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第54話

 方針は固まった。

 これ以上時間をかけると日が完全に落ちてしまう。さすがに、小学生の翔真をいつまでも神社に置いておくわけにはいかない、と大郷は言った。

 まあ、妥当なところだろうな、と翔真自身も思う。己が呪いを受けていることを親も認識していたなら、神社に急なお泊りをしてもお咎めはないだろうが――実際、彼等は翔真がこんなことになっているなんて微塵も知らないのだ。

 翔真も話していない。いくら扉鬼のおまじないの危険度がじわじわ広まりつつあるからといっても、オカルト的なものを信じるかどうかが別の話なのだ。信じて貰えるとしたらそれは、彼等もうっかりおまじないを試して呪われてしまった時だけだろう。


――試してみてくれ、なんて言えるわけないしなあ。……ほんと、大人って頭固くて嫌すぎるぜ。


 いろいろとやることも決まったし、互いに連絡先も交換した。青いエリアを探すという方向性も定まったし、オンライン会議という手もある。ひとまず解散、ということになった。大郷が車で送ろうかと言ってくれたが、さすがにそこまでしてもらうのは申し訳ないと断った。なんだか照れ臭かったのもあるし、見知らぬ男性と二人で一緒にいたとなると大郷があらぬ誤解をされそうだったというのもある。

 元々、翔真は一人で隣県まで遊びに行くことくらいは珍しくなかった人間だ。ここから電車に乗って帰るくらいわけないことだった。


「うわ……」


 幸い、ホームに降りるとすぐ電車が来た。この時間はまだそう混んでもいない。日が当たらない席を選んで座席に座ったところで、ふとネットニュースを見た翔真は思わず呻いていた。嫌なニュースが飛び込んできたからである。

 それは北海道の自宅アパートで、男性の変死体が見つかったというもの。

 建築現場で働く作業員の男性で、名前は黄崎浩二郎きざきこうじろう、五十八歳。異臭がする通報を聞いて管理人がドアを開けたところ、布団の上でまっぷたつになって死んでいる浩二郎を発見したという。

 そう、まっぷたつ。だが、残っていたのは上半身だけだった。大量の血がその場に飛び散っているし、何者かが下半身を持ち去ったならば血が付着しないはずがない。部屋の窓があいていたので窓から逃走したのだとしても、窓に血が一切ついていないのはおかしい。

 そして、切断された体は、鋭利な刃物で一刀両断されたというわけではなく、何か鋭い爪のようなもので引き裂かれて強引に引きちぎられたようになっていたという。警察は、クマか何かが侵入した可能性が最有力だとみて捜査を続けているらしい。


――作業員……ツナギ姿で酔っぱらって寝てたっぽいって書いてあるよなこれ。……まさか。


 えりいが言っていた。

 彼女は屋敷の庭らしきエリアで、怪物に襲われる人を見かけたと。その人は門を登って脱出しようとして怪物に捕まり、体をまっぷたつに引き裂かれてしまったのだと。

 その男性はツナギ姿で、中高年くらいの年齢だったという。多分、えりいが見かけた男性が現実でも亡くなって、死体が発見されたということだろう。

 ニュースのコメント欄では、扉鬼のせいでは、と言う人もちらほらいた。面白半分で騒いでいた人達も、段々と危ないものではないか、現実で死ぬのではないかと疑い始めている。残念ながら、疑いながらも好奇心が勝り、挑戦してしまう人が後を絶たないようだったが。


「やっぱり、死ぬんだよな……」


 はあ、と翔真はため息をついた。


「しかも、死ぬだけじゃ、すまないんだよな……」


 えりいによれば、男性は真っ二つの状態になりながらもまだ動いていて、えりいのことを襲ってきたという。体を引き裂かれる苦痛が、死んでもなお終わらない。そんな状態でえんえんと夢の中で囚われ続けるなんて、どれほど恐ろしいことだろう。

 早く、なんとかしなければいけない。

 たとえ少し、ほんの少しだけ心が迷うことがあったとしても。


『翔真、おれは決めたぞう!』


 二年生の時のことを、今でも思い出す。親友の、緋本晃ひもとこう。彼は実に男子小学生らしい、悪戯小僧で、スポーツが大好きな少年だった。その日突然ジャングルジムの上に立ち、謎ポーズを決めて言ったのだった。


『バスケ王に、俺はなる!』

『はいはいはいはいはいはいはいはい』

『おい翔真、そのつめてー反応はなんだ!おれはマジだ!』

『わかったから、そこから降りろって。叱られるぞマジで』


 遅かった。

 彼はすぐに飛んできた先生に、それはもうこっぴどく叱られた。ついでに自分まで叱られた。実に解せない。悪いのは目立つアホをやらかしていた本人だけだろうに。

 バスケットボールが大好きな少年だった。運動神経全般良かったが、特にバスケットボールが授業で行われる時はヒーローだったものである。彼にボールが渡ると、ほぼ100%シュートを決められる。小学二年生で、いくらゴールが子供用で低いとはいえ、あんなに3Pをバンバン決められる子供はそうそういなかったことだろう。

 彼がバスケを始めたきっかけは漫画だという。親もバスケ漫画が大好きで、家にあったスラムダンクと黒子のバスケを読み漁ったそうだ。


『迷ってるんだよなーおれ。流川を目指すべきか、黄瀬を目指すべきか……』

『その二人は無理だろ。モデル並のイケメンじゃなきゃなれない』

『よりによって顔面偏差値!?』

『お前がスモールフォワードやりたいのはわかるけどよりによってそこの二人かよーってかんじ』


 とはいえ、彼はシューティングガードやポイントガードのようなポジションの方が向いていたんじゃないかと思う。バスケの技術は凄いが、いかんせん体格が小柄だったからだ。内側での小競り合いで勝つのにはなかなか苦労していたと知っている。クラブでは、上級生といっしょくたのチームだったから尚更に。

 それでもいつか――晃ならばいつか本当に、海賊王ならぬバスケ王になれるんじゃないかと思っていたのである。

 スラムダンクの流川楓や、黒子のバスケの黄瀬涼太を目指さなくてもいい。

 彼だけのプレイで、彼にしかできないバスケができる選手になれる。子供なりに翔真は確信していて、ひそかに応援し続けていたのだった。

 そう、だから。


『ごめん、ちょっとしばらく学校休む』


 三年生になって、そんなLINEが来た時も、最初は風邪か何かをひいただけだと思ったのである。

 本当に、何も知らなかったからだ。彼のクラスでいじめが起きているなんてことも、それがどれほど凄惨なものであるのかも。


――いつも明るくて、ふざけてて、友達がたくさんいるようなやつだった。……あんな目に遭っていいやつじゃなかったのに。


 最終的に彼から聞けたのは、“女王様が怖い”“転校しても写真バラまかれるかもしれない”とのことだった。女の子と二人、全裸にされてトイレで恥ずかしい写真を撮られたという。恥ずかしいだけじゃない、あれを見たらどんな誤解をされるかわかったものじゃない、人生おしまいだ――そんなことを言っていた。まだ、小学校三年生の子供が、だ。

 翔真は憎んだ。そのようないじめをして、何のお咎めもなしにのうのうと転校していった少女のことを。そして、何もできなかった自分自身を。

 もし時間が巻き戻るなら、あの女を殺してでも全てを終わらせてやるのにと、何度そう思ったかしれない。もちろんそんなことをしたって、晃は喜ばないかもしれないけれど。


――願いが叶うかもって、ちょっと思っちゃったんだよな。


 スマホから顔を上げて、翔真は深く息を吐いた。


――でも、もし扉鬼が真っ当なおまじないで、本当に願いを叶えて貰えるんだとして。俺は何を、どう願えば良かったんだろう。


 晃がいじめられないようにしてくれ、だろうか。いや、彼だけ救われても彼のクラスが救われない。

 では、彼のクラスを女王様がいじめないようにしてくれ、だろうか。いや、別の場所で知らない誰かをいじめるのなら本末転倒だ。

 そう、一番確実なのは――あの女をこの世から消してくれ、と願うことではないか。そう思い至って、背筋がぞっと泡立った。人の死を願う。存在を、産まれてきたことそのものを否定する。なんて恐ろしいのだろうか。


『次はー、西明野原にしあけのはら。西明野原ー』

「あ」


 いけない、ここで降りなければ。慌ててスマホをしまって、翔真は座席から立ち上がった。

 自分の家に帰るためには、ここで乗り換えなければいけない。が、少し面倒なのは、JR線と北部都市線ほくぶとしせんの駅が少し離れているということである。

 ホームに降り立ち、少し駆け足で西口改札へ向かう。昔はSuicaがなかったので、いちいち別路線の切符を買わなければいけなかったと聞いている。そう思えば、時間のロスも少ないし、便利な世の中になったと言えるだろう。

 ただ、JRの西明野原から、北部都市線の新西明野原しんにしあけのはら駅の間は徒歩十分かかる。よく使う駅だが、利用するたびに“なんでくっつけて作らなかったんだよ”とつっこみたくなってしまうのが本心だった。


「急げ急げー」


 乗換案内で一応調べてから乗っている。次の電車が来るまで十三分、結構ギリギリだ。やや早足で、人気が少ない線路沿いの道を歩いていた時だった。


「はい、ちょっとストップねー。白根翔真くん」

「え、うわっ!?」


 突然、曲がり角から出てきた人にぶつかったのである。思わず尻餅をついてしまう翔真。一体なんだろう、と頭をさすりながら顔を上げる。今、しらねしょうま――と自分の名前を言われたような。気のせいだろうか。


「一体、誰です、か……」


 そう尋ねかけたところで、凍り付いた。見上げた視線の先、思いもよらない人物が立っていいたがために。

 そう、化粧の濃い女性と大柄な男性の、二人組。

 見覚えがある、彼等の名は。


「なんで私達がここにいるのか……そう思ってるでしょう?ふふふふ、ごめんなさいね。私、これでも占い師ってやつなの。それも結構ガチなやつ、のね?」


 彼女――胡桃沢星羅は、隣に立つ男性、橙山大貴の肩を叩きながら言った。


――な、なんで?


 ここは、現実世界。夢の中ではない。

 どうして彼女達が現実で自分に接触してくるのだろう。確かに白根翔真と言う名前は言ってしまったし、小学生であることもバレている。居所や使う路線などを調べる方法もあるのかもしれないが。


「お前、馬鹿だな」


 大貴が呆れた声で言う。


「おれ達は、今夜まで待ってやると言ったのに」

「な、なにが」

「その前に裏切るなんて、本当に馬鹿なガキだ」


 何が何だか、さっぱりわからない。困惑する翔真に、星羅が畳みかける。


「ごめんなさいね。……いろいろ考えたけど、見せしめは必要ってことになったのよ。一人くらいならまあ、現実で消してもすぐばれそうにないし。貴方は護衛もついていないし?最近続いている怪死事件の一つだと思ってもらえたら儲けものだしねえ」


 ああ、こんなことなら大郷に送って貰うように頼めば良かった。そんな後悔をしても時すでに遅し。

 迫ってくる大貴の手を茫然と見つめながら、翔真はそう思ったのだった。


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