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第49話

 どうやら大郷は早々に動いたらしい。

 翔真が今日は学校を休むと言ったので、すぐに彼の家の近くまで迎えに行き、そのまま茜屋神社に連れてきて保護したようだ。

 今日は自分達も少し早引きして神社へ向かうことにする。こう言ってはなんだが、精神的ショックで具合を悪くして復帰したばかり、というえりいの状況は非常に都合がいい。突然体調を崩して早く帰ると言っても不自然ではないからである。

 今日学校に来たのは、正直なところ蓮子のことが気になっていたからに他ならない。彼女を説得できず、有益な情報を得るのが難しいともなればこれ以上長居は不要だろう。

 まあ、それはそれとして出席日数がちょっとやばくなるかも、という問題はあるのだけれど。なんせ、高校は留年という恐るべきものがあるのだから。


「……織葉」


 一緒に学校を休んでくれた織葉に、えりいはやや死んだ目で言ったのだった。


「私が留年しそうになったら助けてくれる?カンニングペーパー作ってくれる?」

「助けるには助けるがなんでカンニング前提なんだ、アホなのか?」

「補習とか聞くだけで眠くなるんだよ!ほら、今の私眠るだけでも致命的でしょ!?だからもういっそカンニングを……!」

「一年の一学期から諦めるとか、いくらなんでも早すぎないか。駄目に決まってるだろ」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……」


 相変わらずこの常識人め、と腐りたくなる。茜屋神社に向かう途中の道、コンビニに寄った。ペットボトルのお茶が早々になくなってしまったためだ。

 今日はいつにもまして暑い日である。真夏に比べればマシなのはわかっているが、それでもまだ体が暑さに慣れていない頃合いだ。時々コンビニ入って涼まないとやっていられない。人間の体はなんとも不都合にできているものである。


「えりい、俺が二本買うけどポカリでいいか。安い」


 ペットボトルが入った冷蔵庫の前で織葉が言う。

 どうやら二本購入すると値引きされるキャンペーンでもやっていたらしい。ポカリはえりいも好きなのでまったく異論はないが。


「……織葉って時々主婦みたいなこと言うよね。……卵が一番安いご近所のスーパーは?」

「セール時にはトオカドーだな。基本はタコヤ」

「チーズは?」

「スライスチーズを除けばタコヤ」

「ちなみにお惣菜が一番種類が多いのは」

紫苑堂しおんどう

「……そのへんが何故即答できるのか疑問で仕方ない」


 そういえばだいぶ前に織葉の家でご飯を食べさせて貰ったことがあるのを思い出した。彼の母は仕事で遅かったので、料理は織葉が作ったのだが。

 当時中学生だった彼の手料理は、一言で言ってとんでもないものだった。何故、麻婆豆腐と餃子とシューマイが同時に出てくるのか(当然どれも冷凍食品ではない)。そこらへんの主婦が裸足で逃げ出すくらいのレパートリーはあるだろう。

 彼の母はバリバリに働いているキャリアウーマンでシングルマザーだが、昔から非常に不器用だったらしいとは聞いている。小学生の時から見かねて織葉が家事を担うようになったということも。


「役に立つことは覚えておいて損はないだろう」


 ポカリを冷蔵庫から取り出しながら言う。


「特に料理は、人生で必要不可欠のスキルだ。えりいも将来一人暮らしをする可能性はあるだろう?覚えておいて損はないと思う」

「調理実習でフライパンを爆破した私にそれ言います?」

「油の量を大雑把に測ったり、あまつさえ油と灯油を間違えたり、塩と重曹を間違えるようなことをしなければなんとかなるんじゃないかな。……今言ってて思ったんだけど、えりいの料理に関する失敗って結構天才的じゃないか?普通やらないだろ、普通」

「うっさいわい!自分でもわかってるからそれ以上言うなや!」


 店の中なので控えめに叫ぶ。


「不思議だ……えりいは絵はあんなに得意だし器用なのになんで……」


 織葉はぶつぶつ言いながらペットボトルをレジに持って行った。まったく、なんともお節介な奴である。おかげで、ポカリ買ってくれてありがとう、と言うタイミングを逃してしまったではないか。


「あ……」


 ふと、雑誌コーナーに目が行く。かつては18禁雑誌なども置かれていた頃があるという棚。今はえっちな雑誌なんかはなくなっているし、ついでに言うなら立ち読みもできないように紐がかかってしまっていることがほとんどである。

 だから中身を見ることはできない。

 それでも、目に入ってしまった――女性向けの週刊誌のような雑誌の表紙。堂々と書かれている、扉鬼、の文字が。


『今若い女性の間でホンモノだと話題!おまじない“扉鬼”について徹底特集!』


――ついに、こんなところまで。


 ネットでバズれば当然、メディアの目に触れる機会はあるだろうと思っていたが。しかし、これを書いた記者は、危険度が本気でわかっていなかったということだろうか。

 えりいが沈んでいる間も、恐ろしい怪異は拡散を続けていた。時々スマホでそれを見ては震えていた時間を思い出す。雑誌で特集されるようになってしまえば、あまりネットに興味がなかった中高年の層も触れる機会が増えてしまうかもしれない。

 時間の猶予はない。それなのに、そんなことわかりきっていたのに、自分は何をやっていたのだろう。


――落ち込んでる場合でも、立ち止まってる場合でもないのに。ほんと、私は馬鹿だ。


 えりいは雑誌を手に取ると、意を決してレジへと並んだ。

 こんな雑誌に、自分が知らない新情報が載っているかはわからない。でもプロの記者が取材したのなら、可能性はゼロではないだろう。

 今は少しでも情報がほしい。

 たとえそれが、溺れた水の中で掴む藁程度のものであったとしても。




 ***




 茜屋神社に来るのは二度目になる。

 ただ今日は、入った途端空気が違うと感じていた。おかしなことだ、神社にまったく参拝者がいないわけでもなく、前に来た時と見た目の変化があるわけでもないというのに。


「……なんだろうな」


 鳥居をくぐったところで、織葉が後ろを振り返って言った。


「結界が張られている」

「え?結界?」

「前に来た時はなかったものだ。悪いものを排除するのではなく、異物に警鐘を鳴らすタイプの結界、だと思う。トラップでいうところの、鳴子のようなものだ」


 えりいも思わず鳥居を見上げていた。自分でも感じたくらいなのだから、強力な結界なのかもしれない。ただ。


「悪い者を排除するんじゃなかったら、意味なくない?」


 ストレートな疑問を口にした。昨日来た時より状況が悪化しているのは事実で、神社に警戒態勢を敷くのもわからないことではない。翔真やえりいの場合は、現実世界で誰かに襲撃される可能性もゼロではないから尚更に。

 けれどそれなら尚更、悪い者を排除する結界でなければどうしようもないような。


「いくつか理由は考えられる。まず一つ。結界を作ったのはあくまで今日の朝以降だろうってこと。……大郷さんが必要だと感じて慌てて作ったってことだろう。つまり、かなりの急場しのぎだ。堅牢な結界を作るだけの時間はなかったんじゃなかろうか」

「あー……。それに、神社広いもんね。敷地全部を囲ってるなら、余計大変か」

「そうだな。他にも理由はある。神社っていうのがそもそも、欲望を抱く人が訪れる場所だってこと」

「うん?」


 どういうこと?とえりいは眉をひそめる。神社というのは聖域で、よからぬ存在はそもそも近寄れない場所だとばかり思っていたのだが。


「お参りに来る人には、習慣や風習になってる人もいるが……強い願いを持っている人も少なくない」


 えりいの疑問を察したのだろう、織葉が解説してくれた。


「願いっていうのは、欲望でもあるんだ。良いとか悪いとかじゃない。病気の母が元気になってほしいというのも、お金持ちになりたいも、嫌いな奴に不幸になって死んでほしいも……全部願いであり、欲望なんだ。自分の力だけで叶えられない願いを、神様にお願いして叶えてもらおうとする。悪い言い方をすれば他力本願ってやつだな」

「い、言うなあ……間違ってはいないけど、きっつ」

「もちろん、己に誓いを立てるためにお参りする人もいる。自分の力で叶えてみせます、ってな。でも実際は、神様に願いを叶えて貰おうとする人は非常に多いだろう。つまり、神社は聖域ながら、欲を持つ人間を当たり前のように招き入れる場所でもあると俺は思っている。それが普通なんだ。良い言い方をするなら、神様の懐が深いとでも言うべきか」

「えーっと……」


 つまり、とえりいは頭を掻きながら告げる。


「……ひょっとして。悪いもの、をいっしょくたに弾く結界なんて張ってしまった暁には、普通の参拝客もバシバシに弾かれかねないってことで、おけ?」

「ああ」


 頷く織葉。ああそりゃだめだ、とえりいは空を仰ぐ。

 流石に神社として、ちょっとした願望を抱いているだけの人を門前払いはできないだろう。むしろ本末転倒というものである。


「加えて、俺の経験から言うなら」


 さらに織葉は、とんでもない爆弾を投下してくれた。


「本当にヤバイ怪異とか、邪神レベルのものは。人間がいくら結界を張ったところで効果なんかないぞ。普通にすり抜けるなりぶち壊すなりしてダイナミックお邪魔しますしてくる」

「うわあああ」

「今回の扉鬼なんてまさにそのレベルだろうよ。俺が自分の力で一切除霊を試みてない理由の一つはそれだしな。一般人がちょっと齧った知識程度で除霊しようとしたって効果なんかあるはずない。お札も退魔法も塩も効果ないのが透けている。ファ●リーズで除霊なんてもっての他だろう。むしろ中途半端に手を出したら怒らせて状況を悪化させるだけだ」

「うわあああああああああ」


 想像以上にヤバイものに関わってしまったわけですねわかります。えりいは頭を抱えた。

 いや、少しだけ考えたのだ、制服のスカートの塩でも入れておけば効果があるんじゃないかなーってことは。どうやら、むしろ実行しなくて大正解だったらしい。

 どんよりとした気分を抱えながら社務所へ向かうと、まるで悟っていたかのように大郷が入口の引き戸を開けてくれた。


「昨日の今日ですみません、お二人さん」


 大郷はにっこりと笑って、自分達を招きいれる。


「こちらへどうぞ。既に翔真くんは来ていますよ」


 彼の言う通りだった。中のスペース――長テーブルの前には、子供が座っていた。小柄で大きな目をした、可愛らしい顔立ちの少年が。


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