなったと思われるのが嫌だというのもあるだろう。

 現状、扉鬼に関しては嘘八百だと思ってる奴、おもしろがってる奴、本気で信じてる奴と別れているはずだ(大多数がまだ知らない、のは置いておいて)。面白がってる奴や嘘八百だと思っている奴の前でこの話をすることほど馬鹿馬鹿しいこともあるまい。


「単刀直入に言うわ、金沢はん。あんた、どういうつもりなん?」

「ど、どういうつもりって?」

「すっとぼけんなや。夢の世界で合流して一緒に探索しよ言うてるのに、なんで全然会うことができひんの?あんた、ほんまに正しい現在位置を自分に教えとるんか?つか、最近は学校でもうちのこと避けてへん?」

「そ、そういうわけじゃないって!」


 流石に悟られたか、とえりいは焦る。

 ここ約一週間ほど、えりいは蓮子に“合流しよう”と言われて、それをどうにか避けて通るというのを繰り返していたのだ。例えば“白い大理石エリアにいる”時に話しかけられたら、“今は灰色のコンクリートの通路にいる”と伝えるように。

 現在地点を誤って伝えれば、そうそう夢の中で蓮子やその仲間に遭遇することはないだろう、という塩梅だ。

 まあ実際、一度危ない時もあったのだが。大理石エリアを探索していたら、星羅と思しき女性と大貴と思しき男性が連れ立って歩いているのを目撃したのである。土壇場で別の扉に入って逃げたので多分ばれずに済んだだろうが。


「夢の中の世界、通路も何もかもめっちゃくちゃなんだよ?同じ雰囲気の場所にいたって、近くにいるとは限らないでしょ。灰色のコンクリートのエリアとか、結構広そうなかんじだし、他のエリアだって……!居場所を大体言ったところで目印があるわけでもないし、簡単に合流なんてできないよ。まだ一週間くらいなんだよ!?」


 敵対したと解釈されるのは危険だ。なんとか、ここはうまく誤魔化さなければ。


「そ、それに、私が銀座さんを避ける理由なんかある?夢の中で一人で彷徨ってるより、仲間がいる方がずっと心強いに決まってるんだから……!」

「……ふうん、そう」


 えりいの言葉に、実はなあ、と蓮子が告げる。


「うち、なかなか金沢はんと合流できひんから、心配になってしもてな。星羅はんに相談したん。どうすれば合流できるんやろか?って。そしたらうちらのリーダーである星羅はんが占ってくれてな……あんさんが、うちを避けてるかもしれん、って言うねん」

「なっ……」

「まあ、彩音はんを助けられなかった者同士、気まずいこともあるのは事実や。せやけど、合流しよって言った途端避けられるのは腑に落ちんやろ。……なーんか、理由があるんとちゃうかなあって」

「……っ」


 まずい。

 まずいまずいまずいまずいまずい。

 この流れは――非常に、まずい。


「だから……避けてなんか、ないってば……」


 声が少しだけひっくり返ってしまった。動揺したのがバレただろうか。おかしいと、そう思われただろうか。


「とりあえず、ラチあかんから……話をな、現実世界で先にしよ思てん。聞いてくれるよな?」


 有無を言わさぬ口調。震えるえりいの方を、舞が心配そうに見つめる。


「うちな、星羅はんとその恋人の大貴はんとな、計画を立ててん。みんなで幸せなろう計画や。扉鬼の世界に飲みこまれた人を、全員助けようっちゅう計画。うちも薄々思ってたんやけど、どうやら扉鬼の世界から脱出できて、しかも願い叶えて貰えんのは一人だけかもしれんって星羅はんが言うんよ」

「で、でも、そうしたら、脱出できなかった人はどうなっちゃうの?」

「多分永遠に、あの恐ろしい空間に閉じ込められてまうんちゃうかなあ。あるいは、扉鬼の空間そのものがおかしなって、もっともっとコワなってしまうのかもしれん。まずろくなことにならんのは確かやろうって。でも、抜け道があるんや。脱出した人が自分の願いと一緒に、他の人もここから出してくれますように、助けてくれますようにってお願いするんや。それで、全員助かる。今生き残ってる人も……死んだ人も」


 死んだ人。

 そう口にした途端、少しだけ彩音の瞳に寂しそうな色が過ぎった。


「うちは、彩音はんを生き返らせたい。もちろんうち自身も生き残りたいし、星羅はんたちもみんな助けたい。……なら、同じ理想を持った者同士手を取り合って、同じことをお願いすると約束するのが一番やろ?つまり……全員の願いを叶えてくれて、全員の助命を願うっちゅーことやな」


 一見すると、極めて真っ当なことを言っているように見える。

 実際、脱出した人間が全員助けてくださいとお願いして、それが叶えて貰えるなら、扉鬼の世界で生きている人も殺された人もみんな蘇ることができるのかもしれない。でも。

 それは――あの怪異が、本当に願いを叶えてくれるのならの話。それが大前提となっているのを忘れてはいけない。


「裏を返せば、人を救うつもりのない身勝手な人、仲間になってくれん人には死んでもらわなあかんねん。多分、星羅はんのように、みんなの幸せを真に考えられる人なんてごく少数やろしな。だから」


 まるで、今日の朝食は目玉焼きを食べた、とでも言うような気軽さで。


「仲間にならん人は、全員死んでもらうことにしたんや。何も問題ない。最終的にはそうやって殺した人も全員蘇ることができるんやから。……な、合理的で、正しくて、みんな幸せになれる計画やろ?」


 あっさりと言ってのけた。

 嘘だろ、と舞が茫然と呟くのが聞こえる。どうやらこの件に関しては、舞もよく知らなかったということらしい。あるいは、本当に自分達と同じ女子高校生がその考えに染まっているとは思わなかったのか。


「……私にも」


 ごくり、と唾を飲みこむえりい。


「私にも、仲間になれって……こと?」

「せや。そうすれば“お掃除”も、もう少しスムーズに済む。うちらだけじゃ手が足りんねん。もう一人協力頼んだ子がいたんやけど、その子は裏切ってしまったみたいやからなあ」


 翔真のことだ、とわかった。ぎり、とえりいは拳を握りしめる。裏切ってしまった、だから死んでも仕方ないというのか。自分の意の沿わない相手ならいくら殺してもいいというのか。

 少なくとも――少なくとも翔真は外の世界で死んだ以上、生き返る可能性が低いとわかっていながら!


「……銀座さん」


 機嫌を損ねるべきではない。従うふりをしておいた方が得策。

 それはわかっていたのに、えりいは気づけば口を開いていた。自分の中の正義が、信念と呼べる何かがこれは言うべきkとだと告げていたのだ。


「罪もない人を殺すことを、掃除、だなんて言えちゃうなんて。そんなの……」


 それが、地雷だとわかっていても。


「そんな銀座さん見て、紺野さんが喜ぶわけないよ!」


 黙っていることができなかった。きっと、彩音もそう願ったはずなのだから、と。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?