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第56話

「あ……え?」


 あまりにも突拍子もない出来事が起きると、人の脳はそれを理解できずにフリーズしてしまうものだ。雪弥もまさにそうだった。

 振り返ったら、赤茶髪が目に入った。ショートカットの女の子だなあ、ということを頭の隅で思った気がする。実際今、よく見てみれば彼女はどこかの高校の制服らしきものを着ているのだから。

 問題は、その彼女の手に銀色の剣のようなものが握られていること。

 それがさっき通り過ぎたところにあった、鎧が持っていた剣らしきものであること。

 そして、その刃が、自分の胸に深々と刺さっていること。


「……すんません」


 彼女はぐい、と刃を雪弥の胸に押し込みながら言う。


「ほんまはうちだって、こないなことしたくないんです。でも、どうしても今は必要なんや。最終的に扉を見つけるのは、うちらの仲間やないとあきまへん。みんなを救ってくれる、それをお願いしてくれる人やないとあかんのです。それから」


 ゆっくりと少女は顔を上げる。返り血が飛び散ったその顔が、ぐにゃり、と歪んだ笑みを浮かべた。


「それから……うちの、とっても大好きな人を、彩音はんを助けてくれる人やないと。せや、せや、これは正しいことなんねん。彩音はんを生き返らせるには、扉鬼の力を使って、願いを叶えるしかないねんな……!」

「き、君、は……」

「お兄さんに、恨みはないんやけど。殺したないんやけど。でも、それしかないねん。それしかないって、星羅はんが言うとったからきっと正しい、正しい、正しい。せやからうち、頑張るんです。大丈夫、お兄さんも、きっと生き返らせたる。みんな最終的に助かるから問題ないんや。せやからちょっと苦しいけど、待っててくれると嬉しいです。うち、がんばるさかい、な?……な?」


 ずるるるる。と刃が体から引き抜かれていく。異物が肉を、内臓を通過する圧迫感、不快感。痛い、というよりひたすら熱かった。なんだこれ、と雪弥は混乱する頭で思う。

 剣が完全に抜かれると同時に、噴水のように血が噴き上がった。両足に力が入らず、ふらついたと思った次の瞬間には倒れている。

 自分の体の下に、赤い海ができていくのを感じた。傷はひたすら熱いのに、全身は寒い。血が急速に抜けていっているせいだ、とどこか他人事のように思った。


――なん、で?あの子、人間、だよな?なんで、人間が……僕を?


 完全な不意打ちでは、避けられるはずもなかった。そして、説得する余地も当然なかった。

 何かを言っていたような気がするが、理解できない。全員生き返るから問題ない?この世界にそんなルールがあったというのか?

 ああ、早く、この夢から醒めなければ。そうすれば、今知ったことを記事にできる。まだこのおまじないが危ないと気づいていない人もたくさんいるし、その人達に注意喚起することも、新たに得られた有益な情報として周知することもできるのに――。


――眠い。僕、死んじゃうの、かな。


「彩音はん、うち、頑張るで!頑張るで!あははははははははっ!」


 少女の笑い声がどこか遠くで聞こえる。

 死にたくない。まだやるべきことがたくさんあるのに、何一つできないままここで終わるなんて。

 そんなことを思いながら、雪弥は自分の意識が遠ざかっていくのを感じた。できればこの闇が、朝へと続くことを最期まで祈りながら。




 ***




 うまくできた、良かった。

 蓮子はほっと胸をなでおろし、剣を振って血を飛ばした。

 目の前に倒れている人物。二十代くらいの若い男性はあまり見かけない、と星羅が言っていた。なかなかのイケメン。何か目的があって扉鬼の世界に入ってきたのかもしれない。せめて、即死させることができて本当に良かったと思う。

 そう、あくまで蓮子の目的は、星羅とともに一刻も早く本物の扉を見つけることにある。招待者を殺すのは、ライバルを減らして確率を上げるためでしかない。自分は鬼ではないのだから、恨みもなければ狂ってもいないのだから、人を苦しめて殺すような趣味などないのだ。

 屋敷の中に、鎧があることは聞いていた。剣を持っている奴や斧を持っている奴がいるので、それを奪えば十分な武器になるはずだと星羅が教えてくれたのだ。さっきの男性が、剣を持っていこうとしなくて本当に良かったと思う。思ったより重くなかったこともあり、蓮子のような小柄な女子高校生でもどうにか使うことができたのである。まあ、普段からテニス部で鍛えているというのもあるかもしれないが。


――心臓を突くには、鳩尾から突き上げるように刺すのが一番ええ。そうすれば、肋骨に邪魔されずに刺すことができる、と。……うんうん、ほんまその通りやったなあ。


 男性はもう、息をしていない。やはり、心臓を一突き、は効果的なのだと実感した。首を斬るのもきっと悪くはないのだろうが、頸動脈を切っただけではすぐに死ぬことはできないかもしれない。

 可能ならば、あまり痛い思いはさせたくないものだ。

 本当は銃でもあれば、一発で脳天を撃ち抜いて楽に殺すこともできたのだけど。


「もうちょっと、訓練せんとあかんなあ」


 ふん、ふん、と剣で素振りする蓮子。ラケットを振るのと同じだと思えば、これも気楽なものだ。


「むしろ、今のお兄さんがうちよりかなり大きかったから下から突き上げるのも簡単やったけど、もっと小さい子やと難しいし……そう言う子を楽に殺せる方法も勉強せんと。うんうん」


 頷きながら蓮子は――やや早足で、すぐそこの曲がり角へ飛び込んだ。

 気づいていたからだ。男性を刺した時に聞こえた小さな悲鳴と、衣擦れの音に。

 悲鳴は明らかに彼ではなく、若い女性、もしくは子供の者だったから。


「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいい!」


 案の定。そこには、一人の女の子が尻餅をついて座りこんでいた。彼女も制服を着ているが、スカートがやや長いし、顔立ちも幼い。多分中学生だろう。悲鳴を上げるたび、可愛らしいツインテールがふるふると揺れた。


「もっとはよ逃げれば良かったのになあ」


 ゆっくりと、蓮子は少女に近づいてくる。人が死んだところを見てしまい、すっかり腰が抜けてしまったのだろうことは明らかだった。立ち上がって逃げなければいけない状況なのは明白なのに、座り込んだまま後退りしていく。

 あまりにも弱く、小さく、臆病な獲物。

 だからこそ、“練習”の余地もあるのかもしれない。


「さっきうちがあの人を刺してる時に逃げたら、逃げ切れたかもしれんで?まあ、うちテニス部やし、足速いから、ちょっとやちょっとのスピードじゃ逃げられんへんかったとは思うけど」

「や、やだ、やめて、助けて……」


 彼女は涙でぐちゃぐちゃになった顔で、蓮子に命乞いをする。


「わ、わ、わたし、死にたくない、死にたくない!なんでこんなことするの?なんで?」

「だって、そういう作戦なんやもん」


 ああ自分って律儀。説明してあげるなんて、本当に優しいなと思う。


「あんな、うちらは“全員”がちゃんと助かるようにしたいねん。だから、“全員”を助けたいってちゃんとお願いできる人だけ仲間にしてな、それ以外の人はみんな殺そって決めたねん。でないと、自分の願いだけ叶えてバイバイする人が出るかもしれへんやろ?星羅さんがな、願いを叶えられるのは、最初に外に出た一人だけかもしれんって言うねん」

「あ、え……」

「で、自分勝手な人が外に行ってしまうと、残りの人達が願いを叶えることもできんし、この場所にずーっと閉じ込められてしまうかもしれんやろ?それは、あんまりにもあんまりな話や。うちらは、そのみーんなを助ける正義の味方になろうっちゅーわけやな。だから心配せんでええよ。一度死んでも、ちゃんとうちらの誰かがゴールして、全員生き残らせたるからなあ。大丈夫、ちょこーっと痛いだけや」

「や、やだ、やだ!」


 彼女はぶんぶんと首を横に振った。


「痛いのやだ、死ぬのやだ!わ、わたし、ネットで見たの。見ちゃったの!こ、ここで死んだら現実でも死んじゃうかもしれないって……やだやだやだ、そんなのやだ、生き返るかもなんて信じられないし、痛いのやだあああ!」

「そういう我儘いう人は、仲間にできひんわな」


 いくら中学生くらいの子供といっても、幼稚園児じゃあるまいに。何でこう、聞き分けが悪いのだろう。

 自分だって無闇に殺したくない、だから他の人のことも助けて、計画に協力できる気概を持っている人間ならば仲間にしてやってもいいと思っているのに。

 彼女は駄目だ。怯えるだけで、自分達のように勇敢に運命に立ち向かおうとしていない。彩音だってきっと、そういう足を引っ張るだけの人は仲間にしてはだめよ、と言ってくれることだろう。

 そうみんなの幸せを考えられない人は――彩音を生き残らせてくれない人は、不合格なのだ。

 だから。


「しゃーない。死んでぇな」


 一歩踏み込み、座り込んでいる彼女に胸に剣を突き立てようとした。が。


「お」


 その時、うっかり少女のスカートを踏んでしまう。ずるりと滑った表紙に、手元が狂ってしまった。剣は大幅に狙いがずれて、彼女の下腹部にずるりと潜りこんでしまう。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 血が噴き出す。少女が痛みに絶叫した。


「痛い、痛い。痛いいいいいいいいいいい!」

「あ、あー……あかんなあ。これやと、子宮とか膀胱のあたりか?肝臓も傷つけてへんやろし、これじゃ痛いだけで即死させてあげられへんかあ」


 ぶしゃあああ、と血だまりの中に、半透明の液体が流れていく。独特の臭いで、少女が失禁したことを知る。人間、痛みが強すぎるとそういうコントロールがきかなくなることがあるんだっけ、とぼんやりと思った。あるいは膀胱に傷がついたのかもしれないが。


「ごめんごめん、今、楽にしてあげるからなあ」


 もう一度剣を振りかぶる。少女はお腹をおさえて七転八倒しながらも、首をいやいやと振った。

 痛くてたまらないのに、ひょっとしたら内臓もはみ出したかもしれないのに、それでもまだ死にたくないらしい。その度胸はかえってすごいが。


「大丈夫、大丈夫。怖くない怖くない」


 なるべく優しい声を作って、蓮子は再び剣を振り下ろす。少女が激しく暴れた。


「ちゃーんと、みんな救ったる。うちら、英雄やもん。悪役やないもん。何も怖がることないねんて、なあ?」


 ぐちゅうううう、と肉が潰れる音。ぐええええ、と少女がカエルが潰れたような声を上げ、口から血を噴いた。

 難しい。さっきの男性のように心臓を貫こうとしたのに、また少し位置がずれたのか胃のあたりを貫通しただけで終わったということか。


「もう、暴れんて。手元が狂うからあ」


 そのまま、蓮子は一回、二回、三回と剣を振り下ろした。

 少女が上半身も下半身も血まみれになり、びくびくと痙攣するばかりになるまで。


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