えりいがそれを尋ねた途端、蓮子の顔から表情が消えた。
「……まあ、そらそうやろ?」
すぐに、作り笑顔にとって代わられたけれど。
「だって、彩音はんはなーんも悪いことしてへん。こんなところで死んでいい人ともちゃう。何より、生きてたら必ず世界の役に立つ人やねん。こないなところで死んでしもたら、世界の損失や。間違いなく大損や!な、あんさんもそう思うやろ?」
「ま、まあね……」
確かに彼女は美人だし、優しいし、頭脳明晰だったけれど。まさか世界の損失とまで言ってのけるとは。
少しドン引きしながらも頷くえりい。
「このクラスで彩音はんと一緒になってな、最初から綺麗な子やなーとかかっこええなーとは思ってたんやけど。彩音はんのことほんまに尊敬するようになったんは、学校でのことやないねん」
蓮子は窓にもたれかかると、何かを懐かしむように目を細めた。
「近所でな、お葬式があってん。あ、うちの家とはなんも関係ないお葬式やで?駅からちょーっと離れたところに、ちょこーっと大きな葬祭場があるんやけど知っとる?フナバシとか、ヒナゲシとか……まあそんな名前の」
「あった、かも?」
「そこで、お葬式やっとってな。うち、たまたま用事あって傍通りかかってん。そしたら葬儀場から、彩音はんが出てきてなあ。苗字が彩音はんのお父さんともお母さんの旧姓とも違ったから、多分お父さんの知り合いとかそういう相手だったんちゃうかな。制服やなくて、なんか大人が着るようなブラックフォーマルちゅーの?黒いスーツスカートみたいなの着てて、それがごっつー似合とってなあ」
「あー、紺野さんなら、確かに似合いそう」
彩音の顔を脳裏で思い浮かべる。彼女は大学生と言われても通りそうなほど大人びた容姿であったし、社会人が着るようなスーツも全然着こなせるだろう。
いつもサイドテールにしているが、おだんご状に髪をまとめたりしてもきっと似合うはずだ。
「葬祭場から、小さな女の子が出てきてな。多分、死んだ人の身内とか、そういうのやったと思う。で、彩音はん、その子の手を握ってずーっと慰めてんの。大丈夫とか、心配しないでとか、そう言ってな。……頭撫でて、ずっと声かけ続けてんねん。雨降ってて傘もさしとったし、荷物も多くて大変だったっぽいのになあ」
でな、と蓮子は笑みを浮かべる。
「それ見てうち、なんかこう、びびびびびっ来てしもたん。ああこの子はほんまもんや、って。お金持ちで、美人で、賢くて、でもそれだけやない。小さな子ぉに寄り添える、優しい心の持ち主なんやて。うちは……うちはこの世界を、そういう人に引っ張ってってほしいんやって。女同士なのにおかしいけど、これ、一目惚れに近い感情なのかもしれん」
「一目惚れ、か」
「うん。人間性に惚れたっちゅーやつやな。こん人の力になりたい、まずはこん人の一番の友達になったるーって!それで学校で猛アタックしてん。彩音はんは、うちが思った通りの人やった。うちみたいなテンション高くて暴走しがちなヤツも全然嫌わんでくれたし、困ってる時は相談にも乗ってくれたしな。うち、もしもあの人が将来宗教団体作って教祖になったら、マジで真っ先に入信せなあかんて思ってたで。会社作るなら会社に入るし、少なくとも大学は同じとこ行く気満々やった。傍におらな、助けてあげられへんやろ?」
「……そっか」
自分が抱いた感想は、何も間違っていなかったようだ。
まるで教祖様を崇める信者。
蓮子は、本当に彩音に対して崇拝に近い感情を抱いていたのだろう。人生には時として、そういう出会いもあるものなのかもしれない。
ただ。
――ねえ、銀座さん、気づいてる?
彩音はぎゅっと、拳を握りしめる。
――お葬式で、泣いている小さな子をずっと慰めてるような優しい人がさ。私みたいに、大して仲良しじゃない人を気遣っておまじない教えてくれるような人がさ。……他の招待者を皆殺しにして、生き返らせてもらって……それで本当に喜ぶと思ってるの?
彩音が何を思って死んでいったか、本当のことは誰にでもわからない。死んだ人間は、何も語ることなどできないのだから。
でも、その人が生きていた時、望んでいたことをしてやることはできる。
その人の性格や心を分析して、きっとこうだったんじゃないかって寄り添って――信じて、生きていくことはできるはずではないのか。
本当に敬愛しているのなら、どうしてそれに気づかないのだろう。それとも。
――辛いから、悲しいから、曲解してしまうのかな。自分の都合の良いように、誰かの姿を。
ああ、彼女をこの場で止めることができない。
この現実の、なんと辛いことか。
「せや。……あんな。うちに、扉鬼の空間の情報を教えてくれた人が教えてくれたん。多分出口を見つけた時、叶えてくれる願いは一つちゃうんじゃないかって」
だから、と蓮子は笑顔で続けた。
「金沢はんも願ってくれへん?もし金沢はんが鍵と扉見つけたら……彩音はんが生き返るようにって。な?お願いするわ」
「……うん、わかった」
「おおきに!じゃあ、今夜夢の中でな。会えたらええな!」
そう言い残すと、彼女は“うちお花摘みに行ってくるわー”とおどけて、トイレの方へ走っていった。彼女の姿が女子トイレの方へ消えたところで、えりいは深くため息をつく。
確信してしまった。
彼女は、星羅たちに乗ったフリをしているわけじゃない。本当に作戦を実行して、招待者たちを皆殺しにしてでも彩音を生き返らせようとするだろう、と。
「えりい」
階段の影から、ひょっこりと織葉が出てきた。
「よくしゃべらなかったな。エライぞ」
「もう、子供じゃないんだから。……正直、止めたくて仕方なかったけどね。翔真くんの命には換えられないから」
「ああ」
ちらり、と織葉が女子トイレの方へ視線を投げる。その表情は険しい。
「あれはやる、だろうな」
彼も感じ取ったのだろう。
蓮子の本気を、そして狂気を。ひょっとしたら今語ったエピソード以外にも何かあったのかもしれない。いずれにせよ、えりいが“計画に協力する気がない”とばれてしまったら、その時は。
「万が一見つかってしまった時の対応も考えた方がいい。白根翔真のように、一晩の猶予を与えてくれるかもわからないしな」
「だよね。……茜屋神社に行く?今日」
「大郷さんが神社と小学校、どっちにいるかによるな。白根翔真の学校は
「だねえ。それにタブレットって、授業外ではあんまり使えないように規制入ってるみたいだし、オンライン会議用のソフトとか使えなさそう」
そのうち大郷からまた連絡が来るだろう。今日どうするかはそのあとで決めた方が良さそうだ。
えりいに今できることと言えば、自分なりに考えをまとめつつ、今日の授業で居眠りをしないように気を付けることくらいなものである。
と、ふとそこまで考えたところで気づいた。自分達は昼間起きてる時は、現実世界で生活している。眠ると扉鬼の世界に行く、ということを繰り返している。
しかし扉鬼の世界に行ってしまうのは何も夜とは限らない。眠ればそのままあちらに引き寄せられるということは、彩音の死がそのまま証明している。授業中のうたた寝だろうと関係ないのだ。
ならば。
「……織葉、一つ思ったんだけど」
この事実、彼は気づいているのだろうか。
「私達が起きてる時ってさ。夢の中の私達って、どうなってるのかな」
「というと?」
「例えば、私が夢の中で銀座さんに出会って話しかけられた、とするじゃない?そこで朝が来て二人とも目が覚めたとする。じゃあ、銀座さんはそのままちゃんと起きて、私は寝ぼけて二度寝したらどうなるんだろう?」
「……あー」
つまりこうだ。
眠っている時間しか夢の中にいないなら、起きている時は扉鬼の世界から自分は消失している可能性が高い。もしくは、扉鬼の世界にも肉体が複製されていて、自分が現実世界にいる時は時間が止まっている可能性もある。
少なくとも。
「今のところだけど。私がもう一度寝た時……前の晩の状況から前触れもなく状況が悪化してるとか、そういうことはないんだよね」
廊下の真ん中に立っている状態で夢が終わったこともある。
もし、自分が起きている時にも夢の時間が進行しているのならば、起きている時は夢の中で“ぼーっとつったっているだけのカカシのような金沢えりい”が存在していることになるだろう。つまり、怪物にとっては格好の餌食。そして、招待者同士を殺したい者達にとっても格好の標的となってしまうはずだ。
が、今のところ廊下をぼーっと立っている状態で終わったらそのままぼーっと立っているところでスタートするし、知らない怪物や何かがいきなり目の前に登場したなんてこともない。
まだ回数をそこまで重ねたわけではないので、運が良かっただけなのかもしれないが。
「……起きている時は、夢の世界に自分の肉体と魂はないのかもしれない、ってことか」
少し考えた後、織葉が言った。
「もしそうなら、あえて寝て時間を進めるのも一つ方法ということにはなるな。例えば銀座蓮子と遭遇して脅迫されている場面で終わったら、蓮子が朝になって起きている間に昼寝をして、自分だけ夢の中に入ってその場からさっさと逃げるということも可能かもしれない、か」
「うん。賭けではあるけど」
もしもそうならば、万が一の逃走手段として一考の余地はある。敵が怪物のみならず、生きた人間になるかもしれないというのならば。
「ただ、夢の中ではそれで逃げ切れるかもしれないにせよ、現実ではこうはいかない」
織葉は難しい顔で語る。
「銀座蓮子は既に、自分の友人としてその名前を胡桃沢星羅に伝えている可能性がある。白根翔真の名前も知られている。本名がわかっていて、しかも学校までわかっているともなれば……最悪現実世界で襲撃してくることもある。もちろん、現実で殺したら逮捕は免れられないんだけどな」
「わかった、行き帰りは注意するよ」
「ああ。銀座蓮子本人もだ」
あまりこれは言いたくない。それでも言わなければいけない。彼の顔にはそう書かれていた。
「交渉が決裂したら、最悪学校で襲ってくるかもしれない。用心しとけ。出来る限り俺も近くにいて守るから」